”慧”小論文


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Conceptual- Design- Laboratory

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1998年-11月2日…21世紀経済のデザイン-5-人材と可能性の生成化育…文責;山口泰幸

大蔵省の榊原財務官は今最も有名で顔が見えている官僚(お役人)でありますが、 彼のごとき人材が何を隠そう現代工業化社会の中で日本の高度な経済発展を支え続けてきた張本人であり、 いまや批判の対象でしかなく なった、かの大蔵省高官=日本の超エリートな訳です。そういう榊原氏をここで日本のマスコミが冒すような 扇情的批判をするつもりはありません。最近の氏の発言で、「おや?」っと感じることがありましたので、 そのことを話のオードブルとして書いておきましょう。
1970年代〜1980年代の大蔵や通産のパワーは頗るつきのもので、むしろ今のように悪い意味ではない、 良い意味における権限と品格と知性を醸し出していました。その時代、高度化され益々成長する資本主義経済 は科学技術と並んでまるで新しい世界宗教の輝ける理想のように、「絶対的な正義」としての位置づけを顕在 的にも潜在的にも、欲しいままにしていました。日本におけるその最大の推進者であり信奉者であるのが 、明治維新以降国策的に形成された東京大学を中心とする「国を興しかつ支えるエリート集団(ただしこれは 創造的集団というよりは知的集団であり、目標が明確で大組織においてその目標を達成するには最適の集団で、 今のような個的パワーが創造性をベースに諸世相を開拓していく時代には不向きではありますが…)」の養 成システムから次々と生み出された”優秀な官僚群”であります。その彼らの代表の一人が宮沢元総理=現 大蔵大臣であり榊原財務官であります。要するに彼らの心的、理論的存在のテーゼは高度な資本主義経済そ のものに存在している、(いた?)といえます。
さて、私が「おや?」っと感じたのは、10月末のテレビインタビューで榊原氏が次のような主旨の発言をしたこ とです。 ………デリバティブもヘッジファンドも確かに現況では監視や規制の必要性がある。ただし”彼ら”の理論 ですれば資本主義経済に則した手法を駆使しているわけで、必ずしもそのこと自体が違法ということではない。
問題は、あまりに世の中全てが「拝金主義」に陥ってしまったことだ。世の中にはお金では買えないものも ある。
しかし現在は全てのものが金で買えるようになってしまった(そうしてしまった)。そしてそのお金が想像 を超える量で地球上に溢れ、わたしたちのコントロール限界を超えている。………
というように、半ば”顧慮”と”感慨”を滲ませながら語っていました。私は彼のその言葉に、金融の最前線で悩む大蔵高官の、「それまで基盤としてきた高度資本主義経済への惜別の念」と「これから訪れようとする 未曾有の新しい経済システムへの期待と不安」を感じ取らざるを得ませんでした。そしてもうひとつ榊原氏が象徴的に代表する日本の官僚というものが、何かスポンと明日に向かって”抜けた”ような爽快さも感じました。
既に繰り返し述べてきているように、「明日の日本の経済システムの大筋」はかたちづくられました。そして 1998年の末、官僚の中に新しいベクトルの芽がふきはじめました。さらに、私の慧の提言と同期しながら 今までに無い積極性で、日本政府からデリバティブやヘッジファンドに対する規制・調整の考え方が提言され さらに、新興市場国を主に対象としたIMFに代わる新しい基金の創設(約3兆円規模を日本主導で設置)の 提案が日本政府からG7で出されました。う〜ん。なかなかいいんじゃないですか。最低限の準備はできつつありますね。
後は、体力を消耗しないで最終の経済ハルマゲドンを”やり過ごす”ことです。

