”慧”小論文


アナタの頭脳をサポートする…
(R)

Conceptual- Design- Laboratory

概念デザイン研究所の立体登録商標;「創造の生命場」
『概念デザイン研究所』は登録商標です。

by Yamaguchi Taikoh執筆者宛メール
(C)Copyright 1995-2001 all right reserved by Taikoh Yamaguchi
No download, No utilize please without asking!
 

1998年-10月30日…21世紀経済のデザイン-4-新しい企業会計基準…文責;山口泰幸

本題に入る前に前回からの状況推移について少し触れておきます。この10月に入って、特に下旬はデリバティブ とヘッジファンドに関する記事が非常に増えています。既にこの慧でも取り上げました「デリバティブの12月崩壊説」 について本日(10月30日)あらためて読売新聞が「投機マネーを追う」という特集記事で取り上げています。
再三登場している、米国の大手ヘッジファンド;クワンタムファンドの代表であるジョージソロス氏 が、10月下旬に、彼の金の卵であったクワンタムエマージングファンドという新興国市場に特化したヘッジファンドを ”閉鎖”しました。ヘッジファンドという金融ギャンブル集団が最も好んで使う商品であるところのデリバティブ =金融派生商品の現況での規模が読売新聞で紹介されていました。次の図をご覧ください。



1997年末のデリバティブ取引残高の総計が約40兆ドル強、それを成長曲線で推測すると、1998年末のそれは 最低でも約50兆ドル=6000兆円(120円/ドル換算)の超巨大な金額に登ります。これは世界の実体経済の指標でもある 世界総生産の約3倍に相当します。既にご紹介しているように日本の大手銀行19行のデリバティブ取引残高は 現在約2000兆円でなんとその1/3を占めています。ちなみに日本のデリバティブ取引残高は日本の国内総生産の 約4倍にも達しています。その図式から読み取らなければならないことは、「カモは日本だ!」ということです。
国内総生産の中での対比から言えば、日本は20%以下であります。またデリバティブを発明したのがアメリカ であることを考えれば、日本が世界のデリバティブの1/3も引き受けているということは、明らかに胴元がアメリカであり ”客”は日本だということです。来る12月末にはデリバティブの取引期限が迫っており、おそらくアメリカの 巨大機関投資家である年金基金はデリバティブから(ヘッジファンドから)一斉に手を引き始めるでしょう。
アメリカのFRBはおそらくアメリカのヘッジファンドやアメリカの顧客である年金基金等に非常に有利な 条件とタイミングになるように種々の規制緩和や規制強化策を打ってくると予想されます。そのとき一番ひどい 目にあうのは、言うまでも無く「カモである上客日本」です。後1ヶ月が勝負の正念場ですね。今次の状況と タイミングを見誤った企業は銀行であれ、製造業であれ、もしかしたら地方自治体であれ、とり返しのつかない 大打撃を蒙ることでしょう。

さて、前回その3の中で、21世紀の経済をデザインする上で重要な構造としての「地球連邦サイバー銀行」「多元基軸通貨」という概念を提議させていただきました。20世紀の経済システムとは飛躍的に進化するであろう 21世紀の経済システムの構造変化は上記の2つ以外にもまだまだ数多くあるでしょう。あくまでもこれらは その中の代表的な構造提案の仮説であり21世紀の世界観(既にその1、その2で説明)を最もよく表徴していると 言える構造変化なわけです。構造変化の最大のポイントは何と言っても、私達の生き様総体を、まるで 太陽系のなかに漂いながら、”青き地球”を見守りながら考えていくという姿勢に存在しています。
では、そういう新たに獲得できた経済構造の中で、いったい何を経済活動の視座に置いていったらいのか…。 それを考えてみたいと思います。

既に述べた20世紀の世界観のように、20世紀というのは特にその後半においては、アメリカを中心とした (彼らは”それ”を正義とも言うのですが…)「自己の肥大のための経済資本増殖至上主義」に席捲された 時代なのです。その視座の中心には「排他的な自己中心の思想」「拝金主義=経済資本最優先主義」 「そのための”機械的な”増殖及び増殖装置の是認」が横たわっています。現在絶対的な理想、あるいは絶対的な 正義かのごとく喧伝されているアメリカ発信の「グロバールスタンダード」とは何を隠そう、上記3つの ”20世紀的な彼らのテーゼ”を極めるための呼びかけであり、彼らの手中に既に陥落しているIMF もそうした”彼らのテーゼ”に則して動いていると言えます。そのテーゼの根源にあるのが資金に置きかえられた 各国のまじめな汗と智恵の結晶である富の収奪にほかなりません。蛇足ですが、かのIMFの基金の相当部分は 実は日本が拠出しています。収奪の構造は18世紀の植民地化政策以来不変ですが、その対象が「人的資源」 「物的資源」の収奪から、「資金」の収奪へと巧妙に変わってきているわけです。
そうした”彼ら的・20世紀的”な地球規模の経済視座は「金銭の生みだし」と「その収奪」が基本であり、 極めて歪んだ視座であるといわなければなりません。
私達が生み出すもの、生み出しうる対象とは本当にお金だけなんでしょうか、またお金に換算できる 物体だけなんでしょうか。さらに、自分の分け前を、「人を踏み台にする方法によってのみ豊かにする」という 方法しかないのでしょうか。…結論は否です。

