”慧”小論文


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Conceptual- Design- Laboratory

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1998年-10月23日…21世紀経済のデザイン-3-地球連邦サイバー銀行…文責;山口泰幸

経済という言葉が想起させる内容としては、たとえば企業経営、収支、銀行預金、安売り…等々が殆どの昨今ですが、 諸価値が生み出され、交換され、流通され、消費されていくプロセスの中では、必ずしも価値の表徴としての 貨幣の移動を表記することによって明確化されるいわゆるそうした”経済”の概念枠組みは、わたしたちの 生活の一側面を語っているに過ぎません。言語というものが人間の全存在を語り尽くせないのと同様に、 そうした経済的な一側面は、私達が経済に関与する全ての面を語ることはできていません。ところが 「経済」と言って容易に想起される言葉や概念によって、あたかもわたしたちの生活総体が形成されうる, あるいは認識できるという、一種の幻想が存在していることも事実です。20世紀という極端に物質的に 豊かさを追求し、しかもその構造的な基盤として大規模な組織や大量・画一的な産出システムを擁した時代には 一経済的側面を計量し判断基準としていくことでよかったのかもしれません。…が、20世紀が残した負の遺産や 構造的な瑕疵を目の前にして、それを乗り越えていかなければいけない”今”、20世紀的な計量基準をそのまま 適用していては、21世紀の経済は見えてこないのではないか…。そういう視点から、その1、その2において、 「21世紀のわたしたちの生き様全体を”経済”」と見ながら、その生き様が20世紀から21世紀へとどのように 飛翔的に変遷していくのかを見ていこうということで、提議をさせていただきました。
その2で用いた図式において、本来は20世紀においても立体的な概念構造が設定できるとは思いますが、上記の いわゆる経済に対する一側面的な視座というようなある意味で偏頗しながらも単純化された見方に写像されている のではないかと意味で、2次元平面的に20世紀という時代をとらえてみました。
提議させていただいた21世紀の概念構造は立体であり複層的なものですが、その中心に”時代の魂”としての 意思や意識を明確に設定してあります。これは20世紀のように”時代の魂”を表記せずとも済んでしまうような 特異な時代ではなく、21世紀というのは”時代の魂”というような概念を認識ししかも明確に設定すべき 時代に入るのではないかという前提があるからです。
”ココロ”ですとか”魂”とか言ったキ―ワードは、本来は人間が生きていく=経済をしていくことにおいて 必要不可欠なものなのですが、20世紀にはそれが、”文学的な範疇”として、ちょっと経済やビジネスなどといった 分野からは、”敬遠=文字通り敬われながら遠ざけられること”されていたわけです。逆にその反動として 経済・ビジネスなどの切り口が、”乾いた”、”合理主義的な世界観”の中でとり扱われてきたことも事実でしょう。
ある生命体的な構造の中には、その中心に不可視ではありますが核=コアとしての”ココロ”や”魂”の部分が 存在します。いうまでもなく私達の生き様総体は生命体的でありますので、その中心にも必ず”魂”があるわけです。
21世紀的な対象を記述していくには、このように、今までは「理系対文系」あるいは「合理的と非合理的」あるいは 「ドライとウエット」というような2極対置の中で明確に区分けされて語られてきたことが、言葉の融合や 言葉の交叉を伴いながら表現ミックスされていかざるを得ないのではないでしょうか。これは語り得ることばの不足 にも起因しています。そう言う意味で、私の21世紀的対象に関する記述は若干奇異であり読みづらいかもしれませんが そういう主旨でお読みいただきたいと思います。
さて、時代の”魂”ですが。これはその時代に生きている人間が総体として概ね持っている心的な方向性のこと です。勿論個々の人々を個別に比べれば千差万別、種々雑多な心的方向性があると思いますが、あくまでも その時代に生きる人々が何となく全体として持っているあるいは感じている方向性…のようなものです。
先述のように、表記はしませんでしたが20世紀にも当然時代の”魂”はあったと思われます。それをその2で 次のように表現しました。すなわち…20世紀とは「国家という呪縛に閉じ込められた、 地球上の地表を主な活動範囲とした」、「神を実は対峙関係に押しやって、人為、”人間主義”がなによりも優先され」、 「戦争や破壊による”排他・利己”による富の収奪を主軸とした増殖」の時代…で、その”魂”とは「他からの流入 による自己(のみ)の飽くなき繁栄」にほかなりません。これに対し、21世紀とは 「宇宙の根本原理に抱かれながら運行する太陽系の視座において捉えられる惑星地球という”場”で」、 「宇宙の原理への真摯かつ深遠な探究をベースに、神の現れの局面としての人間を自覚しながら」、 「精神という不可視な対象を中軸に物心両面を尊重しつつ、利他による創造によって豊穣なる世界を現出する」…で その時代の”魂”は「自己の創造を流出源とした宇宙全体の豊穣と調和」ということになります。
つまり時代の”魂・ココロ”のフェーズチェンジが生じるとみているわけで、この差は極めて大きく、その他の 構造的な展開にも多大な影響を及ぼすものと考えられます。フェーズチェンジ確証の論拠は…と言われると なかなか演繹的な方法論では実証することはできませんが、政治や経済、はたまた天変地異、商品動向やテレビ番組等々 取り巻く環境の変化の積分値が、そういう基本仮説設定に向かわせるとしか申し上げようがありません。
その2の図表で提示させていただいた、21世紀の時代の”魂”の簡潔表現としての「INORI・祈り」ですが、 この言葉には上記のフェーズチェンジの重大な局面である、”思いの流れ”の逆転現象をこめています。 言葉の表現上の(ある意味で奇異的な)響きを超えて、その逆転の意味や意義を汲み取っていただければ幸甚です。 先述のように、21世紀を語るために、より適切な表現が不足していることもありますが…。
尚、「INORI・祈り」に関する補足説明はココをご覧ください。
………
さてさて、実はこれからが本日の本論なのです。上述のような21世紀の立体的で複層的な「生き様総体」の概念枠組みは 21世紀の狭義の意味における経済(金銭的なやりとりだとか企業経営だとか投資だとか云々です)にも大きな影響を 及ぼすでしょう。それをいくつか見ていきたいと思います。尚、「生き様」自体のご提案は、ホームページの別項「21世紀の生き様シリーズ」 で、言及していきますので、この慧では、21世紀の狭義の経済について述べてみたいと思います。

