歴史観と巨石文化考
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私の歴史観は万年単位です。 屋久島の縄文杉の存在を知ってから私の歴史観は完全に変わりました。 子どもの頃、中国やエジプトの紀元前何千年という時代が如何に遠かったことか。 でも今は違います。少し齢を重ねたからかも知れません。 キリストが居た頃の紀元0年頃が昨日に感じ、古代文明が少し昔…であるように 感じられるようになりました。どうしてそうなってしまったのか…を考えると やはり、「縄文杉」しかありません。科学的な検証の詳細はさておいても、 いずれにせよ7200年の樹齢という事実は衝撃的でした。7200年前といえば いわゆる教科書で習った人間の文明史よりもさらに以前です。樹木という生命体が、 7200歳の生命体が今ここに一緒に生きている…そのことに感銘を受けました。 縄文杉の千年前の記憶はどうだったのか、2千年前は…生まれた頃はと 想いを馳せていくと、なんだか縄文杉と同じ経験を積んできたような気になって、 そう考え始めると、人間が100歳まで生きたとすると、2000年前というのは 高々20回生まれ変わっただけなんだと…そんなようなことがあたまをよぎり、 夢想の中でぼんやりと眺めていた紀元0年頃の事物がすごくありありと感じられる ようになったわけです。一旦そういう感じを持ちはじめると、色々な歴史観が 大きく転回しはじめました。
人間にとって数千年というのはそれほど長い時間ではないということ、 数千年前も今も大体同じようなことを考え、同じような会話をし、 同じような生活を過ごし…ようするにそんなに進化はしてないんじゃないかって。 日本の歴史の中で紀元200年頃までがすっぽりと不明になっていることは 不自然の極まりだし、縄文文化がかなりハイレベルな芸術性の 高いものだったり (これは最近発掘が進んで証明されつつありますが)、 縄文人を原始人のように 見立てる学説がいかにも不遜に見えたり、まあ色々感じるのです。 最近思っていること。色々な地域の遺跡や文化の痕跡を直接訪ねてみると 少なくとも3回位は万年単位の大きなサイクルで人間の歴史が 繰り返されているようで そういう極めて古いものの上に古代の痕跡が残り、さらに現在の数千年の歴史が 積み重なっているように感じています。 1万年前〜現在迄の歴史の中でまず縄文文化と呼ばれる広範でかなり長めの歴史を整理、認識し、 さらにその上で 土台となっている巨石文化を見極めていくことが肝要ではないかと思っています。 つまり、縄文人も優れていたが、その縄文人はさらに超古代の巨石文化やテクノロジー を「見つめていた」のではないかと…。 人間は地球上にしかいない、そして人間は数千年の文化的な歴史しか持っていない…と 教えられましたが、
人間は地球上”にもいる”、歴史もものすご〜く長いと考える方がすごく 自然な気持ちになれるんです。数千年の樹木、数万年の巨石と一緒に遊びましょう。私たち人類の歴史、いわゆる有史はせいぜい溯ってBC5000年、今から7000年ほど前です。 その前は既存の歴史観では原始時代であり、約500万年前にアフリカ大陸で発生したとされる 人類の祖先から連綿と進化を続けてきた…ということに一応なっているわけですが、 現況のような一応人間としてレベルの高い文明あるいは文化形成を為し得たのは、 果たして今回が初めてなのだろうかという、大きな前提としての疑問があります。 とりあえず、この7000年の人類史を「我々の歴史」(手繰れるという意味で) と呼んでおくとすると、10000年以上前の「彼らの歴史」、そしてさらにその ひとつ前の「違う彼らの歴史」という認識が成り立つのではないかと考えています。 確かに500万年前の人間と今の人間とでは体力や能力(脳力)に差はあるのでしょうが、 少なくとも高々10000年前の人間と現代人とでは、生物学的な差はそうはありそうも ないのでは、という思いがしています。確かにコンピューターや自動車などは数万年前には なかったかもしれませんが、人間としての文化形成能力はそれほど違いはないのではないかと。 するといわゆる有史前の人間は、即ち7000年前、以前の地球上の人類は全て 原始的であったと考える方が推論に無理があるのではないかと。そう思うわけです。 現代の科学主義的なディスカッションの中では、それでは直ちに物理的な証拠を出せ、 そうでなければそういう仮説は認められない…と捨象されてしまうわけですが、 人間の全的な認識や判断の中では、必ずしも物理的な証拠主義に基づいて全ての 生活が営まれているわけではありませんから、科学主義的な手法論も当然踏まえながらも もっと全的に人類史を把握していきたいと考えるわけです。最も私自身も現実界に 生きている身としては、実証的な探究をベースに人類の古代史を考えて行くわけで、 そのために最も強固な物理的証拠物としての”巨石”に関心が向くわけですが、 仮説立案においては少なからず、全的な認識や直観的な把握、そして天啓なども総動員していきます。 本テーマの結論を急げば、私が巨石探訪や構造体としての日本のピラミッドを 探訪する基盤となる仮説は次の通りです。
1 人類史はおおよそ8000年〜10000年位のサイクルで少なくとも数回は 生成、消滅したのであろうこと。
2 今生の「我々の歴史」を一言で”金属と機械の文化”と称するならば、それ以前 には「巨石文化」と一括りで呼べる一大文化が存在していたであろうこと。
3 その「巨石文化」のかすかな香りとわずかな痕跡が私たちの記憶と生活に直接 影響を及ぼしていること。
4 構造体としてのピラミッド(ヤヒロドノあるいはヒラミツト)は特殊で神聖な 文化装置として地球上に遍在していたであろうこと。
5 「彼らの歴史」の記憶を不動の巨石自体と、言語を超越した真理の表現としての ピラミッドに遺産として残したのであろうこと。などです。
幸い、「巨石文化」を雄弁にかたりうる巨石遺構は日本国内、朝鮮半島、中国、そして 欧米にと、予想外に夥しく存在しています。それらの痕跡を紡ぎながら、やがて ジグソーパズルから「隠し絵」が見え始めるように、彼らの歴史としての「巨石文化」 が明確に見えてくると考えています。
私たちが単なる知的興味を超えて、人類の真の進化の様相をそこから如何に学び取るか、 それがいうまでもなく「巨石文化」に正面から向かう姿勢となります。 本来ならば「巨石文化学」が既に存在していてもおかしくはないのですが、まあ、 あまり堅苦しくなるのも閉口ものですので、まじめで現実的ではありつつも、 リラックスしながら「巨石文化」を”楽しみたい”と思います。