さてさて今回も前段が大変長くなってしまいました。前回、前々回と21世紀経済のデザインの一端として代表的な地球規模の経済構造変化と経済的な視座の変更を提議してきましたが、今回は、新しい経済が向けるべき 矛先について考えてみましょう。既に賢明なる諸氏にはお分かりのことと思いますが、このシリーズを通じて私が言いたいことは、経済と言う概念は私たちの生きざまそのものであるという大きな概念枠組みの捉えかたと 経済の中における私たちの心性の方向性の逆転なのです。全ての顕現物はその背景にある大いなる潜在構造に影響を受け、その潜在構造の局面を写し出します。経済=私たちの生きざま総体にあっても同じで、現況起こっている諸現象は20世紀的な経済の潜在構造の反映です。つまりある時代にはその中心に顕在的であれ 潜在的であれ、”時代のココロ”あるいは”時代の意思や意識”なるものが存在し、ある意味ではそれが「全て」でもあります。その”時代の意思”が20世紀から21世紀に向けて不可視で潜在的に「飛翔する」のです。
20世紀と21世紀では、”時代の意思”が「自己中の精神という内部吸引の方向」から「宇宙的精神という他への放射」へ、”まるで逆転”すると私はみているわけです。今回の事例で掲げた、榊原氏の吐露はまさにそういう図式の一環として捉えることができるのではないのでしょうか。
さて、この中心のベクトルの大逆転はあらゆる方面に影響を及ぼします。それを「構造変化」、「視座の変化」で見てきたわけですが、そのことは「私達の主たる関心事」にも大きく影響をすることでしょう。

今次の地球規模の金融大波乱の根源的な要因を考えてみましょう。私が「金融大魔王」、「金融大魔帝国」の 門番と揶揄してきたジョージソロス氏の顔を良く見ると、実に賢そうで涼しそうな目が印象的です。そういう彼が最近積極的にデリバティブ規制について語り、ヘッジファンドのありかたについて再考をするかのような発言を繰り返し、はたまた多額な福祉のためのお金を寄付していることに鑑みるに、おそらくソロス氏にも榊原氏と別次元ではありますが、それなりの高度資本主義に対する”思いと省顧”があったのではないでしょうか。
その問題意識の本質は、先述した「排他は終局、排自に至る」、つまり「他から奪えば、最後は自らを奪う」という宇宙の理の本質を感得してしまったのではないでしょうか。
グローバリズムの本質的な落とし穴がそこには見え隠れします。高度資本主義経済の最終章で彼らは大きな 勘違いをしました。そのひとつが、グローバル化=無際限化という誤謬です。確かに国家に比べれば地球は広いのですが、むしろ概念的には”国対国レベル”の19世紀的な世界観の方が空間的には発散しており、 グローバル空間は物理的には広いのですが、宇宙の中の一つの自律した「際限があり完結している」空間なのです。
その空間にたいして彼らは、無際限の空間のごとく、他からの収奪は是であり、自己を永久に増殖させるという 勘違いをしてしまったといえます。もう一つがグローバルな市場(ローカルであっても)という対象を客観的にハンドリングできると過信し見誤ったことです。ハイゼンベルグが言うように、私たちは宇宙の一員であり、私達にはあたかも全く別の世界から 宇宙を客観的に認識しハンドリングすることなどはできないわけです。要するに「観測は観測者の観測行為によって観測結果が変わってしまう」ということなのです。従って、自らが含まれるグローバル市場において、 無際限に他から収奪のみを続けることが、巡り巡って、「そうするものへ跳ね返ってくる」という、まごうかたなき 宇宙の理が今次、彼らの頭上に降り注ぎ始めたということでしょう。それを”賢明なる”ジョージソロス氏は気づかないはずがありません。
21世紀には人間が本質的に内包する”魔”の部分が、”魔”を乗り越えた叡智によって 総合的に包括され、調整されていく…そんな大きな大前提が必要なのです。その図式はひとり経済にとどまらず、拡散されすぎた核の管理や発達しすぎたサイバーウエッブ等の次なる”魔”の出番をも賢くさばいていく ことにつながるといえるのです。

具体的な「関心事」のお話として投資と特許について21世紀的な方向性を述べてみたいと思います。

榊原氏がいみじくも指摘している「拝金主義」とは「自分がお金を儲けるためならば何でもする」ということでも あります。この20世紀的な本質的には的外れでありながらな、一見正しそうなテーゼがマトモな人間までをも隠れ蓑的に誘惑しています。例えば、今次のマレーシアやロシアの経済破綻がそうですね。日本とは格段に違って(アメリカだってそうなんですが)これらの新興市場国では実物の富をそれほど産出していませんし、その蓄積もありません。

