高度化された資本主義経済の現状と「金融経済」と「実体経済」との乖離といった、「資本主義制度そのものの
崩壊現象」については、逐次”慧”
の中で述べていますので、ここではあまり深入りしませんが、
今、日本が、というよりも世界がその動向を見守っている日本の未来の経済は、端的に言って小渕さんがやろうと
民主党の管さんがやろうと誰がやろうと、一人のカリスマ的な人物がやろうと殆ど同じことでしょう。
要するに過去の枠組みの中で最大限に優等生になろうとしても、その枠組み自体が大きく変革し始めてしまっている
わけですから、ある意味では、現状の全ての努力はやったほうがましではありますが、それが日本経済再生の
切り札にはなりえないと思います。われわれがよく口にする経済とは、そもそもなんでしょうか。実はそのへんから
本質的に問い返さなければならない時代になっているのではないでしょうか。
わたしは今までの日本のやり方が
全て間違っていたとは思いません。確かに、現在は経済のグローバリズムから言えば日本の経済運営は低落
しているように思えます。しかし、それではアメリカを中心として現在世界から日本に叩き付けれている経済の
未来手形は本当に21世紀の経済の金字塔なのでしょうか。
現在政府が懸命にやろうとしている金融再生計画
は、マスコミの予想を裏切ってそれなりに奏効するでしょう。不可視の構造が変化するということは、それなりに
影響力があるからです。しかし、今果たそうとしている未来手形で一番得をするのは一体誰でしょうか。
もちろん最低限度に救われる日本人は増えるはずですが、わたしの言っているのは、今回の経済動乱で一番
影でほくそえむのは誰かということです。結論から言えば、それは私が「金融大魔王」と揶揄している、ほんの
一握りのボーダレスな組織や個人です。
どんなにまじめに頑張って、日本をよくして100円・ドル、平均株価
20000円くらいにまでもっていったとしても、「金融大魔王」側の思惑ひとつで、円も株も簡単に操作できて
しまいます。要するに、近代の高度な資本主義経済はもはやそこまでに至ってしまったということです。
もうこうなると物理的な戦争は意味はなくなります。
何故ならば、グローバル金融経済システムに殆どの国が
取り込まれていけば、金融経済という錦の御旗のもとに公然と内政干渉、否、内政操作ができるからです。
今見事に、第二次世界大戦後の占領下日本と同等以上に、アメリカという彼らの代表に内政も、生活も企業の
命運すらいともたやすく操られているではないですか。
もはや、ある意味で豊かで楽しかった近代の高度資本主義
は終わったのではないでしょうか。その終焉すべき古い制度の中で、ちょんまげをつけながら、大刀を振りかざして
世界の優等生になろうとしているのが現状の日本の姿ではないでしょうか。そしてわたしたち庶民の鋭い潜在的な
嗅覚はそのことを感じ取っているに違いありません。
10年前ならば確かに、日本経済が再生されて、物が売れて
失業率が減って、ボーナスが増える…ことに対して、微塵の疑いも不快感もなかったはずです。ですが、
今はどうでしょうか。果たして小渕首相が手際良く難局を乗り越えて、表層的な経済が回ってきたとしても
そこにわたしたちの真の未来があるのか、幸せが見えるのか…ポイントはそこなんですね。
「慧」でも言及しましたように、所詮「経済」という概念はわれわれのありとあらゆるもので詰まった「生活自体」
の下位概念でしかありません。今の状況は逆ですね。何か「経済」がわれわれの人間存在の最上位概念のように
言われていますし、そのように仕組まれています。
経済が破綻すれば(私は破綻して欲しいといっているのでは
ありませんが)われわれの人間としての存在全てがあたかも瓦解するかのように特にマスコミは喧伝します。
しかしそれはおおいなる誤りだと思うのです。極端に言えば、「経済」が成立せずともわたしたちは生きていけます。
経済行為を大きく凌駕したやりとりは人間間でいくらでもあります。
われわれが生きているそのこと自体が
大きな意味で「けいざい」そのものなわけです。手短に言えば、10年前くらいまではわれわれの生き様でである
「けいざい」がわかりやすかったということです。要するに、物質、金銭、効率主義、排他主義、宗教としての
科学技術への偏重…などなど、言葉にせずともわれわれの生きる目標や基準は潜在的に明確だったのです。
それらが明確な中での経済再生は比較的簡単でやりがいもあるわけです。
…が、今はその潜在的なテーゼ本体が
瓦解しきっているのです。新生されるべき次の潜在的なテーゼ、これこそが21世紀の指針なのですが、
これがまるで明確でないために、いくらその下位概念の「経済・経済制度」を弄くっても、
単にに短期間内における対症療法となってしまうわけです。
現実的で切実な問題として、超高齢化社会の到来がありますし、少子化の問題もあります。環境問題や交通渋滞
などの問題もあります。そしてそれにもまして、「知的に進化し始めている」わたしたち人類共通の哲学である
「人間の真の存在意義」や「私たちの真のルーツや行き先」、また「宇宙とどうかかわるか」などといった、
20世紀を超えていかなければならない人間としての探究課題が国レベル、地域レベル、家族レベルで提起すら
されていない状況なのです。
21世紀を本当に背負わなければならないと思っている若者や子供たちには
こうした21世紀の生きる指針、しかも表層的なものではない人間の根源に立ちかえった指針の提示が必要
なのではないでしょうか。こうした中から、新たに21世紀的な新しい概念の「経済」もディスカッションされ
根付いていくのではないでしょうか。
そのときの経済は少なくとも、今のような「切羽詰った」情けない経済
システムではあって欲しくないですね。人間がやり取りするもの…それは金銭のみではありません。
心のやり取り
、無償の物の供与などなど、金銭で換算できないもののやり取りのほうが遥かに多いのではないでしょうか。
そうしたわれわれの生活総体を真に反映できる新しい考え方の「21世紀的経済」を日本は発明する必要があります。
…翻って、ますます強化される「金融大魔王」の金銭による人間支配。それに翻弄されつつある日本やアジア経済。
近代の高度な資本主義経済が最後に産み落とした「超瑕疵」、すなわち極端な富みの一部への集中とそれによる
自律神経失調的な世界の経済動乱。
…ここに見事に嵌められずに、21世紀を心身ともに豊かに過ごすためには、
大概念としての「けいざい」;すなわち、「21世紀のわたしたちの生きざま」を独創的にひとつづつ創造していく
ことが賢明なる道かと思います。それが少しでも論議され始め、少しでも見えてくれば、生活総体の下位概念で
ある「経済」そのものは自然に回復してしまうでしょう。
現況の日本はあたかも真っ暗闇の中で、自分を見失い
自律神経失調症とうつ病に悩んでいるかのようですね。自からが輝けばおのずと暗闇は消え去ります。そして
本来の自分を取り戻すでしょう。日本は体は本当は健康なのですし、頭も極めて涼しく若いのですから。