1997年5月13日;広がりつつある私の足…文責;山口泰幸
私事で恐縮ですが自分の足の変化について気が付いたことを書きたいと思います。
サラリーマン生活を止めてフリーランスになってから早1年以上が経とうとしていますが、
言うまでもなく生活面、仕事面で色々なものが目にみえて変化しました。
そういう中で私の気持ちの中では、サラリーマン生活の反動もあってか、自由気ままな
日々の過ごし方は、多分私自身の心身両面を少なからず怠惰にするであろうと思っていました。
ところが現実は全くその逆で、心身ともに浄化されてきているのがわかります。
精神的には、やはり自由気ままなわけですからある意味で当然活性化するであろうことは
容易に予測できましたが、肉体的にも活性化されるとは思いませんでした。
朝はのんびり起き、夜更かしもし、結構たらふく食べて昼寝などもしてしまいます。
仕事もやりたいときに集中的にやり、それも結構長い延べ時間となります。
ちょっと小遣い稼ぎにたばこで煙るパチンコやに4〜5時間いたりもします。
それでも尚、1年経ってみて、あの早朝ジョギングで”鍛えていた”サラリーマンの
枠組み時代よりも、至って肉体は浄化されています。色々とその原因を考えてみましたが、
最近非常に面白い発見をしました。それは私の足の指が以前よりも少しづつ広がって
きているのです。確かに家の中で仕事もしている関係で靴は殆ど履かなくなりました。
個人的には靴下が嫌いなので、冬でも素足で過ごします。サラリーマン時代と比べると
おそらく1/20位の時間しか靴を履かないのではないでしょうか。
足の形からすれば、足の指が広がって行くのはあまり恰好のいいことではないかもしれませんが、
自由度を満喫している私の足の小指を見ていると、圧倒的にこちらの方がいいと思います。
たまに、でかけるときのジャケットやネクタイ、そして革靴。それらをひとつひとつ身につけていく
度に感じる呪縛感、これは発見であると同時に背中がうすら寒くなることでもあるのです。
私たちを取り巻く全てのものが不健全に私たちを規制しているとは言えませんが、
少なくとも私たちが日頃何気なく身にまとっている物に対する、私たちの肉体の
無言の我慢と精神的な馴れによって、そのことが成立していることが多いと言えるでしょう。
健康の問題と経済や社会の問題とを無理矢理こじつけるつもりはありませんが、
広がった私の足の指と今の結構行ける健康状態とから、こういうことってもっといっぱい
あるのだろうなあと思いを巡らしてしまうのは人情ですね。
ポイントは、馴れきってしまって問題と思わないような呪縛が多分に存在している
かもしれないという想定をすること、そしてもしかしたら、その規制がはずれれば
思わぬ好転回が期待できるかもしれないという予測をすることでしょうか。
話は変わりますが、日本からの文化的(?)情報発信として世界的に有名な
ゲームとアニメ、それに比較して日本映画のあまりの貧弱さ、これはおおいに
”隠された規制”の問題に必ず帰着すると考えられます。
大きな可能性を閉塞させている意外でしかも些細な規制の発見と除去、いわゆる
規制緩和後に想定される真のビジネスチャンスの探索、これらは両方ともビジネス
開拓には重要な戦略です。
話は戻って、足の話ですが、原始人の足は土踏まずからかかとにかけて、きゅっと
絞り込まれていて、しかも足の指は5本全部が離れていてしっかりと大地をつかんで
いるようだそうです。またある長寿村では殆どのお年寄りが地下足袋を履いて農作業を
しているという話も聞きました。
どなたか、新しい靴と靴ビジネスを始めてみませんか。