随筆集;「超古代巨石文化」


随筆集000;1/Dec. 1999

序論 Copyright(C) 1999 by Taizan(Taikoh Yamaguchi) @ Conceptual Design Laboratory


《超古代巨石文化探究ウエッブ》

1996年から私的な巨石探訪記である「泰山の古代遺跡探訪記」をONWEBしてから3年近くが経ち、おかげさまで累積50000件 を超えるアクセスを頂いた。この間、海外からもヨーロッパ、アジア、南北アメリカ、オーストラリア、スカンジナビア等から数多く のアクセスと電子メールでのコミュニケーションを頂いた。インターネットがわたしたちの価値観醸成や行動規範の形成に大きく関与 することをあらためて実感すると同時に、インターネットという21世紀的な”多元の目”が、人間の探究心を深く掘り起こし、質・ 量共にレベルの高い認識を可能にするということを体験してきた。

遥か2万Kmのかなたから、「アリューシャン海域に沈んだ船に隠されている秘密のシリンダー」の話が瞬時に伝えられ、ネイティブ・ アメリカンからサポートする旨の嬉しいメッセージが届く。気になる巨石のキーワードを検索エンジンに叩き込めば、写真付きの詳細 な解説が得られるのである。私はインターネットの”多元の目”はまさに”神の目”であり、21世紀という新しいミレニアムに入る にあたり、われわれ人類に神がプレゼントしてくれた”昇華ギア”であると感じている。少なくとも既にわたしたちは神の目のレベル において瞬時に、膨大に、立体的にものごとを認識することが可能となっているのだ。 「学問に王道なし」…とはもはや古き語り草である。王道がないどころか、王道を遥かに超えた次元とスピードを以って、わたしたち は”ある対象を”認識し、考えることができつつある。

日本にピラミッドがあるという話を聞いたのはもう20年以上も前になる。最初の10年はもっぱら文献や資料収集に終始した。その 過程の中で、「太古日本のピラミッド」を著した酒井勝軍(さかいかつとき)や巨石遺構探究の先人である鳥居龍蔵博士の名前を知る ことになる。酒井勝軍の大仮説となっている「太古日本のピラミッドは約2万4千年前の建造物である」という考え方と、鳥居龍蔵博 士の中国大陸、朝鮮半島、東南アジア諸国、そして日本全国に及ぶ実地見聞の足跡は、私の探訪記の直接的な動機付けであり、また最 大の心の支えでもある。酒井勝軍が何故、日本ピラミッドの建造年代を2万4千年前と同定したのか、それは未だに謎だ。しかも魅力 のある謎なのである。一方鳥居龍蔵博士の業績や足跡は彼の失われた名声とともに、未だにその殆どが山野に眠ったままだ。

霊的な世界や精神的な目には見えない世界を何らの疑問も無く肯定する私ではあるが、こと現実世界、特に探究や論考の世界観の中で は、むしろ現実主義、合理主義を優先しているのである。感覚や霊的なイメージの世界では、「超太古の文明の存在」や「スーパーテ クノロジーが展開する様子」を認識し、個人的に楽しむことは、そう難しいことではない。私のホームページを訪れる人のかなりの部 分は、いわゆる”そういう系統の”方々が多いであろうことは想像がつく。しかし実際問題として、超古代の文化の存在や価値観をあ る意味で公にしていくためには、どうしても確証的な”彼らの痕跡”が必要なのである。その痕跡を最も確実に残しているもの…それ が巨石なのだ。否、むしろ巨石あるいは巨石のような存在以外には、例え”彼らであっても痕跡は残し得なかった”だろう。その唯一 の微かな痕跡を探しながら、彼らの残してくれた”隠し絵”を解読することが私の探訪記となっている。

1980年代後半から、いわゆる「山に呼ばれる!」という感覚が強くなり、無性に山の中に入りたくなった。結果的には山を歩き、 巨石を探し、その意味を読み解くためにこの十数年間があるようだ。

現在独立して開業している「概念デザイン研究所」も、ある意味では、超古代文化の概念構造を読み解くために主宰しているような気 がする。…そう、超古代を解読するにはどうしても”言語を超えた次元で、彼らの考えた壮大な概念の構造を解明する必要があるのだ。 現在までで、少なくとも日本各地の日本ピラミッドや巨石遺構の”現地”を50箇所以上この足で歩き、この目で見、全身で感知してき た。その結果、言えることは、日本全土を覆うピラミッドシステムと、隠し絵として意味の有る巨石遺構が”厳然と存在し”かつ”今も 尚生き生きと活動しているものもある”という事実なのだ。…「超古代巨石文化」といえる”それは確かに在る”。そしてその遺構の中 に”彼らが込めた隠し絵=メッセージが在る”。

1996年以降のインターネットでの各地の紹介は、そうした現実をまず知って頂くために進めてきた。 特に写真を多く使い、しかも全国規模で掲載することで、そのネットワークぶりを具間見ていただきたかったのである。 1999年11月奇しくも、(巨石、ピラミッド、磐座群の宝庫である)岐阜県山岡町で第一回イワクラサミットなる会議が開催され、 全国各地で巨石文化に対する”まるで連動しているような”活発な活動に接し、私の古代遺跡探訪も”新たなるフェーズへと”進化すべ き秋(とき)であることを実感した。

また、今夏以降急速に私の周辺で新たな人脈形成や探究活動の輪が形成され始めてきている。 インターネットでONWEBしてきた写真や解説は真実や言いたいことのほんの一部分でしかないことも ここで、告白しておかなければならない。真実はもっと深く、広く、そして次元の高いものであることは 間違いない。…1999年12月以降、出来る限り、その真実を公開していこうと決心をした。

「時季まさに宜しく」、「封印は解かれた」…というのが今の心境なのである。

私の探究の目的は超古代の巨石文化の解読のみにあるわけではない。”彼らのメッセージ”を”21世紀以降の私たちの行き様”の中に、”新生させる”こと、それにほかならない。 あらたな探訪フェーズへのWARPを祈念して、「超古代巨石文化探究ウエッブ」の形成を進めたい。

…泰山…


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