与那国島の海底遺跡は海外では海底ピラミッドとして紹介されています。それは、比較的近年に構築された
メキシコやペルーの石積みピラミッドを彷彿とさせる形態が窺えたことによります。
最近では、英語表現で「海底構造物」という呼び方が一般的です。…というわけで日本のピラミッド探訪の立場から
与那国島海底遺跡について結論的に述べておきます。これは直接海中で実物を見た感想と、島全体を見回した
時の感想とをベースに述べる私の直観的作業です。ただし、いささか直観には自信はありますので、
そのつもりで読んでください。
原型としてのヒラミツトであれ、その象徴的表現としてのピラミッドであれ、
すべからくヒラミツトにはエネルギー受発信機能としての形態的特徴が備わっていなければなりません。
実はその形態的特徴がわたしたちの心を捉えるための重要な装置になっていると考えられます。
つまり、全体のカタチの中に人を魅了させるだけの美しさが必要なのです。一度でもヒラミツトの存在を
知った人が日本を歩いているときれいな三角形の山が眼に飛び込んでくるとよくいいますが、これは天空に
集約されるその錘のカタチにあると言えます。特に巨大な形態には「畏怖」「美的」「悦び」「圧迫」などの
環状を引き出す作用がありますが、ヒラミツトには「畏怖」よりは「美」「安寧」が先立ちます。
こういう観点でいうと与那国島の最もそれらしい実体は島の中央の宇良部岳です。海底遺跡本体は「畏怖」
「圧倒」「幻想」といった感情が先に湧きます。また、その全体像も模型などで見ると美しい形態とは
言えず、きわめて無骨(不恰好というと言い過ぎなので)です。ヒラミツトはやはり優雅なのですね。
そこに精神に関与するヒラミツトの存在意義があるものと考えられます。…で、海底遺跡ですが、これは
もっと泥臭い、機能的な、力を感じる代物です。私は人工物であると確信していますが、自然現象を極めて
巧みに使い、少ない人工加工を施して使用したものではないかと考えています。
結論を急げば、与那国島の海底遺跡はヒラミツト(ピラミッド)ではなく、つまり御神体ではなく、何か別の
巨石加工物で、考えられるのは城砦、石切場、港…です。海底から見上げた感覚では、対岸にも巨大な壁が
ありそこに挟まれていること、さらにトンネルという通用口、侵入を防ぐかのような2枚の仕切巨石版、
などから私は、ダイビングをしながら、「ああ、城砦だ!」っとつぶやいていました。石切場という説も<
大変に面白いと思います。これは既に事前に情報収集しているときに日本人の中で石切場ではないかと
唱える人がいたのですが、まったく関係の無い外国人(石切場をよく知っているひとのよう)も写真を
見て即座に石切場でないかと言った人がいました。こういうものというのは、その道の専門家の日常の
感覚が凄く大切なのです。確かに石切場であれば自然の摂理を利用しながらも若干の人工を加えるという点で
納得がいきます。ただし、残滓や切られた石の行方は未解決です。どこで何の目的で使用したのか。
港であれば海面が10m程度低かった数千年前にもつかえたはずです。そこそこ大きな船が接岸するのにちょうど
よい桟橋にもなります。いずれにせよ与那国の海底遺跡はかなり具体的な活動に供したものではないでしょうか。
しかし、それが数千年から12000年前に陸上で人間に使用されていたということは明らかになりますので、
現在の常識となっている世界4大文明よりも同等かあるいはさらに古くさかのぼって、極東(外国人からみれば)
に高度な技術を駆使できた人間と文化が存在していたことになります。少なくともこのホームページを
見た方は、もう一度まっさらな状態からわれわれの人類史を考えていただきたいと思います。
ましてや、卑弥呼すら未だ不明な点が多く、たかだか1700前後の正史しか明らかにされていない我が日本の
歴史のいかにお粗末なことかを認識いただければ幸いです。
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