1999年-5月22日…21世紀のグローバル自動車シェア…文責;山口泰幸
20世紀型の自動車産業が斜陽であることは幾度と無く申し上げてきています。…が、自動車や自動車産業自体が消失するわけでもありません。
自動車という物的な単品商品を大量・画一的に生産し、地球上に排出していく、20世紀を代弁するような形態としての「自動車産業」は過去のものであり、
生産方式も、市場適用も、テクノロジーも雇用形態も全面的にメタモルフォーゼしながら、「移動空間サービス」を提供する21世紀型のモビリティ産業は
これから進化・増殖することでしょう。その担い手に最も近いところにいるのが、既存の自動車産業群であるわけですが、これに新進の企業群が
参入してきながら、基本的には増殖するであろう21世紀のモビリティマーケット総体のシェアの獲得競争にはいると考えられます。
単一で画一的な、いわゆる「金太郎飴」的な既存の巨大規模自動車企業ではなく、多様で複相的な企業群のアライアンス(互助連合)によって、21世紀
のモビリティ産業を支える巨大母体が形成されるでしょう。
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さて本日のテーマは、進化・増殖すると予見できる未来のモビリティ産業総体のシェアがどうなるのだろうかという予測です。21世紀のモビリティ産業が落ち着くまで
早くて5年、長ければ10年はかかると言えますが、おおよそこのあたりに落ち着くであろうという未来予測を概念デザインしてみます。今までの経験と実績で言うと
弊所の予測は約5年後にはほぼ成就されます。ただし、5年も経過すると、誰がそういう予測をしたのかは霧のかなたに埋もれてしまうのですが…。
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概念デザイン手法の根幹を占める未来予測の大きな部分を担うのが、「自然の哲理に即した観相」であり、これは自然現象というか、宇宙の根本原理を
踏まえつつ、事象の推移を「止水明鏡の心境=真澄のココロ」で見守るかということを意味しています。この哲学的な論考に付いてはまた別の機会に
譲り、本日は「自然の哲理から導き出される結論」としての「共生の安定」について考えてみます。
シェアとは「安定後の共生のありよう」にほかならず、これは自然の哲理に従うと言う推論から、21世紀の自動車シェアを考えるものです。
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私たちを取り巻く自然。その構造の精緻華麗さや「工夫の妙」に感動を覚えることすらありますが、その一つに通称”フラクタル分布”あるいは”ジップの法則”
と呼ばれる、大きさと順位に関する分布があります。これは簡単に言うと、例えばあるものを大きい順に並べると、非常に美しい並び方をするということであり、
順位とその大きさの積が常に一定値をとるということなのです。
具体的な例でもう少しわかりやすくいうと、日本の湖を大きい順に並べて順位との積をグラフ上(便宜上両対数グラフ)にプロットしてみると、1位の琵琶湖、
2位の霞ヶ浦、3位のサロマ湖…と、次々にある一定線上に分布するということです。これを図示すると1図のように逐次布置されていくわけです。
(武者利光氏著;ゆらぎの世界から引用)
これを数学的に表現すると、横軸である順位をx、縦軸である量をyとすると、 x・y=a がどのxとyの組み合わせについても成立するということになります。
両対数でとるということはこの式が線形一次式に置きかえられるということで、logx+logy=loga→Y=−X+Aとなります。このあたりは数学が好きな人には
わかりやすい話ですが、数学が苦手な人は、とりあえず、「自然というのはそういうきれいな分布をしているんだ!」と思っておいてください。
私自身も一応理系出身で企業の研究所にも籍をおいていたこともあり、このことに強く関心を抱き、実際に自分で実験をしてみました。その結果が
2図であります。これは大磯海岸(湘南にある海水浴発祥の地で、小砂利が美しい海岸)で無作為に両手で掬った数十の小砂利を、大きい(=重い)順に
並べたものです。標本数が少ないために若干のばらつきはありますが、やはり上述のフラクタル分布が認められます。
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例えば100個の自然界の小砂利を取れば、99個が全部100グラム近くで、一個だけ10グラム…というような分布は無い!ということなのです。
幼稚園児が向こうから100人やってきました。最初の子供だけが身長40cmであとの全部が80cmであるということは、「よほど人為的にそうしなければ」
そういうことはありえず、「それなりに大きい子も小さい子も」適度に分布している…これが自然界の安定性なのです。
このことから、一律的な現象にはその裏側に人為が存在していることが垣間見られるということにもつながります。
