岩屋岩蔭遺跡

in Gihu Pref. /Iwakage-Iwaya Ruins

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泰山の古代遺跡探訪記
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”創造のピラミッド” Gainendesign-Labo.



11月20日、21日に岐阜県山岡町でイワクラサミット#1が開催されました。今年の夏ごろに山岡町から 私のHPのサロンコーナーにコンタクトがあり、それがご縁で、イワクラサミットに参加しました。

岐阜県には今までも数回訪れており笠置山や中津川の巨石を探訪してきていますが、山岡町にも巨石がある、 しかも夥しくあるということで、あらためて岐阜県の巨石をチェックしなおしていました。そのときにものすごく 気になったのが、金山町にある岩屋岩蔭遺跡なのです。岩屋岩蔭遺跡については岐阜県恵那郡加子母村にご実家がある 岩木宣和さんより事前に情報をもらっていたこともあり、山岡の巨石群を探訪したら必ず岩蔭遺跡を見てみたいという 願望を強く抱いて、イワクラサミットに出向いたのでした。偶然とは恐ろしいものです。サミット後の懇親会で 話し込んでしまった人が、実はその金山町の出身で、丁度岩屋岩蔭遺跡の調査報告を持ってきていた人でした。 しかも泊まる部屋も同室とか…金山町で蕎麦屋を営む小林由来(よしき)氏は仕事とは別に「岩屋岩蔭遺跡周辺調査委員会」の 委員を務める方でも在りました。そしてそのことにより、私の岩屋岩蔭遺跡探訪の厚みがすこぶる増したのであります。

小林氏のお話を聞いて、私はあらためて巨石文化存在の確信を得たのでした。岩屋岩蔭遺跡は精密な天体観測装置であり、 その微妙な計測の演出によって感動すら与えてくれるのです。巨石遺構とはまさに超古代に”彼ら”が未来のわれわれに 向けて残してくれた「隠し絵」に違いありません。巨石群の微妙な配列、わずかな隙間、部分的な平面加工、最低限の 線状痕、周辺の山との組み合わせ…によって、精緻華麗な天体計測装置であるにもかかわらず、一見では大きな石が そこにごろごろとあるだけ…という心憎い演出が施されているのです。そこには文字すらもありません。ただ、巨石群が そこにあるだけなのです。それでもその隠し絵の本質は、それらを創り、演出した側の叡智を余すところなく物語っています。

しかもその中に、”彼ら”のウイットやユーモアのセンスまでもが感じ取れるような、総合芸術として、表現されています。

私自身もこれほどの精密な巨石遺構(既にその内容が調査報告されている)に遭遇したのは初めてです。おそらく岩屋岩蔭遺跡 と同様な天体計測装置としての巨石遺構はまだ全国各地に眠っていることでしょう。それらの調査のアクセルにこのレポートが 役に立てれば幸いです。それでは、第一級の巨石遺構;岐阜県金山町の岩屋岩蔭遺跡をご覧下さい。



金山町への道は遠い。山岡町から西に多治見を目指し、そこから可児、美濃加茂、川辺、白川を北上し、ようやく金山に着く。
美濃加茂から北へは、飛騨川沿いに白川街道を行くことになる。金山町で右に曲がる中山七里には行かず、馬瀬川沿いを馬瀬に向かい、
ようやく岩屋ダムがある岩屋岩蔭遺跡へとたどり着けるのである。知らなければ…まずは来ないところではある。むしろ
道はずれの遺跡などを通り過ごして、デートコースに岩屋ダムへそのまま行ってしまう人が殆どではなかろうか。県道86号を大きく
左に曲がったところに突如、「岩屋岩蔭遺跡」の看板が現れて、そこを数十m下るのである。つまりここは山中の渓谷にあるのだ。
周辺の山は岩石山、遺跡の場所は薄暗く、「岩蔭」と称されるのもなるほどという感じがする場所だ。…何故に”こんなところに”
遺跡があるのか…誰しもがそういう疑念を持つことは間違いない。巨石がここに運ばれたという不思議さよりも、何故にここに!
という不思議さが勝る場所なのである。
岩屋岩蔭遺跡全体は「妙見神社=北斗信仰」として祭られている。「妙見神社」の立看に小さな参道が施されている。
















少なくとも金山町、岐阜県ではこの遺跡はかなり知られており、調査も進んでいる。昭和44年に町の、昭和48年には県の指定遺跡 となっている。このカラー写真付きのガイド板は極めてよく出来ていて、一目でこの遺跡の凄さが伝わってくる。前述の調査委員会の 小林氏も1年以上もかけて綿密な調査をされたようだ。こうした地元の努力と成果は大いに喧伝されて然るべきだと思う。



《ガイド板の説明文》 『県指定遺跡;岩屋岩蔭遺跡を中心に、太陽や星の動きの目安となる岩の配置が見つかり、これらの巨石群が縄文人の天文台 (夏至・冬至や春分・秋分)を知る目安として利用されてきたのではないか、という考えが生まれました。静かな森の中、 巨石の傍らにたたずみ、古代のロマンに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。』

『岩屋岩蔭遺跡は、巨大な一枚岩が庇のように突き出し、奥は洞窟になっています。この付近からは縄文時代の遺物が多く出土 しています。この岩蔭には次のような話が伝わっています。悪源太義平が祖師野の宮で人身御供の娘の身代わりになり、 現れた怪獣(大狒狒)に傷を負わせました。悪源太は、家臣の八坂日向をはじめ村の若者を引き連れ、逃げる狒狒を岩屋の洞窟に追い詰め 退治しました。そのとき使った刀「祖師野丸」を祖師野八幡宮(下流約6Km)に奉納しました。その後、昭和47年の岩屋ダム建設に伴い、 岩屋神社(妙見神社)は祖師野八幡宮に合祀され、飛地境内になっています。金山町教育委員会』