日本では既に今次のような金融覇権闘争が始まる前までにある程度の、否相当量の蓄財がなされ、世界の債権国になっていましたので、急激な国際資本の流入と流出が起こっても、まだ1200兆円もの個人資産が現物で国内に残っているくらいです。…が新興市場国では、殆ど何も無い状態で、表層的な経済システムだけが超先端になりそこに外資が膨大に流れ込み、そして膨大に引いていくわけです。こんな金融大津波に立ち向かえるわけがありません。マハティール首相が暗黙裏に人間を信じていた以上に、高度資本主義の拝金主義的テーゼは何らの呵責もなく、たんに彼らの資金の増殖のみのために、新興市場国そのものを食い尽くして去りました。タイガーファンドやLTCMの一部の人々が年利40%の”利益?”を挙げる傍らで、これらの国々には国内暴動が起こりました。
「資本主義のルールはそうなんだ」…と安穏に片づけられましょうか。その挙げ句がロシアの経済破綻によるアメリカ系ヘッジファンドの手ひどい大負けです。何とLTCMの救済にFRBまでが陣頭指揮をとり、いままで日本に対してさんざん 「護送船団方式云々」を声高に言っていた面々が、恥も外聞も無く、また傲慢にも、LTCMにたいして「完全看護方式!!!」とでもいうべき金融救済をしたわけです。
…で、私たちの投資の向く先とは一体本当はどこにあるべきなのでしょうか。
私はそれは唯一、実物の富(勿論サービスや文化価値などの無形で不可視な対象も含む)および、実物の富を生み出す可能性=人間の創造性に向けられるべきだと思うわけです。現況のヘッジファンドのありようのように、実物の富の産出などにお構いなく、とにかく資金の流れが発生する所から後先構わず資金を掠め取っていくという、殆ど投機である投資や、日本の銀行が固執しているような不動産や物的資産にのみ投資をする 行為は今後は本質的投資ではないとして大きく再考する必要があるでしょう。その代わり、人的な可能性や国全体の創造性に対する信用の裏返しとしての投資はどしどしやるべきだと思うのです。
これは、自分が太るためにではなく、「人を育てるために」お金というものはかけるべきもので、投資の本質は 「人材とその創造性の生成化育」にあるということです。人間、そしてその可能性という資本こそが宇宙的な無限の資源なのです。土地だとか貴金属だとか、ましてや虚無の投機的商品などといった矮小な対象へ目を向けることを離れて、無限の可能性にこそ21世紀の投資は向かわなければなりません。このためには、単に 金融のシステムや金融機関のありかたなどを弄くるだけではいけません。理論的に無限の可能性に投資をする と言う意味を構築し、それを流布し、教育していくという文化的な取り組みが不可欠なのです。

話は変わって、特許についてですが、先述の人間の可能性に投資をしていくと言う意味に於いては、現況のように、成立した特許を閉塞的に保有するというのはいかがなものなのでしょうか。松下幸之助翁が言うように オリジナルの発案者には相応の「社会へのお役立」の報酬が与えられてしかるべきです。しかし、本来新しい考え方や技術は、「お役立ち料」を頂いた後は、先述の「人材と可能性の生成化育」のために、公の情報として 無料で伝播されるべきなのではないでしょうか。そうした流れの中から、次の新しい創造が間断なく続けられることになると考える訳です。21世紀を創造型社会にし、人間の可能性に大きな投資が向くようにするには、 情報は「あまねく与えられる」という構造が必要なのです。勿論必要の無い人に貴重な情報を無料で与えることもありませんが、情報を得ようと努力する人には無償で貴重な情報が与えられる…これがひとつのポイントになるのではないでしょうか。インターネットでは既にそうした状況がある程度できはじめていて、「叩けよさらば開かれん」、「求めよさらば与えられん」という世界が現出しています。
このためには特許制度を抜本的に改革する必要があるでしょう。例えば、”公的な特許買い付け機関”が”税金で 個人や企業の特許を買い取り、その特許の使用に関してはオープンにしていく”というものです。 現在20世紀的な資本主義経済の最終章で、実際にし烈に競争しながら、特許を経営戦略の糧にしている企業も多い中で、特許に関するこうした提議は議論百出でしょう。…ですが、21世紀的な経済を包括的にデザインしていくなかでは、特許とは何か、特許的な情報は秘すべきか公開すべきかという論議は避けて通れない 問題であり、少なくとも「人材と可能性の生成化育」と「そのための投資」の視点では、”本来情報はあまねく 公開されるべき”…という結論になるわけです。

宇宙には無限の叡智が眠っていますが、人間はその探究の努力こそすれ、お金でその叡智を引き出すわけではありませんし、また逆に宇宙が人間に求めるものも対価ではなく、ひたすら人間の自助的な向上と ひたむきな創造への努力でしかないでしょう。

今回はここまでです。後2回ほどこの連作は続きそうです。

  


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