21世紀の立体構造と呼応して、21世紀の狭義の経済も立体構造で考えていく必要があります。その大きな柱は 5本、さらにそのおのおのの柱に5本以上の下部構造があると考えられますが、以下は、それらのうち最も 構造的に重要で、しかも新たに構築すべき内容にに絞っていくつか述べてみます。

{多元基軸通貨}
富とは何か、価値とは何かを考える上で、1971年8月のニクソンショックは忘れることができません。ニクソンショック とはアメリカが突如それまでの金兌換貨幣ドルを非兌換に一方的に変更する旨を宣言したのです。これによって 日本を除く(鈍感だっただけ)各国は直ちに市場閉鎖を実行したくらいです。価値観が変わるとはこれほどまでに 凄まじいことなのです。
富とは何か…正負両方を合わせればわたしたちが生み出したものやこと全てと自然の恵みです。その富に人間の価値観 という作用が働いて価値が生まれます。その価値をエッセンスにおいて表徴したものそれが貨幣です。
極論をすれば1971年のニクソンショックまで、なんらかのかたちであらゆる貨幣は、その出所たる富を背景に 有していました。多くの近代国家がそうであるようにアメリカもそれまでは、金という鉱物がドルという貨幣の 背景としての富であり、価値を創出するものでした。言うまでも無く、いまでも金=ゴールドは価値を有しますが。 価値観の拠り代が金である場合も、米である場合も、鉄である場合も、土地である場合もあるわけです。
アメリカは1971年に価値観の拠り代を物体ではなく概念そのものに移行させました。この飛躍は凄いことでもあり またすばらしいことでもあります。そういう意味では未だに土地をしか信用担保にできない日本の銀行は 古い世界の住人でしかありません。本来富とは前述のように必ずしも物理的な定型物ではなくてもいいわけです。 本来富を生み出す主体は人間の価値観そのものにあると言い切ってもいいでしょう。むしろその価値観=信用担保 をどこに置くかが重要なのです。現在のアメリカは人間の能力という不可視な信用担保に価値観をおきます。
そしてそれに物的担保なしに資金提供するのです。1971年のニクソンショックはショックという呼称を十分に 凌駕して、価値観の本来の拠り代のあるべき姿や、それ以降の価値の増殖に貢献しました。
価値観とは人間が生み出すものであり、富とはその価値観という概念によって現出するものであり、信用担保 は本来は物にではなく、人間や人間の創造行為自体にかけられるべきものなのです。

