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霊峰日室ヶ嶽

in Kyoto Pref. /spiritual fragrance of super Himuro


泰山の古代遺跡探訪記
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”創造のピラミッド” Gainendesign-Labo.



京都から遥か北方にクルマを走らせ、王仁三郎の綾部を抜け、さらに走ること数十分で大江町につきます。 かの酒呑童子で有名な大江山です。綾部からの風景は山容がいかにも険しくなり、なるほどその昔は鬼が 出ると恐れられたのもうなずけます。以前より訪れたいと思っていた元伊勢をようやく訪れることができました。

大江町近隣には、元伊勢外宮の豊受神社と元伊勢内宮の皇大神社があり、その名の通り、現伊勢神宮の 元のという意味の非常に古い神社なのです。本命は内宮の本来のご神体である霊峰日室ヶ嶽です。

これこそがどうしても一度は直接見ておきたかったヒラミツトとしての聖山なのです。そしてそれは期待値を 遥かに超えた存在であり、現在でもまさしく生きている、スーパーパワーなのでした。その包み込むような あたたかな霊気はまるで太陽のごとくであり、降雪時期にもかかわらず、私たちを照らしておりました。

日室とはよくぞなづけた名称であり、別名の岩戸山、城山よりは圧倒的に日室(ヒムロ)の響きがふさわしい 大いなる存在でした。霊気が香るという表現が最も適しているように感じます。そして日室ヶ嶽の描写を より鮮明にお伝えするには、画像上ではどうしても音楽の助けが必要です。

今回のイメージサウンドを霊気の 香りとして知覚していただき、しばらく冒頭のイメージ写真をご覧頂いてから、本文に進まれますようお願いします。 写真からもその強烈なあたたかな霊的波動が伝わることと思います。日室ヶ嶽の存在ゆえに、この地に 元伊勢が存在しうる…と言いきっても過言ではありません。日本第一級のヒラミツトであると確信します。

1999 泰山記

2010 高精細画像に置換え+補足



元伊勢内宮皇大神社の入り口。ご由緒書きには次のようにある。

「ご祭神;天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)…人皇第十代崇神天皇三十九年(紀元前五十九年)に 『別に大宮地を求めて鎮め奉れ』との皇大神の御教えに従い、永遠にお祀りする聖地を求め、皇女豊鋤入姫命 御杖代となり給い、それまで奉斎されていた倭の笠縫邑を出御されたのが、今(平成二年)を去る二千四十九年の 遥かな昔であった。
そしてまず最初にはるばると丹波(のちに分国、当地方は丹後となる)へ御遷幸になり、 その由緒により当社が創建されたと伝えられている。皇大神は四年ののち倭へお帰りになり、諸所(二十余個所) を経て、五十四年後の人皇第十一代垂仁天皇二十六年に、伊勢の五十鈴川上(今の伊勢神宮)に永遠に御鎮座 になった。しかし、天照皇大神の御神徳を仰ぎ慕う崇敬者は、引き続いて当社を伊勢神宮の元宮として『元伊勢 (内宮;ないく)さん』などと呼び親しみ、いまに至るも庶民の篤い信仰が続いている。」



入り口の大鳥居から長い階段を登る。



参道中にある癌封じの古木。その風体は異形ではある。



参道の木立の間から突然姿をあらわす。これが本命のヒラミツト;日室ヶ嶽である。 中腹より頂上付近にかけてはほのかに青白い靄が立ち込め、いっそう神秘さをかもし出している。



427mの日室ヶ嶽からは生き生きとした霊気が漂い出て、まるで芳しい香りを浴びるようである。 参道には途中このような拝所があり、この前に立つとき、圧倒的な日室ヶ嶽の存在に言葉を失う。
70年前に数人が運良く登頂できたという。そのうちの残されたひとりも数年前に亡くなり、 もはやこの山の頂上を直接知る人はいない。麓の茶店の老婦人も若い頃一度だけ途中まで 登ったことがあると言っていた。夜になると頂上付近からは紫がかった光が出て、それで 夜でも明るく歩けたという。このくだりは、五葉山上での酒井勝軍の体験を彷彿とさせる。 その茶店にはUFOの写真があり、また真円の霊的球体の写真も飾ってあった。
「神に許された者だけに登頂路が啓示される」…これは真実であろう。



日室ヶ嶽全景。



御神体山日室ヶ嶽の遙拝所にて。



皇大神宮。簡素ながら荘厳な萱葺きの屋根がとても印象的である。 左にたつのは杉の古木。



その古木が祭祀中の蝋燭の火で燃えてしまった。 不思議なことに大火にもかかわらず燃えたのは表面だけで 裏面は生き残ったのだ。つまりまだこの古木は生きている。その名を”龍灯の杉”という。



焼けた表面。



ご神木の裏にあった陰石。 まさに女陰のかたちそのものだ。 この存在ゆえに古木の裏面は燃えずに生き残った…と感じた。



日室ヶ嶽麓に流れ落ちる滝。 そこに霊石があり龍神として祭られている。 社の陰に隠れて直接ご神体を拝むことはできない。



滝壷周辺の怪異の巨石。ここから漲るエネルギーはすざまじいものがあった。聖山からしみでた清水は本当に美味であった。



御神体石が祀られた龍神社には、皇大神宮の向かい側にある渓谷へとこの階段を下りてゆく。
copyright(C) 2003 by Takano



龍神社の前を流れる清流。この奥に御神体石が鎮座する。
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龍神社の裏側に回り、渓谷を少し遡ると現前に御神体石が現れる。残念ながら2010年現在この御神体石はその後の大雨によって崩壊・流出してしまった。
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2004年版「日室ヶ嶽、天岩戸神社御神体石」最新映像はコチラ;国内情報#25
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