ガイド板の右側の巨石群の細い線は夏至・冬至・春分・秋分の日の出の方向を示している。
また矢印付きの太い赤線は、北極星の方向と、夏至・冬至の”山から昇る・山へ沈む”太陽の
位置を示している。つまり周囲の山との関係をも明確にしていたということである。

















これが岩屋岩蔭遺跡の本体である。全体の幅約20m高さ10mの巨大な遺跡だ。野外コンサートホールのようでもある。
中央の扇状の大岩が「庇」と言われるもので、底面は明らかに人工加工の完璧な平面である。
両脇にその庇部を支えるかのようなふたつの巨石があるが、実際には直接これらはその庇状の巨石とは触れていない。
中央の柵の中に小さな社がある。
右側の巨石の上端部は内側に湾曲した曲面を形成している。この先端部分の加工が春分・秋分時の山から昇る太陽を拝むのに必須なのだ。













参道中央には両脇に石門がひとづつある。この”石門”というのは巨石文化では重要な要素となっていると考えられる。
特に祭祀場へ行くときには必ず石門という”結界”を通りすぎねば成らない様だ。こうした様式は各地に散在する。














遺跡後方から回り込み、左手の巨石を滑り降りて、洞窟内部に入って見た。
上部の平坦な面が先ほどの庇状の巨石の底面である。
よく見るとその下の丸い巨石とは触れておらず、手のこぶしがひとつ入るか入らぬか位のわずかな間隙がある。
ところがこの間隙が只の隙間ではなく、冬至(だったと記憶している)の太陽が”その間隙から”光りを洞窟内に照射するのだ。














社の上のパーフェクトな平面を見て欲しい。この直線は稜線ではなく、”平面のサイドビュー”なのである。




















私が岩屋岩蔭遺跡に到着したのが午前九時半頃、一通り見まわった丁度そのときそれまで薄暗かった洞窟内部が
急に明るくなった。10時頃ようやく周辺の山から太陽が顔をのぞかせて、直射日光が洞窟内部に差し込んできた瞬間だ!
このときの感動は尋常ではなかった。太陽のこの光で、「何故ここに岩屋岩蔭遺跡」があるのかが理解できたのである。
周辺の山々をもシステムに取りこんだ精密な天体計測装置にはこうした”陰陽の対峙図式”が最もインパクトあるものとして
必要なのだと思う。そしてそれが計測の機能と共に感動を起こさせる演出をも可能とするからこそ、この陰鬱とも言える
峡谷が「祭祀場」足り得るのだろう。







岩屋岩蔭遺跡に降り注ぐ晩秋の朝の太陽光。最初の写真と見比べていただきたい。
峡谷の岩蔭に太陽が照らすとその情景は一変するのだ。












岩屋岩蔭遺跡本体から東南方向数十mにある精密計測巨石群のひとつ。
先端の向き、縦の面の方向等、重要な方向を決定している。
高さ数m。














同上。
















同上。
この巨石の平面方向が夏至の日の出方向を示している。
また、画面左の巨石の平面方向が夏至に周辺の山から太陽が昇る位置を指し示している。














天体計測の中核点を持つグループ左下の最大規模の巨石側から、上記の夏至計測巨石群を見たところ。













天体計測の中核点を持つグループ左下の最大規模の巨石の南端。
高さは10m弱、上部は平坦面があり、一見戦艦のようでもある。















周辺の巨石。東方向に向かう奇妙な突起を持っている。
















人工加工と考えられる、天体計測巨石群のひとつの巨石の平坦面。
因みに、岩質は花崗岩。















別の巨石の同様な垂直面。
















岩屋岩蔭遺跡の参道入り口にある三つの巨石の組み合わせ。
現時点では天体計測との関係は明らかではない。
ただし、ガイド板で見る限り、冬至の日没ライン上にはある。
あるいは祭祀関連の巨石群かもしれない。










岩屋岩蔭遺跡周辺にピラミッド山は果たしてあるのか?…やはりあった!
岩屋岩蔭遺跡の真東に高さ数百mの美しいピラミッド山があった。
写真よりも実物の方が遥かに急峻で美しく見える。一瞥でピラミッド山だと分かる。
下の標識が県道下の岩屋岩蔭遺跡を案内している。
その山腹に夏至・冬至・春分・秋分の山から昇る日の出の位置を示す巨石群があるとのこと。
岩屋岩蔭遺跡から徒歩で山頂まで約40分だそうだ。今回はあきらめた。う〜む。次回かならず!
この真東のピラミッド山を含めて岩屋岩蔭遺跡システムは成立しているのだろう。
逆にこうした聖山がなければ祭祀場として成立しないのではないか…エネルギー場として…
小林氏のお話では、古代崇敬されていた聖山があったが、今は見失われてしまったとか。
この東の山が伝説の聖山ではないか!?…二人の間ではそういうことになったのではある。^o^









岩屋岩蔭遺跡からクルマで5分ほどのところに岩屋ダムがある。
南方遥かかなたにピラミッド形態の山が見えていた。
このダムは珍しい”岩石積み上げ式”のダムで傾斜もなだらかであり、自然に近くて好ましい。
それにしても、当日は雲ひとつない秋晴れだった。












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