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概念デザイナーの育成


<以下は”21世紀のビジネスシナリオの改訂版です”>
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 Creamony実行のために概念デザインを実践する場合,着目すべきは新たな”しくみ ”をフルに活用することができる”人材”を適切に開発していくことである。
率直にいえば,現在,概念デザイナーを輩出したり育成する公の機関もないし, その雰囲気もない(当概念デザイン研究所をのぞき)。また,結果としては優れた 調和的な創造行為や概念デザイン創出をしている少数の人々も見受けられるが, 概念デザイナーに必要な言述化と一般化がされているとは思えない。
21世紀の創造型社会の人材分野で重要なことは,「誰でもが創造者として活躍しうること」 という前提で,人材問題が取り扱われなければならないということである。さらに, そうした多くの創造者をいかに結集し,止揚的に良い成果を出していくかというこ とが論議されるだろう。 パラダイムの新旧に関わりなく,「人材」はあらゆる活動 の肝である。この「人材」についてCreamonyの世界観ではどのように考えるべきかを 以下に述べる。

 人材についても,前述のしくみについてと同様に3つの主要切り口によって検討す る。より多くの概念デザイナーを産み出すための「輩出の構図」,それらをどのよう に育成していくかという「概念デザイナー像」,それらに具体的に何を期待するのか という「能力とアウトプット」の3点である。
これらの3つの切り口は,それぞれが やや抽象的で精神論的な響きのサブキーワードで記述してあるが,これは時代の「人 材」を産み出す潜在構造を明確化したためである。繰り返しになるが,社会のなかで ものごとを実際に成就していくには,社会のしくみや制度,具体的な達成手順や物理 的な秩序と同時に「人」が重要な柱であるが,こと「人」に関しては他の2つに比べ, 人間特有の感情的側面や未知の可能性あるいはその裏返しとしての不可解さなどが俎 上に登るため,比較的精神論的記述や姿勢論的記述が登場してしまう。

しかし,そう した人間くさい表現のなかにも,その時代の”時代優等生的人材”を産み出すからく りが隠されているはずである。この意味で人材の項の表現は他の項の表現とはやや ニュアンスが異なるものになっていると思われるが,あくまでも人材輩出や育成の 方策を客観的に言及することが狙いなのである。従って,〜像,人格/能力云々とい う表現は精神論的な目標設定ということではなく,”人材創出テクノロジー”の一環 として客観表現として捉えて頂きたい。

輩出の構図 21世紀の創造型社会における人材に関する一番目は,「輩出の構図」で ある。図58にOldパラダイムとNeoパラダイムでの,構造軸,視座軸,対象軸上の変転 を示した。 Oldパラダイムにおいて,いわゆる優秀な人材を輩出する基本的な構造は, 公に認められた組織としての学問修得場である。
大学はいうまでもなく専門学校でさ えも,基本的には知識や技能そのものを,何もない入れ物のなかに詰め込むといった 姿勢において,修得させることが大前提であり,目的である。そして知識や技能は学 歴や職歴として,あるいは資格として「社会で一般的に通用する手形」となって定着 化される。

Neoパラダイムにおいては情報リテラシーの圧倒的向上によって,知識 を自前の身体に格納し蓄積することが殆ど意味を持たなくなる。意味を持たないとは, 他者に対してパワーとならないということだ。
Oldパラダイムでは知識の量や,新鮮さ や質の高さが,そのままパワーとなり指導力や権威と化すことも可能であったが, もはや知識の量や新鮮さや質の高さは,誰にとっても,どこにいても,意欲さえあ れば同レベルとなってきている。
従って,知識の有無をベースとして成立していた 社会構造や,それに基づく権威や階層はその根拠が消滅していくのである。つまり, 義務教育をも含め,大学を中心とした知識修得型学問体制および,そこからの人材 の輩出の構図は大きく変わってこよう。知識や学歴が全くなくなるということでは ないし,全く不要と言っているのでもない。

