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六甲メガリスゾーン;保久良神社

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『泰山の古代遺跡探訪記』Topページ


泰山の古代遺跡探訪記
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”創造のピラミッド” Gainendesign-Labo.



六甲メガリスゾーンについては、甑岩の項で言及したように、阪急電鉄の駅4つ以上にまたがる広大なエリアだが、 急峻な六甲の地形がこうした状況を人々の眼から遠ざけている。

東側にある著名な甲山から西側の保久良神社までは東西にかなりの距離が在る。 岡本という小さな駅を降りて、線路を渡り、すぐに始まる神戸特有の上り坂を北に 上がる。

今回の目標はずばり保久良(ほくら)神社だ。保久良の巨石群は”その筋”にも知名度が低い。 六甲メガリスゾーンには”著名な物件”が多いせいもあるだろう。だが岡本駅に一旦降り立てば 「よほどの好き者でないと、わざわざ下車するにはいかにも目立たない場所だ!」…という実感が そのことを納得させてくれる。

保久良は火座(ほ・くら)が語源的ルーツと言われている。甑岩の”蒸すような暑気”と通底する 「熱に関わる何か」が惹きつける。

保久良神社の裏手を北に小一時間も歩くと、知る人ぞ知る、カタカムナ文字研究の 楢崎皐月が、仙人;平十字(ヒラトウジ)に邂逅した金鳥山に行きつく。

金鳥山の更に奥には剣座(ツルギクラ)で有名なゴロゴロ岳があり、最終的には六甲山系に至る。

岡本周辺は芦屋の佇まいに似た風情の住宅である。その住宅街を縫う様に幅員の狭い坂道が 縦横に走っている。…果たして”こんなところに”本当に巨石群があるのだろうか…。 そのささやかな違和感が、いつもの”石探し感覚”を大きく狂わせていた。

道をわずか一本間違えて、そのまま30分もきつい坂道を北進してしまった。気付いたときには すでに神戸市街地が眺望できる高さにまで来ていた。住人に尋ねると、「もうひとつ尾根を越えたところ」にあるという。 このままの標高でいけないものかと尋ねたら、「横断の道は無い」とすげない返事が返ってきた。

珍しく2時間ほどもロスをしながら、ようやく保久良神社への登り口を見つけ、つづら折れのだらだら坂を30分 ほど登ったところに、保久良がある。保久良の参道に入ってしまえば巨石の香りが漂い出す。
要するに、保久良神社は海岸線の岡本からいきなり200mの小高い山になっているのだ。

保久良は地元ではかなり位置付けの高い神社である。大祭(ダンジリで有名)もある。また日々参詣客が絶えないようだ。 そしてその格式は頂上の境内エリアに入った瞬間に得心が行く。保久良神社エリアは忽然とその重厚な 空気を現出させる。

まるで”巨石ヶ原”の様相を呈する保久良神社一体は構造体的には、北部にある金鳥山、ゴロゴロ岳に対して 拝殿的な位置付けに在ると考えられる。(未確認なので直観的な感想) 金鳥山に至る経路(古代参道)にシンボルらしき巨石があったり、金鳥山頂上に磐座が存在すれば保久良と 金鳥山は一体で考える必要があるだろう。

2001泰山記

2010 高精細画像に置換え+補足

今思い返すと、2時間ほどものタイムロスが逆に良かったと感じている。それは、おそらく2時間前に保久良神社に辿り着いていたのならば、保久良からそのまま北の金鳥山を目指して山中に入って行き、金鳥山中で夕暮れを迎えるはめになっていただろうと思われるからだ。保久良から金鳥への登山路は殆ど人通りがないせいか、道が荒れ、藪で前が見えないくらいなのである。時刻的には登山を諦めるに充分であった。次回行くときには、朝方から誰かと連れだって行くのが良いと思っている。保久良は単独ではなく、明らかに金鳥山と一体構造なす巨石ポイントであると考えている。



保久良神社の鳥居の前方にある展望台から六甲アイランドを見渡す。 保久良が”山”であることがわかると思う。 海岸線の標高ゼロmから一気に200m登るのは、”平坦”を予想していた ので、結構辛かった。…というのも道を間違えたからなのだが…



標高189mの保久良山の海岸を望む場所に『灘の一ツ火』という灯火がある。



保久良山頂(実際には裏手からさらに山道が続くので踊り場のようなところ)は突如として 神域と化す。 まず目に飛び込んでくるのがこの巨大な御神木。 木を見れば概略、その地のエネルギーが見えてくる。 保久良の”結界”を守護するこの御神木が保久良の神域の”凄さ”を物語っている。



