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泰山の古代遺跡探訪記;エッセイ集#014

10年の振り返りと次のフェーズについて



泰山の古代遺跡探訪記
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プロデューサー;概念デザイン研究所へ---
コンセプチュアル・シンボル
”創造のピラミッド” Gainendesign-Labo.


 1996年の1月に企業を退職して独立し、翌2月から「概念デザイン研究所」のホームページを開いた。そのなかの 一コーナーに「ピラミッドと巨石の探訪記」を載せた。1996年の10月頃に「泰山の古代遺跡探訪記」として ウエッブサイトを独立させ、ほぼ初期の姿のまま「泰山の古代遺跡探訪記」はおかげさまで継続させて頂いている。 もう既に丸10年以上が経つ。

 1996年当時といえば、インターネットが公にスタートした1991年から5年ほど、インターネットが急速に立ち上がってきた 1994年から2年ほどしか経っておらず、まだ多くの企業が自前のHPすら持っていないというような、ホンワカした時代であった。 巨石やピラミッドを扱っているHPなどは殆どなく、私の記憶では私とほぼ同時期に同じようなことに興味を持ち、全国各地を 歩いた結果を写真で報告していたのは、札幌と宮城在住の2人くらいだった。

 10年前は通信速度も非常に遅く、情報収集に時間を要したが、逆に巨石の情報も少なかったので、全国の巨石群を 一通り押さえるのはそれほど苦ではなかった。 まだグーグルさえない時代である。検索エンジンはといえばYAHOOがメインで、当時はロボット検索などもなく、すべて自分で 登録していた。

 鮮明に記憶に残っているのは、YAHOOで”巨石”をサーチしたとき全件数が1000件程度だったことだ。ちなみに今同様の検索を かけると3,000,000件程度はピックアップされる。3000倍の情報量である。
私は当時意を決し、その1000件すべてを個別にチェックし私の「巨石マップ」に書き込んだ。すべてをチェックするのに 2〜3週間は掛ったと思う。1999年に探訪した宮崎県都城市の母智丘の巨石群などは、そのときに掴んだ情報だった。
当時は「巨石」が主役として検索されるというよりも、何かの紹介記事の中で「珍しい巨石もある…」程度で巨石が引っかかってくる という具合だった。ちなみにそのときの母智丘の紹介の主役は桜で、「母智丘の桜」(現地ではかなり有名)の紹介分の 一節に”巨石”がたまたまあったのである。もちろん巨石の写真すらなく桜が満開の写真があるのみなのだが、それでも 気になる巨石ポイントとしてチェックしたいったのである。

 1996年当時ピックアップされた約1000件の巨石情報は、やはりそれなりに現地で有名ゆえに記述されたと思われる。だから今でも そのオリジンの1000件情報は大切なのである。
「泰山の古代遺跡探訪記」はその冠のごとく極めて個的な探訪記であって、当初の思いも現在の思いも同じである。インターネット 時代の情報は基本的に「個的」であると考えているからだ。だから賛否両論、好き嫌いがあって良いと考えている。
そんな個的に過ぎるウエッブサイトではあるが、本当に多くのファンの方々に支えられて、何とか生き延びてくることが できた。当初からトップページにアクセスカウンターを付けているが、2007年現在でトップページのみで約350,000件のアクセスを いただいた。アクセスログ分析ではトップページ以外のページに直接アクセスする場合がかなりあるので、実際には少なくとも 3,500,000件の累積アクセスがあると思われる。1日あたり約1000件程度のアクセスである。
リピーターが半数以上を占めるとして、それでも1,000,000人の人には「日本のピラミッド山や巨石群」というキーワードが 伝わっていることと思う。

 ある人は言う、「日本のピラミッド山や巨石群」は”超マイナーな世界”であると。しかし私のHPを含めて現在各種存在しているこの手の HPを通じて、数百万人の人々が「日本のピラミッド山や巨石群」の話を賛否は別として聞いたことがあることになるだろう。 それは日本人の5%程度に相当し、すなわち”超マイナーな世界”から”異種ではあるが認知されている世界”へと既に 成長を遂げていると言えるだろう。

 「日本のピラミッド山や巨石群」の探訪や研究に必要なのはまさに、そういう”場”なのだと思う。”場”が成長し、成熟してゆくことが 非常に重要なのである。”場”が育ち、有効に動き始めれば、優れた情報や知の交換が可能となる。これはある意味で株式市場にも似ている。 個人間での株の交換や売買では本当の市場は育たない。やはり上場市場や新興市場などが必要なのである。 そういう意味で、2007年現在、ようやくそういう”場”がかたちを整えてきたという実感がある。それは非常に好ましいことであり、 ピラミッド好きや巨石好きにはありがたいことなのだと思う。

 この10年、いろいろなことがあったけれど、少なくとも「日本のピラミッド山や巨石群」を扱える”場”づくりに僅かながらでも お役に立てたのならばこのうえない悦びである。
これまでの10年が”場”づくりだとすると、その”場”を活かしてゆくのが次なるフェーズの狙い所かと考え始めている。 2017年の今頃、何をどう振り返っていることか…そもそも継続できているのかどうかもわからいないが、とりあえず次なるフェーズに向けて おおまかな指針らしきものを自制の意味を込めながら整理しておきたい。

 古代遺跡探究家;泰山 2007年盛夏


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