”慧”小論文


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Conceptual- Design- Laboratory

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1998年-10月19日…21世紀経済のデザイン-1-人間の生き様…文責;山口泰幸

前述のように私は経済学者でもエコノミストでもありません。従って専門的な経済学の理論や公式に基づいて 経済というような”だいそれた”テーマに言及していては、経済学専攻の大学生にすら論破されることは 必定でしょう。そういうわけで、「新たな経済学を構築するんだ!」などという、ドンキホーテ的な意図は 全く持ち合わせておりません。しかし、経済というテーマは現実、今生きていることそのものに大いに 関わるわけですし、メディアを通じて多すぎるほどの経済というキーワードが飛び交っている以上、 それなりに言及しなければ行けないことも事実です。私なりに持っている経済ということに対する概念の 枠組みと、私の生活の周辺に生じている経済的な事象をベースに、概念デザインの視座から21世紀の経済について 大上段ながら見てみたいと思うわけです。概念デザインの立場から言えば、「経済」あるいは「国際経済」と いえども、概念デザインの一つの対象としてのテーマであって、概念デザイン手法の基本プロセスから見定められる ものではあります。おそらく既存の経済に対する思いとはいささかずれていると感じられるところもあるかとは 思いますが、不可視な対象・テーマが具象的に見定められるという点では、慧の読者の方々の期待を裏切らない ものになると、期待をこめて思っています。
さて、さて、その前に、今まで散々言及し警告してきた問題について最新情報だけお伝えしておきましょう。 まずは産経新聞の特集記事をお読みください。 次に読売新聞の記事です。
いずれにしても現代の高度な資本主義がその最終章で産み落とした自壊的大魔;デリバティブとヘッジファンド は風前の灯火で、おそらくこれの崩壊をトリガーに、少なくとも金融経済は経済ハルマゲドンを引き起こすでしょう。
それはまた、実体経済にも少なからぬ損害を与えます。アメリカ野村の中間期損失10億ドルとは約1200億円であり、 証券会社が一時に出すべき損失をはるかに超えております。野村は不動産投資の失敗だなどと言っていますが その実体はデリバティブの失敗だと推察できます。何故ならば、デリバティブの損失とはことほどさように 突如、前触れも無く出現するからです。1万RPMで高速回転しているモーターを瞬時に止めてみてください、 絶対に止まりません。イナーシャがあるからです。ところがデリバティブの決算は超高速の計算ではありながら 瞬時にはじき出されます。それはスーパーコンピューターの賜物であり、イナーシャの無い光速で不可視な 対象だからです。その結末は「シュレジンガーの猫」にも似て、そのとき”たまたま止めてみなけりゃ”丁半 どちらに転ぶかわからないということなのです。アメリカ野村も決算してみて初めて巨額な損失に驚き 青ざめたことでしょう。通常の企業経営において半年先から1年先の自社決算状況をおおむね把握することは 可能です。ところがデリバティブは予測不可能であり、しかも損失(儲ける場合も)が巨額であることが 特徴です。それゆえに、デリバティブに手を出す場合には丁半どっちも賭けるわけですが、それでイーブンを 確保できていると安穏としているとすると、それは大怪我のもとなのです。つまり分単位、秒単位で決算状況が 極端に言ってプラスマイナスに振れるということは、まともな経営手法ではまず素人衆には儲けられないと 踏んでおいたほうが賢明です。あなたが胴元ならばどうしますか?当然、アナタに都合の良いタイミングで 決算をしますよね。…と、またまた前提が長くなりましたが、10月19日に自民党が「デリバティブ規制検討委員会」を 発足させる旨の新聞記事が出ていました。とりあえずは急場をしのげます。さて問題は毎日新聞が警告するように デリバティブ契約解除の期日12月31日が間近に迫っているということでしょう。勝負は12月初旬から中旬。
この辺に大津波がくると考えられます。アメリカのヘッジファンドから一斉に資金が逃げ始めると、ヘッジファンドは 連鎖倒産します。その負債は天文学的数字になるでしょう。そうなった場合の対応をどうするか、さらに ヘッジファンドを救済するためになりふり構わず金融大魔帝国側が予想外の手を打ってくるのに対して どう対応するのか。そこを是非是非自民党のデリバティブ規制検討委員会には叡智を絞っていただきたいところです。
金融経済はやはり一旦死ぬと予想されます。そのとき実体経済をどう生き伸ばさせておくか、日本の、そしてアジアの …ということは21世紀の地球の命運が、まさにそのハンドリングにかかっていると言えます。日本の政治家には 文字通り、「一命を賭して」今次の大艱難に当たって欲しいわけです。