社会の基盤的構造として知識や学歴と 言ったものがパワーを失うということである。そしてその構造も影が薄くなるとい うことである。 
これに対し,Neoパラダイムでは構造軸上において,創造すること そのものや実際に創造型社会にどのように貢献するかといった実力の視点や,その ひとの独自性をいかに発揮するのかという個性形成の視点が,人材輩出の基本構造 となり,しかもその切り口で能力が測られる図式が登場するということだ。
知識や 学歴形成を基盤とした人材輩出の典型がいわゆる現況の学校教育であるが,学校教 育やその産物としての受験戦争などもNeoパラダイムではがらっと様相を変えてし まうことだろう。

要するに,「君はどこの出身で,何を知っていますか」という問 に代わって,「君は何ができますか,どのように考えますか」ということが世の中 の主流の質問になるということである。情報リテラシーが圧倒的に向上すると,知 識のレベルや取得のしかたは人によってまちまちになるだろう。
おそらく,あるテ ーマについて8才の少年と70才の大学教授が同レベルで(両者の文化資本量には差は あるとしても)語り合うことも可能なはずである。そういう意味では現況のような, 年齢や学歴による差別化構造はなくなることだろう。
企業や個人経営の商店におい ても,人材獲得や輩出の構造のポイントは,何もないところから何かを作りだせる 能力,すなわち”無から有の創造”ができる能力をいかに形成するか,実際的な仕 事をいかにこなしてきているか,個々人の個性をいかに表現できるか,それをどの ように活かしてきているかということになろう。 

次に視座軸上で新旧パラダイム 比較を行なってみよう。
人材における視座とは,主に何を修得させるかということ である。Oldパラダイムでは,分業的構造や排他的な視座から,特化された切り口で の専門性を先鋭的に高め,ある基準以上の一律的な知識を修得させるということに 主眼がおかれる。
これに対し,Neoパラダイムでは,いかにものごとや人心を総合的 にまとめていくかということが主眼になると考えられる。勿論専門的な知識や専門 家の存在は否定できないが,それ以上に創造型社会ではまとめあげる総合力がとわ れることになる。 
上述のような構造と方向性において,人材輩出の最終目的は次 のように設定される。Oldパラダイムでのそれは,個人や全体の知識を基盤とした能 力を高めることになる。
これに対して,Neoパラダイムでは,人心をいかに引っ張れ るかという観点で,知識や技能よりも,人格を如何に高め指導力を高めるかという ことが最終目的となろう。


人物像 人材に関する二番目は,概念デザイナーの「人物像」についてである。 図59にOldパラダイムNeoパラダイムでの,構造軸,視座軸,対象軸上の変転を示した。
 人物像とは,その時代の枠組みにおいて社会の推進役として,最も有効と考えられ る平均値としての人物のあるべき姿である。この人物像というその時代のひとつの 暗黙の基準に沿って,人材を育成する側も育成される側も,教育や学習,研鑽の方 向性や手順,組み合わせを検討し,設定し,定着化していくことになる。 
新旧パ ラダイム比較で,「人物像」についての構造的側面,視座的側面,対象的側面を考 えてみる。

人物像についての構造的側面とは,ある人材がその社会のパラダイム においていかに有効に,持てる能力を発揮させることができる構造を,”しくみ” として客観的に設定するかということである。
Oldパラダイムでは階層構造や分業シ ステムにおいて,上下関係,上司と部下という関係,上位下達といった構造が重要 な柱である。これは必ずしも,上位者や上流部署の人に有利であるということでは なく,上位者も,逆に下位者をもこの構造を使って有効に人材を活用し活用され, かつ目標設定が可能な構造となっているということである。

