2001年-1月1日…新年に向けて;アメリカNOW…文責;Isoroku Noguchi
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アメリカ在住の友人、野口五十六さんから新年に向けてのご挨拶を頂きました。
2001年1月1日のアメリカからの生情報です。
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■21世紀の日本 (1)
司馬遼太郎氏は生前「21世紀の日本」委員会が主催した
記念講演で「新しい日本をどうつくるか」をテーマにして、
世界文明、国際化(グローバルスタンダード)に組み込ま
れゆく日本の未来に;
「ひきかえしますか。つまりいまの日本経済を大きく減速
させて。中進国の段階まで日本をもどしますか。
むろん、敵に背をむけるのは、鎌倉以来、日本人は恥じ
としてきました。日本人のたれもが、そんなことをのぞ
まないでしょう。
それならば、一歩、踏み出しますか。
あるいはこのままでつぎの百年、やってゆきますか。
もしそれができれば、相当なタマだといえそうですな。」
と、3つの方向で我々に問いかけている。
司馬さん心情的には、失われゆく日本の文化を憂い、でき
るのなら無理して国際化などせずとも、このままでつぎの
百年をと思っておられたようですが、現実はそうも行かず
「後ろ向きで」21世紀に一歩、踏み出すしかないとして
いるようだ。
三休(筆者のこと)も心情的には、このまま百年と思う「相当なタマ」な
のだが、そうも行かないだろう。正直のところ「21世紀
の日本」に、どの方向がいいのかわからないでいる。
でも好むと好まざるにかかわらずどうせ国際化するのなら、
悩みながらも、後ろ向きにでなく、前向きに一歩を踏み出
そうかと思っている。
■21世紀の日本 (2)
21世紀前半に超音速旅客機が東京とニューヨークの間を
4〜5時間で飛んでしまう。まさに空飛ぶ新幹線で、次の
駅は4〜5時間でヨーロッパ、更に3時間でニューヨーク
へと簡単に米、亜、欧州と地球を一周してしまう。
この新幹線がアジアのどの駅に止まるかで、どこがアジア
のリーダー(ハブ)になって行くかになる。新幹線の止ま
らぬ駅は、そこからローカル線に乗り継いで移動する事に
なり、止まる都市は栄え、止まらぬ都市は時代のスピード
から置いて行かかれることになってしまう。
では成田駅はどうか、羽田駅は、関西駅は、超音速機駅の
必要条件は5000メートルの滑走路持つことだが、日暮
れてなお道遠しの感。お隣りの韓国も上海、北京、香港、
もいつでも準備OK。しかも空港使用費も成田の3分の1。
我々は将来ニューヨークから上海駅に飛び、そこからロー
カル線に乗り換えて、ノコノコと成田に帰ることに甘んじ
られるのだろうか。
一方、日本の政治は将来展望のない村落政治、経済の低迷、
社会の活力衰退と国際的アクセスの欠落、どれをとっても
国際化時代にとり残される現象ばかり。
事ここに至ると、日本人の集合潜在意識は国際化を望んで
いないのではないかと勘繰りたくもなる。成田空港をいつ
までも超不便な出島のままにし、精神的鎖国のまま百年行
けるでも思っているのかも知れない。「相当なタマだ」。
でも三休は日本人の民度の高さに希望をもちたい。縄文の
時代から延々と累積してきた民族の潜在叡智、民族 DNA
はそんなもろいはずがない。21世紀にも必ずや「物創り
の民」として、したたかに花開いて行くことと信じたい。
■21世紀の日本 (3)
あと百年はアメリカの世紀が続いて行くと思う。
日本はこの現実をしっかりと踏まえて、未来の方向を見据
行かねばならない。
アメリカ化、国際化の波は、これからもよりいっそう強ま
り、日本文化は世界文明の中で生存の試練にさらされるこ
とになる。そうした摩擦と緊張の中で、日本は日本を実践
し、日本を創造し自己認証してゆくしかない。
かって、古代ギリシヤとローマが栄えた地中海時代、近世、
近代ヨーロッパとアメリカを中心に繁栄した大西洋時代、
そして21世紀アジアとアメリカを基軸とした太平洋時代、
日本とアメリカは太平洋の情報空間を挟んで、確かなパー
トナーとして、21世紀の地球文明をグランドデッサンし
てゆく役割があると思う。
日本はアメリカ的国際化の波間にありながらも、埋没する
ことなく、日本文化を発信しつづけてゆかねばならない。
たとえそれがどんなに微かな振動であったとしても、それ
が発信し続けられている事に意味があり、やがては全地球
的な振動となってゆくであろうことを信じたい。そして今、
真っ白な21世紀の大地に、前向きで一歩を踏み出したい。
■P X E <H
先日、優秀な化学者とアメリカ大統領選挙後のゴタゴタ騒動
の話しになりましたら、彼はハイゼンベル グ「不確定性原理」
P(場所)X E(運動量)< H(不確定)の定理に当てはめて
一言で表現してしまった。
これには思わず膝を叩いて「うまい!」唸ってしまいました。
私が頑張って数千字で表現しようとしたことを、一言で済ま
すのだから、世の中には優秀な人もいるものだ。化学者や
科学者の見方は面白い。
この原理「素粒子の位置と運動量とは同時に決定できない」、
世の中には「絶対性」なんてものはなく、確率的にしか認識
できないというものです。選挙票を手作業集計でより正確を
きして「絶対」を求めれば求めるほど、ますますわからなく
なってしまうから、確率で決めるしかないというのだ。
この量子力学の提起した人間認識が、20世紀の最後にアメ
リカで現象として出たのも面白いし、人間認識において決定
論的な「絶対性」を否定し、「確率論」的に見て行くしかな
いという認識は、21世紀へのパラダイムかも知れない。