巨石を盛った石森山

Big Rocks mounted Ishimori hill in Kohfu


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甲府盆地はその名の通り、四方山々に囲まれた平野部です。

甲府盆地を東西に貫くのが笛吹川。これに沿って走るのが国道140号線で 雁坂道といいます。雁坂道を甲府から30分ほど走ると山梨駅に近づきます。

山梨駅からクルマで5分足らずの平坦な地に、ぽっこりと大地のお臍のように 出っ張った小高い山があります。それが今回ご紹介する、下石森の石森山です。

石森山はまさに巨石の森、あるいは石の盛山です。高さ約30m、山の周長約 500mの小さな丘なのですが、それが全て直径数mの巨石で築き上げられています。

中津川の鮒岩も丸山という全山巨石の丘にありましたが、それと同じようなつくりで しかも規模が数倍あるのが石森山です。この山は松や杉で青々とした不思議な山です。

巨石だけのヒラミツトと考えられます。それは小さな丘でありながら、方位石や 太陽石と思しき特徴ある巨石が存在しているからです。いうまでもなく、この石森山 も”神社として”守られています。山梨岡神社というのが正式名称です。

ご祭神は熊野大権現で、巨石で作られたその他の摂社には鹿島神宮、厳島神社、 阿夫利神社等の格式の高い神々が祭られています。神社としても凄い所ですね。

なんとこの神社には宝物庫が備わっています。おそらく中にはこの山にまつわる重要な 情報が眠っていることでしょう。それでは、神社の前に掲げられていた 石森山案内図から見てみましょう。

1997泰山記

2010 高精細画像に置換え+補足

国道140号線沿いにもうひとつの山梨岡神社がある。その背後には神体山の御室山(みむろやま)があり、神社境内やその周辺には巨石群がある。 1997年当時、別の山梨岡神社である石森山に行くことが優先だったため、ほんのちょっと立ち寄っただけであったが、おそらくはこの神社の裏手から 御室山までの登山道に巨石が配置されていると思われる。



むしろこの案内図よりも実際の印象の方が不思議だ。 それだけ、ぽっかりと大地に盛ってあるようなのだ。 案内図に描かれているように、周囲は全て平坦で畑や 住宅しかない。周辺に巨石がごろごろ頃が手いるわけでもない。 ようするに、石森山に集中的に巨石が積み上げられているのだ。



石森山の裾にある入り口の碑。台座は勿論古い巨石だ。



直径2〜3mの巨石が底部から頂上までびっしりと積まれている。



岡神社本殿横の神社由来記。後ろには笠状の巨石がある。



本殿裏手のさいころ状の立方体の巨石。 直角の交点が確認できた。 表面は花崗岩が焼け爛れたように黒ずんでいる。 とにかく古いものであることは確かだ。



小さな社を頂いた”太陽石”と考えられる頂上の大岩。



この”太陽石”も粉砕された形跡が窺える。 真横にある亀裂がこれ。周辺の破片も元は 一体の球体状のものであることは、見れば分かる。



「朝日催」と名づけられた、(私のみるところ)方位石。 中央の隙間は東を示している。



山梨岡神社の拝殿。このすぐ後ろに本殿がある。 本殿の周囲には柵があり入れないが、 位置的には岩戸がありそうなところである。 本殿の地下にはきっと何かが埋もれているはずだ。 私の知人は、しきりに本殿当たりから何か気配を 感じると言っていた。



「母石」と名づけられた巨石。
割れた姿が股状ゆえに、そうした命名になったのだろうが、 本来の姿は球体状の巨石が真ん中から割られたものであろう。 随分と球体状の巨石が割れた(割られた)様子をみてきたが、 何故、ことごとく粉砕されてしまったのか、そこが謎なのだ。 「巨大な力によって瞬時に、根こそぎ粉砕された」という 心象がずっとつきまとっている。



「母石」の下方にある、こなごなに粉砕された巨石の残骸。



見るも無残に破壊しつくされている。と思わずにはいられない。 中央から松が生え、破壊後長い年月が経っていることがわかる。 しかし、想像力を豊かにすれば、もとは美しい球体であったことは この写真からでもわかるはずだ。そのころの姿をみてみたいものだ。 この巨石群は別名、「阿夫利神社」と呼ばれている。



石森山の麓の龍神の池と巨石群。



龍神の池の正面にある兜岩。お社は鹿島大神。



ここにも実は巨人伝説があるのだ。その名をデイラボッチという。 デイラボッチの”おおわらじ”を祭ってある。大きさは3m位。



延喜式神名帳に載せられた春日居町鎮目小字宮の前にある山梨岡神社。もう一つの山梨岡神社である。別のそれとは今回の本命である 石森山の山梨岡神社のこと。この山梨岡神社は国道140号線を甲府から東進すると左沿いにある。



拝殿脇の神楽殿。竹田信玄公が舞いを奉納したところ。



神楽殿の傍にある杉の大木と、巨石。私はこの光景を見たとき、はっきりと持論である「石は樹木を育てる」という概念を認識した。 小ぶりの巨石群をあたかも”肥料”にしているかのように御神木が育っている。現在は大木の方が目立つために根元の巨石群は脇役のように なっているが、この巨石群の方が本質的には重要であると思える。実際に、この大木は巨石群を抱く様に立っているのである。



御神木の根元の拡大写真。奥に小さめの石を抱いている。また樹木をないものとして考えると平板状の石が複数サークル状に立っているのが分かる。 いわゆる「地のエネルギー」を計測できるならば、この巨石群の中央付近のエネルギー放射は凄いものであろうことは察しが付く。



明治40年に国の重要文化財に指定された山梨岡神社の本殿。



境内傍にあった石積み塚。



背後の神体山中腹には山梨岡神社旧社地、御室山古墳がある。



これが御室山の全景。神戸の甲山にも似ている。御室山自体はピラミッド山である可能性が高いと思われる。国道140号線を甲府から東進する途中、左方に麗しい山容が見えてくる。2枚の合成写真。右にも小ぶりの同形態の山があることに注意。地図から判断すると御室山は別名大蔵経寺山というようだ。また右手にある小ぶりの山が甲山になる。


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