20世紀的な超画一的・大規模というのはまさに「人為」の極みであって、是非論はさておいても、「超人為」の時代であったという特殊性にこそ
着眼する必要があるわけです。…ちょっと話がそれました。
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20世紀が人為の時代であったとしても、その結果は自然の哲理に支配されつづけるというのは、また興味深い話なのです。
自動車のシェアもこの哲理から逃れることはできません。逃れられないというのは、人為的に無理をしても自然の安定化力によって、常にフラクタル分布
になるように動いてしまうと言うことで、一旦序列化競争が終わると、その安定化されたフラクタル分布は強固であると言うことです。
従って、未開拓の市場における初期序列化競争にはそれなりの戦略と体制を持って取り掛からなければ成りません。しかし、一旦序列が形成されたのならば
その序列を保つのが最も無駄なく、無理無く自然の哲理に沿った安定化共生を行えると言うことに成ります。
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それゆえに、未着手の開拓分野を常に創造し、そこの初期序列化競争を勝ち抜き(自己に打ち勝つという意味になる)、結果、形成された分布を
最も少ない資源で有効に安定化を図るかということが企業戦略上重要に成るわけです。
もっともやってはいけないこと、それは既に形成されてしまった安定的な序列化分布を強引に回復させようとすることなのです。例えば、3位メーカーが
1位あるいは2位に返り咲くことは膨大なエネルギーを要します。中途半端な戦略でシェア回復を狙うと、それこそ「労多くして効果無し」という
無残な結末を迎えるでしょう。…私が本質に言いたいことは…宇宙の理に沿いながら、決して「無理」と「無駄」をしてはいけないということなのです。
力を注ぐのならばそれは先ずは新規市場開拓であり、その次が序列化競争なのです。そしてそのずっと後に安定維持が来るのではないでしょうか。
「創造」することが人間本来のお役目であり、それは企業についても言えることで、21世紀が創造型社会になる、(本来の姿に立ちかえる)という
ゆえんもそこにあります。
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それでは最後に21世紀の自動車産業のシェア計算をしてみましょう。これはどの産業・企業にも敷衍できます。
今回は21世紀のモビリティサービスの規模そのものには言及しませんが、例えば現状のグローバルな自動車生産規模約4000万台・年間をシェアの
基準にしても良いですし、今後開拓されるであろう新規市場を勘案して、グローバルに年間一億台としてもよいでしょう。
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グローバルに10社(あるいはグループ)が生き残ったとして、年間4000万台を安定的に分け合うとすると、1位グループの安定シェアは34.1%で約1300万台の生産規模になるでしょう。
一億台規模になるとすると、1位グループは3400万台を確保しなければなりません。いずれにしても、現在の自動車産業や企業の合従連衡だけでは
21世紀のモビリティの「生息分布」に応えることはできません。ここにこそ将来戦略が必要となってくるわけです。
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現在かまびすしく喧伝されている「400万台クラブ」の論拠が一体どこにあるのか…私にはわかりません。
20世紀型超巨大企業が、20世紀的な会計基準や経済資本に基づく評価によって、とりあえず生き延びられるための指標が「400万台クラブ」という
言説であるのならば、それは誠にこころもとない指標と言えましょう。もはや、20世紀的な構造だけではなく、価値観や評価そのものまでもが大きく変容しようとしている
時期に、古い手法の一側面的な予測は何らの指針足り得ません。
私自身はモビリティサービスの市場規模は現状よりもかなり膨らむと考えております。そうした視座で言うと、21世紀のモビリティ産業の第1位はGMでもなく、
フォードでもなく、トヨタでもダイムラクライスラでもなく、”もっと別の大きなアライアンス”が起こるだろうと考えています。要するに、自動車はまだまだ先など見えていないのです。
これからが本当に面白くなるわけです。それは全面的なリスクでもありチャンスでもあります。
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先ずは、「モビリティのビジョン」「モビリティ市場の規模予測(当然中国なども含む)」「自然の哲理に即した分布予測」、こうした大胆な切り口から
21世紀のモビリティ企業の戦略を立て始めなければならないと思うわけです。