これに対しNeoパラダ イムでは,種々雑多な能力を有する知的個人を有効に集約し,活かすことが第一義 となり,人材の能力発揮構造も,こうしたグループにおける良きリーダとして,あ るいは逆に良きメンバーとして人材を産み出すものとなる。例えば,Oldパラダイ ムでの「上司」は知識/経験的レベルの高さや,率先垂範能力,管理能力の高さな どがしっかりと形成されるような,人物像設定構造のなかから産出されるようにな っている。
また,上司も部下もその構造を通過することによって,自己の目的が達 成されるようにしくまれている。Neoパラダイムでは,人物像としてのリーダのあり ようのなかで,まず求められるのは”安定感/安心感”であろう。おそらく個々の 知的専門性は集団のメンバー個々人の方が高いであろう。
このとき重要なのは,各 メンバーにとって,そのリーダがいることによる結束力の保証と,個々人の能力発 揮の保証である。むしろリーダに求められるのはセラピスト的な精神的指導者や, 昂揚を発生させ不要な軋轢を軽減させることができる人といった人物像であろう。

 人物像についての視座的側面とは,その人がどのような状態に常にあるべきなの かを方向づけるものである。ようするに”有能な人材”として何が”是”として認 められているかである。Oldパラダイムではよき人物像とは,効率的で,常態とし て繁忙であり,目に見える成果を着実に出し続けていることといえるだろう。
現実 的には「仕事をさっさとこなして空いた時間を有効に使う」,あるいは「大いに遊 ぶ」といったことが奨励されるケースもあろうが,Oldパラダイムでは本質的には, 「効率的な仕事によって余った時間は次の仕事に振り向ける」ということが暗黙の 了解事項であるということだ。
結果的に仕事が早く終了しても,特に管理職は午後 3時に帰宅することは難しいのが実体であり,それはこのような視座的な潜在構造 が存在するからだ。上司にとっても部下にとってでさえも,効率的で忙しい人に” 美意識”を持ち,それがある種の目標になるのである。 

これに対し,Neoパラダ イムでは,優秀な人材あるいは良きリーダに常態として求められるものは,効率や 繁忙ではなく「調整」や「調和重視」の姿勢があるかどうかである。基本的に創造 型社会では仕事は知的個人の個々の動きの集約によって達成されていくだろう。そ のとき,知的個々人は通常単独で行動することになろう。
そこでのリーダのあるべ き姿とは,端的に言えば”困った時の駆け込み寺”である。つまり本質的な問題で 抜本的な解決が必要な事項を必ず調整してくれるような,そして仲間が妥協ではな い止揚を得ることができるために調和を重視した姿勢をもっているような人物像で ある。仕事はできるがいつでも忙しくて動き回っているような人物よりは,大切な ときには必ずそこに存在しているような人物像である。 

人物像を対象的側面で見 てみよう。対象的側面とは,その人材が人物としてどのような基準で評価され,あ るいは目標設定されるかということだ。つまりその人物が何を懐刀として持ってい るかである。Oldパラダイムでは,「力」であり「牽引(力)」である。すなわち, 優秀な人材としてその人物に制度的/資金的/物理的な「力」が与えられるような, あるいは備わることができるような期待がされ,方策が練られるということだ。
そうした「力」を持っていること,結果,組織を「牽引」していくことができるこ とが,Oldパラダイムにおける人物像の関心事なのである。

これに対しNeoパラダイ ムでは,その人と仕事がしたくなるような「魅力」があるかどうか,それをどう備 わせられるかどうかが重要な関心事になる。ようするに仲間を自然体でより多く「 吸引」しうるかどうかだ。Oldパラダイムでは仕事はある意味で選べないか選びに くいのが実情だろう。
ましてや仕事を共にするものや上司は選べない。それが創造 型社会では”好きな人と一緒に仕事をする”ということが主流となるといえる。そ のとき人物像に求められるもの,また目標になるのは「選んでもらえる人間として の魅力」なのである。

 能力 人材に関する三番目は,「能力」についてである。図60にOldパラダイム, Neoパラダイムでの,構造軸,視座軸,対象軸上の変転を示した。 「能力」とは, 時代時代の有能な人材が実際に蓄えるべき,また発揮すべき内容である。これにつ いて新旧パラダイム比較で見てみよう。 
Oldパラダイムにおける人材開発や人材 育成の観点で,対象となる人材がどのように能力を構造的にもつか,あるいは構造 的に発揮するかを考えると,それはほとんどの場合,組織的な背景を基盤とした相 対的な能力形成である。言い換えると,ある人が組織や集団の中においていかに他 者と相対的で優位な位置づけを確保するかどうかにかかっている。

