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2001年-8月7日…『エルサレム』;宗教とは何か…文責;Isoroku Noguchi@www.datexx.com

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アメリカ在住の友人、野口五十六さんから「宗教とは何か」を問う、小論文”エルサレム”を頂きました。
2000年来の人類宗教時代はミレニアムな観点で哲学的に問い返される必要を感じております。
我々を呪縛しつづけてきている”宗教時代”を宇宙論的視座で乗り越える時代であると言えましょう。
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■エルサレム;宗教とは何か

 聖地エルサレムに「モリヤの岩」があ ります。世界が創世された時ここに礎石 が置かれたとされています。エルサレム 物語はこの白っぽく乾いた大きなモリヤ の岩から始まります。
 アブラハムが贖罪の生贄として、息子 イサクを神に捧げようとしたのも、この モリヤの岩の上でした。またダビデ王が 砂漠の荒野を長いこと放浪していたユダ ヤ人を定住させ、神を祭ったのもこの岩 の上でした。毎年やってくる過越祭には、 神に捧げる小羊の血もこの岩の上に流さ れました。そして幾多の小羊の血で染め られた岩の上に、ソロモン王が神殿を築 いて以来、三千年にわたりエルサレムは ユダヤ民族の聖なる都として崇拝され、 心の故郷になっています。
 神殿はバビロニアの侵攻で崩壊されて もモリヤの岩は残り、ヘロデ王がまたそ の岩の上に、第二の神殿を建てました。 イエス・キリストはこの神殿を眺めながら 「神殿よりもっと永遠なるものを、私は 三日のうちに心の神殿を建てる。やがて この神殿が崩れる日が来るが、その時に はモリヤの岩の上に一つの石も残るまい」 と予言しています。
 イエスが死した四十年後、ローマ軍に より第二の神殿も崩壊、ユダヤ人は離散 し再び長い長い放浪の民となりました。 その後もモリヤの岩は異民族によって収 奪が繰り返され、ローマ軍からペルシャ 人の地に移り、四世紀にはキリスト教徒 に、七世紀にはマホメッドが、夢の中で 天馬に乗って天国に昇天する時に蹴った 聖なる岩とされ、イスラムによって岩の 上に八角形の黄金のドームが建てられ、 イスラム教徒の聖地に定められました。
 その後さらに十字軍が聖地を奪回し再 びキリストの聖地に、それをまた回教徒 が奪い返し、半世紀前に再びユダヤ人が パレスチナ人を押し退けて入植し、争奪 戦は今日もなお続いています。
 エルサレムはわずか四キロ四方の小さ な城壁に囲まれていて、城内はユダヤ教 徒地区、イスラム教徒地区、キリスト教 徒地区、アルメニア(東方正教会)地区 に区分されて共存し、まるで宗教博物館 のようです。イエスが十字架を背負って ゴルゴダの丘まで歩いて行った「悲しみ の道」もここにあります。
 ユダヤ人は第二の神殿が崩壊して以来、 わずかに残った「嘆きの壁」にやってき ては、神の家の崩壊を嘆いて、その復活 を願い続けています。今だ崩壊の喪に服 したまま、やがてメシヤが来る復活の日 まで黒い喪服を脱ごうともしません。
 その嘆きの壁のすぐ十数メートルの頭 上に、歩いて上がれば数歩の所にモリヤ 岩の黄金のドームがあるのですが、ユダ ヤ教徒はイスラム教徒によって汚された 神殿として、一歩として入ることがあり ません。その徹底さには驚かされます。
 一方、モリヤの岩の黄金のドームでは 「アラー以外に神はなし」とイスラム教 徒が床に頭をこすり祈りを捧げています。 八角形のドームの内側の壁には、アラビ ア語で記されたキリスト教への呪文まで あります。この上と下はほんの数歩の距 離なのですが、世界のどこよりも遠い隔 たりを感じてしまいます。今日もまた、 イスラム教徒の「神殿の丘」に集まって いたパレスチナ人が、その丘の下にある 「嘆きの壁」で祈っていたユダヤ人に向 かって投石した武力衝突のニュースです。
 そして、永遠なる愛、心の神殿を説い たイエスは、今日も小高いゴルゴダの丘 で十字架に掛けられたまま「父よ、彼ら を許し賜え。彼らはそのなせることを知 らざればなり」と、褐色の城壁とモリヤ の岩を見つめています。
 ほんのわずかな一歩なのに、本来は同 じ神であるのに、三者は相容れることな く対峙したままなっています。
 多神教の環境に育った私たちが、ここ エルサレムを訪れると、彼らの一神教、 絶対神への信仰のすざまじさに愕然とさ せられます。私たちには彼らの一神教を 感覚的に理解できないのですが、彼らも また私たちを同程度に「どんな神にもへ つらい、なんとふしだらな」と、理解で きないのだろと思う。そして、私たちと この三者との間にも、また高い城壁を感 じてしまう旅になります。
きっとみなさんもエルサレムを旅すると、 「宗教っていったいなんなのか」と、考 え込んでしまうかも知れません。

  


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