21世紀経済の本論に入る前に、申し上げておかなければならない前提がいくつかあります。その一つが 「経済という概念」そのものの扱い方です。もう一つが「20世紀とは一体どんな時代であったのか、同時に 21世紀はどういう時代であると考えればいいのか」ということです。前提だけで連作になりそうです。

私は実は経済という言葉があまり好きではありません。何かものごとの一側面を表現しているようで、あまり好めないのです。 ですが現実は、経済という言葉はその本質的な意味が不明なことにも関わらず、実によく世間に浸透しています。 ましてや、昨今マスコミが我が意を得たり的に、経済あるいは市場が政治を動かすなどという表現や認識には呆然 としてしまいます。要するに「経済」ということばが指し示している内容は、それほど私たちの生存そのものを 語り尽くせるほど偉大でもないし、適切でもないと思うわけです。その「経済」があたかも人類の生存を 掌に載せるかのように認識することやそれを歓迎することは、どこか間違っているような気がするわけです。 結論を言えば「経済」というキーワードはわたしたちの生活総体、すなわち生き様そのもののうちのほんの 一部の側面であって、主に金銭の流通が見えること…くらいでしかないのです。
ですから、極端に表層に片寄り、人為・合理が席捲した20世紀にはまことに相応しい言葉なのですが、21世紀には 本来あまり相応しくない表現なのではないかと感じています。従って、いわゆる「経済」ということばが漠然と 表している状況としては、「生活総体」あるいは「人間の生き様全て」という方が的を射ているわけで、 私が「21世紀の経済」というときには「21世紀の人間の生き様全体」という意味になります。本来人間の生き様 のなかで、生み出されるもの・交換されるものは必ずしも金銭で計られるものだけではありません。むしろ 金銭で計られない事象のほうが圧倒的に多いはずです。ですが、今までは「生活=経済」という表層的で側面的な 切り口で取り扱うことが正義であるかのように振舞われてきました。その概念をまずクラッシュしておきたいのです。

横浜の近くにある、ある有名な商店街の中に名物おばあちゃんがいまして、その人は朝から晩まで一言もしゃべらずに 一度も接客をすることもなく只にっこりとしてお店の真中に座っているのです。勿論若い頃は口八丁手八丁で 商売にいそしんだのだと思いますが、今は座っているだけなんです。ところがこのおばあちゃんは「居るだけ」で 大変なビジネスをしているそうなんです。つまりそのおばあちゃんを見にお客が寄ってくるわけです。
その商店においてはこのおばあちゃんは殆ど全てであり、ビジネスを成功に導いている最大の功労者とも言えますが さて「経済」の視点で見たらどうでしょう。このおばあちゃんの全存在は”どこにも”表現されて出て来は しないのです。そこに近代が育てた「経済」という概念の罠があるわけです。すなわち既存の経済という枠組みでは もっとも大切なわたしたちの生き様や全存在を「語り得ない」代物なのです。そんな狭隘な概念にわたしたちの 生活総体を委ねることはできませんでしょ?ましてやそんな代物に政治が左右されていいわけないでしょ。
ですから、マスコミがもろ手を挙げて「経済・市場が政治を動かす!」などと喜んでいる姿を見ると情けなくなる わけです。21世紀の経済を語るときにはやはり、わたしたちの生活総体を語り得る新しい言葉が本当は欲しいわけです。
私自身は”そのこと”自体をCREAMONIC-LIFEなどと定義づけていますが、話がややこしくなりますので、 とりあえず、この連作においては、生活総体を語るんだという意気込みをこめた「21世紀の経済」という言葉を 使うことにします。

20世紀の後半に特に伸張した「経済という括りで何でも見てしまう」という切り口は、ここに来てかなり変容しています。 そういう実例には事欠きませんがここでは割愛します。是非皆さんも、「経済を超えた」わたしたちの生き様の中での 「産出」「交換」「消費」「市場あるいは場」「循環」が起こっている現場を確認してみてください。 それが本当の私たちの姿なのであり、広義の意味でケイザイなのです。
言うまでもなく、わたしたちの全存在、生活総体、経済上のやりとりの順で優先となります。 「経済」という聞きなれた言葉と概念をまず捨象し、あらためてその定義と優先順位を形成するところから 「21世紀経済のデザイン」はスタートしなければならない…という話で相当の分量になってしまいました。 次回は、「20世紀と、21世紀を俯瞰」してみます。

  


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