極論を言えば, 知識が全くなくとも実行力が皆無であっても,仮に組織的に優位な相対的位置を獲 得する素質があれば,その人は組織を背景とした大きな実現化能力を内外に向けて 使えることになる。したがってOldパラダイムにおける能力獲得/能力発揮そして, 人材の能力開発目標は相対的位置づけのために向けられるといえる。つまり,学歴 や社内考課なども,ある人材に能力を行使させるために相対的な差異を産み出すた めのしくみのなかで活用される。

これに対し,Neoパラダイムでは,人材の能力獲得 や開発は,「どこでも通用する」,「絶対的なパワーと人脈」を有するかどうかが重 要になる。どこでもということは,ある企業内や組織内に留まらず,「何何ができ る誰誰」として創造型社会の全体の中で位置づけられるということだ。言うまでも なく今後も何事かをなすときには,人/物/金/情報はハンドリングできなければ ならないが,Neoパラダイムでは,企業などの枠組みを越えて,ある人材が社会の 中で自由にそれらをハンドリングできることが肝要であり,それが絶対的パワーな のである。
したがってある企業や組織のなかだけで通用するような狭い範囲での相 対的パワーは,真の意味で創造的能力とはなりえないだろう。 

能力を高める方向 として視座的側面を考えて見ると,Oldパラダイムでは先鋭化や分業化を目指すた めに,「あることに強い」という視点が重視される。学歴のような知識水準による 区分と同時に,理系/文系という区分や,さらに細分化された専科によって,ある 特定の能力を集中的に高めようとする方向が是とされている。これは単に学校教育 に限ったことではなく,企業や行政の中での採用や教育,昇進の方策のなかに根付 いている。 

これに対し,Neoパラダイムでは,「何でもできる」ある意味では 「スーパーマン」のような人材能力開発が希求されることになろう。もちろん一定 レベル以上の各専門的な素養は必要だが,それにもましてバランスのよい総合的な 能力と,全体を構想しまとめ上げる能力が必要とされ,また目標とされるだろう。
次に人材の能力の関心事を考えてみよう。Oldパラダイムでは専門的な強みを武器に, ある閉鎖社会のなかでの相対的な関係において,その武器を使って自らの「権力を 行使」することが,具体的かつ実際的なポイントである。良い意味でも悪い意味でも, 経済資本を高めるためにこの「権力行使」ができることが必要であり,また目標で あり憧れでもある。

Oldパラダイムにおける人材の能力評価はまさに,「権力行使」 が適切に行なえたかどうかで測られる。逆に言えば「権力行使」という具体的手続 きがなければOldパラダイムの企業や組織体は効率的に経済資本を高めることがで きないともいえる。 
これに対し,Neoパラダイムでは能力の具体的発揮や期待値 はまったく異なってくることだろう。まずいえることは,例えば階級的な位置関 係からの権力行使では仕事はまったく進まないだろう。それは,知的個人がオー プン系でつながっている場合,権力行使によって物理的,精神的に損失しそうな 創造行為が認識された途端に,その知的個人は即座に別のCTフォーメーションに 参画するか組むかしてしまうことが考えられるからだ。それほどこれからの創造 型社会では力による枠組み設定と力による創造はできないのである。したがって Neoパラダイムでの能力発揮/能力期待の具体的関心事は,「コーディネーション」 が適切にでき,しかも参画メンバー全員に創造の達成感を与えられるかどうかに掛 かってくる。

感情的な側面を全く考慮しなければ,Oldパラダイムの権力行使は 比較的楽である。一旦相対的位置づけとして上位を確保し,専門的な高度な知識 を盾に下位者や組織を力で動かすことは難しいことではない。しかし創造型社会 での「コーディネーション」はむしろリーダの持てる個人的な力は伏しながら, 無私無欲の姿勢でまとめ上げなければ,止揚的な良い成果は期待できないだろう。
そして,経済資本という先鋭化された切り口だけでなく複合資本総体を「審美眼」 と「感性」とを持ちながら高めていくことが要求されるのである。
《概念デザイナー-育成の概念》 ここで人材育成の具体的な内容を考えてみたい。 
本説の冒頭にも述べたが,現在,概念デザイナーをシステマチックに産み出す社会 装置は(当概念デザイン研究所をのぞき)存在していない。