21世紀的な経済の視座においてまず重要なことは、私達が生み出す富とは、決して現在のように金銭にすぐに 化けてしまうような対象だけではないという、「生み出し得る富の概念枠組みの拡大」です。 ここで言う富とは既述のように、人間が価値観をベースに価値を置くことのできる対象すべてです。そう言う意味で 自然の賜物も、人間が作りだしたものも全てと見の対象となります。…で、その富には言うまでも無く物体もありますし、 情報も、人材(人を育てるという行為と結果)も、技術も(職人さんのカンコツや秘伝なども含む)、 そして文化(新しい存在の意義を問うという意味も含めて)も人間が生み出し得る対象であり、富であるわけです。
いままでもそれらの対象は人間が生み出してきているわけですが、現況の経済システムの中ではそれらのなかの ほんの一部が金銭に換算可能であるがゆえに経済の対象として認知され、それが人間の生み出し得る富の 総体であるかのごとく扱われてきたということでしょう。そこで捨象されてきたもの、それは膨大な潜在的 富であると考えられますが、”彼ら的な見方では”「そんなものものの数ではなく捨て去るべきもの」という ところなのでしょうが。ところが潜在的な富を捨象しているがゆえに一見人間が生み出す価値は少なく、 その少ないとみなされる富を他を犠牲にして収奪してもよいという都合の良い概念が生じているのではないでしょうか。
人間が生み出す富はすこぶる大きなものであり、基本的にその富は「生み出した者に帰属する」というのが 正しいのではないでしょうか。つまり富を得たければ「自らが創造することを努力し、その結果を正当に 得なさい」ということであり、また「生み出し得る富は大きなものだから他人の富を収奪する必要も無い」という のが「宇宙の理へ帰還する」考え方であると思われます。
たしかこのような文言はモーゼの十戒にも刻まれていたような気がするのですが…。それがどこかで大きく歪曲 してきてしまったのでしょうか。

このような視座は「富の創造」と「その分配」という2点をとっただけでも20世紀と21世紀とでは非常に大きな 差になります。こうした潜在的な不可視な思考の枠組みが実際の世の中の現出に大きく影響することはいうまでもありません。
そこで重要なことは、潜在的で不可視であるがゆえに実効性を持たせるためには、より目に見える形で、もっと 積極的には法制化の支援を得ながら、こうした視座を確定し浸透させることが必要であるということです。
具体的には、別項の「21世紀のビジネスシナリオ」で詳細を説明してありますが、 上記のような多岐にわたる富というものをそれぞれ”資本”として扱いながら、生み出す富総体を「複合資本」として あらためて明確に提議し、提起していく必要があるでしょう。
現在の企業というのはある意味で”彼ら的”に都合の良い形態、戦略、基準を有していますので、矮小化された 表層的な富の生産に窮しながら、しかも機械的で先鋭的な企業経営の法律や一般ルールに喘ぎながら、 また、本来の人間の生き様を意識的にかつ不本意に置きさりながらただただ営利の増殖のみに邁進するという 状況があるわけです。現在頑張ってそれでもなんとかそうした極めて刹那的で悪い意味で厳格な、現在の経済 システムの中で”優等生を張っている””優れた企業”もあるわけですが、そのような企業ですら、実は”彼ら的” 自己中の精神の最終章でいとも簡単に「嵌められ消滅させられる」掌上にて弄ばれるという状況が容易に 予想できるわけです。狭義の意味の経済システム;たとえば企業経営の仕方や商品開発のしかた、市場の先読み等も含むような 経済システム運営上の戦術的側面;に綻びが出てきていることは言うまでもありませんが、実は経済そのものの 捉え方や経済を成立させる諸要素の根本的な構造や見方にまでその綻びが及びつつあるという認識が大切だと 思うわけです。
現代高度資本主義の精緻華麗な華でもある”企業”についても、経営手法や経営陣や経営戦略などの変革を 大きく超えて、新しい構造と視座の飛躍が必要になるでしょう。
その一つが経済資本のみによる計量ではない、”複合資本総体の計量による”新しい企業会計基準の法制化と それに則った運営です。
さらに、(これは既にいくつかの新しい提言や実行がなされていますが)いわゆる企業形態然とした 組織からの脱却で、その代表が既存の企業とそのグループおよびフレキシブルに流出入する外部、さらに 個人とによる”ウエッブワーク”を基本とした”自律分散協調系の開かれた組織”です。簡単に言えば 「あるようで無いような組織」であり、ハイゼンベルグの不確定性原理のように、切り口や見方によって その組織の姿が変化してしまうような、企業組織です。
そして、新しい経済システムの、やはりそうはいっても代表選手であるそうした企業の目指す方向が 先述の複合資本の増殖であり、その評価基準の一つが”適正利潤”でありましょう。これは松下幸之助翁が言うところの 「世の中へのお役立ち料」でもあり、シュンペーターがいうところの「創造的破壊に貢献すべき創造的な再投資 に向かわすべき余剰」です。適正という意味には、経済資本のみでない、複合資本という膨大な富を 適正にバランス良く生み出しつつも、富の収奪につながるような自己のみへの富の増殖を、自浄的に排除する ということが含まれます。さらに、複合資本の適正な増殖に貢献できない、すなわち「宇宙の理にかなった」 バランスがよく豊穣な世界の創造に貢献できない経営陣の交代という人事的な意味も含みます。
このような21世紀の経済=人間の生き様総体を進めるための視座を具体的にサポートする下部構造としての 企業の仕組みや制度、下部概念としての狭義の企業視座が、実際の21世紀経済推進には欠かせない戦略となります。
蛇足ながら、上記に絡めて、たとえば「経営陣チェック機能の革新」として「経営陣信任投票制度」「経営権の証券化」なども概念展開の中では当然出現し議論の俎上に上るはずです。…今回はここまでと致します。

  


keiheadtop