保久良神社の鳥居と参道。 御祭神は須佐之男命、大歳御祖命、大国主命、椎根津彦命



保久良神社御由緒を書いた案内板。



保久良神社境内から南方向に振り返り、大阪湾を望んだ風景。



保久良神社本殿正面。この方向が北向き。保久良山山頂に存在する。ほぼ真北には金鳥山(338m)がある。保久良神社自体は南に面している。



格調の高い保久良神社本殿。しっかりと阿吽の狛犬が脇を固めている。



境内で目を引く異形の大樹。その根元には注連縄がはられた巨石が置かれている。この大樹の様態から保久良山から湧き出ているエネルギーを垣間見ることができるだろう。



社殿前に鎮座する注連縄を張られた巨石。 約2m立方のサイコロ状。 その傍らに巨木がある。
上の写真の巨石がこれ。



社殿に向かって右側にある”要石”状の石。 重要な石らしく、石自体が神格化されてその前に小さな鳥居があった。 また、この”要石”の隣には別の巨木が立っている。



形体的には”陰石”でもあり、上で紹介した注連縄はりの巨石と構図的には対をなしていると考えられる。



社殿の後方に巨石ヶ原が大きく広がっている。 最重要部は社殿の後部に壁が張り巡らされ、 立ち入ることも観察することもできない。 その周辺の巨石群から御神体部分を類推するしかない。



社殿左手の御神域(一応禁足地)に夥しい巨石が転がっている。 ひとつひとつの巨石は大きいものでは高さが5m、幅10mくらいはある。 そうした巨石群が御神体部(社殿裏手の塀の中か本殿の床下と思われる)を取り囲む様に 積み重ねられている。



社殿の在りかは馬の背のようになってもいて、両脇の巨石群は左右の渓谷に落ちそうになりながら点在している。 この巨石も極めて大きい。そしてそれが斜面にせり出している。



写真のポジションが水平線を保っている。つまり、傾斜30度はある急斜面にこうした巨石群がある。これらは本殿に向かって右側の領域に多く存在する。これまでのフィールドワークから見ればこの巨石は”男根石”と位置付けるのが妥当かと思われる。



上の”男根石”と考えられる巨石のクローズアップ。



境内の直ぐ左脇に広がっていた小規模”岩海” サイズは数十cm程度のものがごろごろしている。 そこだけに”岩海”が不自然に存在している。 おしむらくは…この傍にトイレがあり、”岩海”が 一部ゴミ捨て場となっていたことだ。
そういう意味では保久良神社の現況は『好ましからざる境遇』であり、 巨石群が全体的に「汚されている」ような感じを強く持った。 巨石に対する手厚い保護への無頓着が、残念ながら保久良に 「陰鬱さ」を醸成している。 少なくとも心有る地元の人は、御神域内のトイレをどこかへ 早急に移築し、ゴミを掃除して欲しいものだ。



御神域にあった非常に珍しい”加工痕跡のある(手形状)”巨石。 この巨石に出会ったとき、保久良全体に”意図”があると実感できた。 この石は極めて貴重です。



保久良神社後方の樹林(囲いがある)に点在する巨石。 巨石の傍らの異形の樹木に留意。



社殿右手に広がっている巨石群。形体的には”亀石”と呼べそうな巨石。



右手に広がる巨石群の周囲にはかなり変形した樹木が多い。 境内にある二本の真っ直ぐな巨木に比べ、ここの樹木は変形し過ぎだ。 「巨石と樹木の関係」は「樹木は巨石の”存在”の表現体」であることは いくども述べてきているが、
このように「捻じ曲がっている樹木」から見るに、 保久良巨石ゾーンのエネルギー流に
”偏頗”があると見たほうがよいのではないだろうか。 保久良の巨石に対する”現況の扱い”がそのようにしている様にも思えるのだが… 品格在る巨石群、格調在る神社ゆえに…誠に「気がかりなホクラ」なのである。



同じく。とにかく保久良神社周辺の樹木は異形の物が多く、中にはこの樹木のように捻じれがはっきりと分かるものもある。



社殿脇にあった巨石。この領域にはフェンスがぐるりと取り囲んでおり入れない。



本殿裏側はさらに白壁で囲われており、またく入ることはできない。たまたま見つけた隙間から中の様子を撮影したもの。やはり巨石がそこにはある。



社殿手前にあった「八大龍王」の塚。


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