2000年-3月15日…聖年;法王パウロ2世の懺悔…文責;Taikoh Yamaguchi@gainendesign.com
『 ローマ法王、過去2000年の過ち認める=ユダヤ人迫害・十字軍など (時事通信)2000年3月13日(月)6時32分
【ジュネーブ12日時事】ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は12日、バチカンのサンピエトロ広場でミサを行い、
ユダヤ人迫害の容認や十字軍の遠征、宗教裁判などについて、過去2000年間にキリスト教会が犯した過ちと認め、
神の許しを請う告白を行った。こうした形でローマ法王が過去の過ちをざんげするのは、カトリック教会史上初めて。
法王はカトリック教徒が許しを請うことは、将来同じ過ちを繰り返さないための「記憶の浄化」につながると訴えており、
キリスト生誕1000年を記念する大聖年の「許しを求めた日」は、世界10億人の信者にとって歴史的に大きな意味を
持つことになりそうだ。』
時事通信を始め世界のメディアが”すざましい限りのニュース”を伝えてきました。ワタシたちの現在地点は本当に歴史の転換点に
あることは間違いない事実でしょう。
現ローマ法王パウロ2世はその老体に鞭打って、25年周期で訪れるといわれるキリスト教聖年のこの2000年に、キリスト教誕生以来の
”過去の過ち”を「懺悔」し、清算(曰く「記憶の浄化」↑上記)されました。昨今警察がらみの不祥事が世情を賑わす中で、
この件は一つのニュースとして流され、特段取り上げられることも無く素通りしようとしています。
結論を急げば、本件は素通りできない、否、してはいけない地球規模の重大事と考えます。2000年という途方も無い期間に対する
懺悔は年数のボリュームとしても大変なものです。それにも増して重要なことはキリスト教2000年の「記憶の浄化」とは、キリスト教
の存立コンセプトそのものを全て見なおすことにも繋がるわけです。
キリスト教カトリック教会のある側面での”凄さ”は、最近の”異宗教との融和活動”に見られるように、また今回2000年の懺悔を
行うことに見られるように、その「神にあくまでも敬虔な、自省と自己進化」のシステムを内包していることでしょう。しかも
カトリック総本山のトップである法王自身が自らそれを実践し、具体的展開を図るということは驚嘆に値します。
ところで、上述の「ある側面での凄さ」という意味ですが、それはキリスト教の(イエス・キリスト自身の思想か否かは別にして)
基本コンセプトが持つ別の側面の凄さが存在しているということです。
キリスト教の教義について言及する意図はありませんが、その展開戦略の中に、「排他的傾向」「自己増殖」「教化による自己取り込」が
存在することは明らかであると言えましょう。まあ、これについては他の宗教にも当てはまることではありますが。…
さて、なぜこのような基本コンセプトについてお話をしているかというと、それは、今回のパウロ2世の懺悔の内容が、全て上記の
3点であるこれまでの展開戦略の根幹に対する言及であり、しかもそれが懺悔であるという点なのです。
旧約聖書という原典とエルサレムという拠点を共有する、ユダヤ教、イスラム教に対してキリスト教は徹底的に対決をしてきました。
そういう意味ではパウロ2世が触れた「ユダヤ人迫害」「宗教裁判」などの直接的な”排他攻撃”に対する懺悔は、この2000年という
時代から見れば、なるほど懺悔に値するものでありましょう。ただし、繰り返しになりますが、そのことをキリスト教会トップが
「懺悔」のかたちで言及し、「記憶の浄化」をするという実践行為をするということは、とてつもなく「凄いこと」と感じるわけです。
さて十字軍の遠征ですが、この直接的な原因はイスラム勢力の進攻に対する対応である言われています。たしかにその通りなのでしょう。
しかし、十字軍遠征は300年間にもおよび、これによってヨーロッパの勢力は怒涛の如く、中東、アジアへと拡大されていきました。
アイザック・アシモフは、十字軍の根本的な原因は、当時のヨーロッパの人口爆発であったと看破しています。そのさらに遠因として
ヨーロッパ中世における農業技術の革新により、農業生産が飛躍的に向上し、結果人口の増大を引き起こしたということなのです。
結果として爆発的に増大したヨーロッパのマンパワーは、「領土を求めて」「さらなる食料や財を」求めてそのはけ口を十字軍に
向けたという図式です。そしてその精神的なバックボーンにキリスト教的価値観が据えられたわけです。キリスト教の基本コンセプトである
「異端・異種に対する排他的傾向」「自己増殖」は十字軍によっていかん無く発揮されたと言えます。しかし、300年にも及ぶ遠征は
該当地域を疲弊させ、破壊と貧困が残ったといわれています。当初の高邁な精神は無くなり、私欲と保身に焦がれた俗物群の格好の
餌場に堕落したそうです。(異文化の交流や交易が起こり、地方都市が興隆したという点では、また別の種も蒔きましたが…)
そして、十字軍遠征によって得た、「対外地域での戦略のありかた」という教訓が、後の大航海時代とその後の植民地政策に大きく
影響を及ぼしているわけです。
つまり、ローマ法王パウロ2世がその懺悔の中で言及した「十字軍遠征」とは、いみじくも、キリスト教が有する「排他的自己増殖」構造
を「見なおす」と言っている事に等しいわけです。
この2000年間は在る意味でヨーロッパ系白人種および、その精神的支柱であるキリスト教が席捲した、”彼らの時代”、”彼らの歴史”
であると言っても過言ではありません。…その歴史は今次の法王の「懺悔」によって大きく、転換していくことは疑いありません。
また、そうしたことが言及できるキリスト教自身も大きく変容していく可能性があります。対立が基本であったここ数千年の「宗教時代」
がようやく、浄化・昇華され、大きく宗教の源流に止揚的に統合されていく可能性が高いでしょう。
法王の聖年懺悔は、ことほど左様な、「すざまじい」時代転換トリガーなのです。
「宗教時代」を越えて、人間と地球と宇宙の在り方をどのように考え、デザインしていくか…極めて重要で大きな課題が21世紀初頭に
待ちうけています。