さて、貨幣ですが、これは信用担保=不可視なものの反映であるわけですが、ドルについて考えてみましょう。
経済規模が19世紀以前のように極めて小さい場合は、信用担保を金や香辛料などの物理的担保物件においても 十分に成り立ちますし、特に鉱物としての金などは存在として強固ですから、金兌換貨幣や金そのものが貨幣の場合 経済を安定的に成立させることができます。ところが、人間が生み出す富が増殖に増殖を重ねていくと、当然の ように、富の中のかなりの部分が抽象的な存在によって構成されてきますので、いきおい、物質による富の裏づけは 不可能になってきます。人間だとか人間の創造性などは本来の信用担保対象であるにもかかわらず、金などの 物質に比べれば、”信用が不安定であり、うつろいやすい”対象であることも事実です。ですが、現在及び21世紀も すでに増殖に増殖を重ねた富を裏付ける価値観=信用担保は既に物質ではまかないきれず、抽象的な概念の世界に 委ねなければなりません。その起点が1971年だったと考えればよいでしょう。
さて、昨今、私も警鐘を乱打しているように、高度資本主義経済の最終章であからさまになってきた、金融経済 の破綻状況や、それを支えるアメリカドルの脆弱さが目に見えてきています。
なんと言っても現況の世界の基軸通貨はアメリカドル唯ひとつなのです。そこに陰りが見えてきました。 欧州共同体は、それを懸念し、第二の基軸通貨をめざしてユーロを1999年1月からスタートさせようと懸命です。
ところで、現在アメリカドルが世界の基軸通貨、すなわち、唯一世界の信用担保を委ねられる根拠はいったい 何でしょうか。これには言うまでも無く世界の中での圧倒的な経済的優位性があるでしょう。陰りが生じたとは いえどもやはり超経済大国です。こうしたいわゆる狭義の経済基盤の実力というものが世界の信用担保を担う 大きな役割を果たしています。さらに言えることが、実質的な”世界の警察権”を行使ているということがあるでしょう。
私としては現在アメリカが実際に行っている上記二つに加え、21世紀には、世界の信用担保をまかなえる存在には 「地球全体の防衛権」「地球人類の救済権」及び「高度な文化資産」を加えた5つの信用担保保証が世界の機軸 通貨発行オーガナイゼーションには必要だと考えています。
そこで考えなければならないことは、その世界的な不可視な信用担保を保証するオガナイゼーションが果たして アメリカだけで務まるのか、努めさせて良いのかという問題です。
上記、信用担保を保証できればそれでよいというものでもありません。そこには地球規模のフェイルセーフ機能が 無ければなりませんし、たとえばアメリカのような超強国が20世紀的な視点で、自分の都合の良いようにその保証を もてあそぶことを是認してはいけません。
そういう意味で、私は21世紀には多元基軸通貨構想が必要なのではないかと考えるわけです。 具体的には、アメリカドル圏、ユーロ圏、(大中華連邦)元圏、日本円圏さらにそれらの総合によって形成される 「地球連邦サイバー銀行」による五極の構造によって世界の通貨体制を安定的にかつダイナミックにハンドリングし、 それぞれが他の基軸通貨の危機を信用担保していくという概念です。ドル、ユーロ、元、円は全て紙幣による 貨幣の表徴システムを有しますが、「地球連邦サイバー銀行」が扱う貨幣は紙幣の裏づけがない、しかし 幻想ではない、コンピューター上のサイバーキャッシュのみを世界共通で扱うものとするわけです。 後述する、金融経済における発散型自壊防御システムはこの「地球連邦サイバー銀行」が構築しハンドリングする ようにするわけです。

狭義の経済を安定的にハンドリングし、創造型社会の”創造場”をより多くつくりだすことが、21世紀における いきざまを真に豊かにできるものと考えます。まずはそのために地球規模の新しい経済構造である多元基軸通貨 システムと 信用担保保証体制を構築する必要があります。 とりあえず、今回はここまでと致します。

  


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