”慧”小論文


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Conceptual- Design- Laboratory

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1999年-4月20日…センターメーターの奇々怪々…文責;山口泰幸

日本いや世界有数の自動車メーカーのTVCMを見ていて妙に気にかかることがありました。ぼんやりとうたたねをしながら
TVを見ていた私が、ガバっと起きたのですから、それは非常に妙な言説だったわけです。
”人間工学的にも優れたセンターメーターを採用し…”。これはちょっと、というか極めて違和感のあるキャッチコピーだったわけです。 センターメーターとは車の室内のインストロメントパネルの丁度真中にシンメトリックかそれに近い状態で設置されたメインメーターのことを言います。 自動車業界の「常識」では、人間工学や感性人間工学の実験結果では、明らかに二十数年来ステアリング上方の、前方視線と交差するロケーションが 「運転情報系の第一等地」であり、そうであったはずです。それがこの数年、いや何ヶ月かでその工学的な見解が発想転換してしまったのか…
「これは裏に何か大きな流れがありそうだ…」というのがそのときの私の印象でした。それから約半年、裏づけを探して見ました。
人間工学的な知見上の優劣はともかく、確かにセンターメーターはひとつの流れになってきていて、いかにも第一等地的な存在感をかもし出していました。 東京の総合ショールームで確認した結果、一部の高級車や走りクルマを除いて、RVやセダン系にかかわらず、さらには未来のコンセプトカーまでもが 「センターメーター化」の流れに乗っていることに改めて驚きました。私の驚きとは、そういう新しい潮流があったのかということでは…勿論ありません。
私の嘆息にも似た驚きとは、「ああもはやここまで自動車産業は追い込まれたのか」という実感なのです。
私の見る限り、(そこそこセンターメーター化でうまくはまとめているものの)センターメーター化の本質は、激烈なコスト低減競争の現われでしかありません。 激烈なコスト低減競争には既に消費者優先などという甘いロマンは無いのです。シンメトリックを前提としたセンターメーターは構造的に左右両ハンドルに 対応可能で、しかもセンター部分のモジュルー化により、極少数のインストプラットフォームで対応が可能となります。早い話が、巨額な投資が必要な 「型代」が非常に浮くわけです。この人間工学的な反論を敢えて覚悟で一大展開に出たのはトップメーカーのトヨタです。当然この流れは世界に波及することでしょう。 しかし、激烈なコスト低減競争は自らの命も縮めます。つまり一度センターメーター方式をコスト優先で採用すると、その呪縛からは永遠に抜けきれないことになります。 センターメーター方式(に代表されるようなコスト優先主義)は必要悪的に必要ではあるかもしれませんが、その自らを閉じ込める規制枠の中で、真にユーザーに 受け入れられる商品をデザイン的にテクノロジー的に創出しつづけることは至難の技です。
…で、半年経った現在別の角度から分析してみると、次のようなことがわかります。すなわち、今流行りの「キャッシュフロー」による計測をすると、トヨタは 極めて悪く、その売上、利益からは予想しにくいような、「現金不足」状態となっています。同時に、日本の自動車メーカー中、過剰設備が営業利益を逼迫している 状況では、悪い方から2番目というのが現状です。これは、つまり、かの花形の超優等生トヨタでさえも、過剰設備(=売れる対象への設備投資が不適切)に 困窮し、フリーキャッシュフローからは有効な先行投資がしにくい状況に陥っているということなのです。私は、こういう状況こそが、20世紀から21世紀へと 変容する大きな流れの中で起きうる大事象ではないかと思うわけです。

20世紀の高度資本主義経済の花形であった大企業、その中でも超優良企業こそ、この大転換時に最も危ういということなのではないでしょうか。 それは、危うさが内在されており、20世紀的な古い価値観や計測からは、一向にそうした瑕疵が見えてこないからです。しかし、センターメーター化や トヨタのCM戦略からそれがこぼれ落ちるように見えてくるというのは興味深い話ではあります。

さて、自動車産業のみならず大方の20世紀的な大企業は上記のようなコスト低減競争に明け暮れていますが、自動車の再編劇に代表されるような 動きの基本は、「大型アライアンス=互助連合」であり、(20世紀のような画一的巨大ピラミッド体制ではない)、その戦略の基本は、 「低コスト化」「高品質化」「高効率化」であります。自動車産業はまずはこの流れに沿って再再編されつづけ、グローバルに10社くらいの塊に 落ち着くのではないでしょうか。これについてはまた別途紙面をあらためます。…で、その流れが正しいかどうかで言うと、半分正解で半分間違いだと 思うわけです。前者の流れは私が以前から言及している「”素材化”されいく大企業の行く末」の一環であります。これに対して、中規模ながら高付加価値を 商品化できる能力が問われ、そこから真の21世紀的な富が膨大に多様に創出されると考えられますが、これらの二つの相反するような動きが ない交ぜになって、21世紀の新しいモビリティサービス産業は形成されるのではないかと思うわけです。おそらくトヨタは、苦しい先行投資資金の 中からも、経営判断主導によって当座の赤字を覚悟でも、後者のための先行投資を行うでしょう。日本企業としてそこに期待もしていますし、 そうでなければトップ企業の名が泣きます。

本日朝刊に大きく、トヨタとGMの環境自動車に関する技術提携の話が出ていましたが、これなどは当然の流れであり、「”素材化”されゆく大企業」の 生き残り戦略上、ごくありうる方策でありましょう。トヨターGM連合=約1600万台(グローバルシェアの約40%)はトップ連合として非常に安定的な 数値であり(別途分析します)今回の提携はおそらくそのまま進化していくことになりましょう。

ただ、私が本質的に申し上げたいことは、そうした21世紀の大潮流として当然考えられるような大同団結を基盤としつつも、それを潜在要因として 活用し、新たな高付加価値、文化価値を真に創造しうる企業が21世紀には真に必要ですし、多くが輩出されることだろうということなのです。

トヨタの経営戦略の根幹は持ち株会社による巨大支配ですが、もしそれが上記の前者のみのような視点での大連合であるのならば、21世紀的企業 としてではなく、「巨大な”素材産業”」として、「美味しく使われていってしまう」ことにもなりかねません。

今回の自動車大再編劇は残り数年のうちに(あと数回は大波乱があるでしょうが)収まり、その後からが本当の勝負になるでしょう。 そのとき、中規模の全く別の新進企業が、”素材化された大企業”を足場に、面白くて消費者に本当に喜ばれる優れた商品を創造しつづけているのでは ないでしょうか。私はそれを期待しています。勿論そういう新たな企業群を既存の大企業が新たに生み落とすことは…いくらでも可能なわけですが…。

一見大潮流と見え、かつそのしがらみに縛り付けられているといえる「低コスト」「高品質」「高効率」は、部分的な条件でしかありません。 ましてや、それにのみかかわずらって、消費者の真のニーズを忘れているのならば、………

  


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