Creamonyの世界観では 概念デザイン開発を通じて社会そのものにも働き掛け,新しい制度づくりやルール 設定,また新しい考え方や手続きを展開させることを狙いとしている。その意味で は概念デザイナーを学校の中でどのように扱うのかということも重要な点である。
しかし現況,焦眉の急は,創造型社会へ直接的にしかも即座に対応し貢献していか なければならない企業や個人であり,それを対象にして,概念デザイナーの育成に ついて言及する。 
概念デザイン論の特徴はその実践性にあるといっても過言では ない。実践を通じて学ぶことも,同時に創造行為を結果として果たすことも両方大 切なのである。この観点で人材育成の概念を考えてみる。

  図61が「概念デザイ ナーの育成概念図」である。この図が育成の全容と手順を示すものである。 
まず人材育成で重要なのは,前述のように実践性を重視するために,育成の場を ”育成の生命場”として位置づけ,常に活性化されダイナミックに躍動しており, しかも実際の創造がなされている場を形成することである。 
ここでいう”生命場” 換があること,細胞の自己増殖にも似て学習する側が自己増殖的に,自己進化的に 能力を高めていくこと,育成場そのものをも変容させる可能性を秘めていること, 新しい生命としての創造物を実際に社会に産み出すこと,である。

このような基 本概念をベースに学習の内容や手順が具体的に設定されなければならない。 
人材の育成の生命場は言うまでもなく,Neoパラダイムの世界観にサポートされる。 従って,人材育成も大量画一的になされることはない。
つまり育成対象者ひとりひ とりに対応して自己学習が可能なように設定されるべきものである。結果的には一 人の育成者=先生としての概念デザイナーが指導できる被育成者は10人前後に絞ら れる。いうなればDNAの原型を産み出すことになる。

産み出された10人前後の新た な文化技術者は,あたかもDNAが遺伝していくかのように,次なる新たな被育成者 を育成していくのである。このようにして自己増殖的に概念デザイナーが人材開発 される。自己増殖される過程において,DNAの一部が変容することもありうる。
つまりオリジンで修得された学習内容が環境に合わせて変異する場合もありうるが, それはそれでよいのである。前述した,生命場として育成場そのものの変容も当然 認めなければならない。 図61に沿って具体的な人材育成の方策を述べる。
0〜6までの区分は大まかな手順の区切りで,おおよそワンサイクルを1年として, 数字順に展開していくことになる。

 区分0の「概念デザイン論等の基礎学習」 では哲学・思想としての文化技術論やその周辺思想について,Creamonyのビジネ ス展開論やその詳細解説について,概念デザイン論などを学と同時に,学習の意 味や内容,規模,被育成者が属する組織との関連等について修得する。またこの とき,被育成者を送り出す側への的確なる趣旨説明は欠かせない。
 区分1の 「観相実践」では概念デザインの観相を実際に行なう。特にこの区分の中で時代 の認識を体感的に学習することが重要である 区分2の「創想実践」では概念デ ザインの創想を実際に行なう。
 区分3の「具象実践」では概念デザインの具象 を実際に行なう。特にここで留意すべきことは被育成者が自分の帰属組織を実際 的に活用することである。
 区分4の「OW=オープンウエッブ形成」は被育成者 が独自のオープンウエッブを実際に形成することである。ここでは特に初めて第 三者が関与してくるので,生命場としての実際性を十二分に考慮しなければなら ない。 
区分5の「調和的創造行為実践」では被育成者が自
らCTNを結成し, CTF化を行なう。 区分6の「概念空間開発の実践」において被育成
者は実 際の概念デザイン開発を行なうことになる。



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