岩屋岩蔭遺跡
2010プレミアム・バージョンその2

in Gihu Pref. /Iwakage-Iwaya Ruins


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2010プレミアム・バージョン 岩屋岩蔭遺跡その1はこちらから!


11月20日、21日に岐阜県山岡町でイワクラサミット#1が開催されました。今年の夏ごろに山岡町から 私のHPのサロンコーナーにコンタクトがあり、それがご縁で、イワクラサミットに参加しました。
岐阜県には今までも数回訪れており笠置山や中津川の巨石を探訪してきていますが、山岡町にも巨石がある、 しかも夥しくあるということで、あらためて岐阜県の巨石をチェックしなおしていました。そのときにものすごく 気になったのが、金山町にある岩屋岩蔭遺跡なのです。岩屋岩蔭遺跡については岐阜県恵那郡加子母村にご実家がある 岩木宣和さんより事前に情報をもらっていたこともあり、山岡の巨石群を探訪したら必ず岩蔭遺跡を見てみたいという 願望を強く抱いて、イワクラサミットに出向いたのでした。偶然とは恐ろしいものです。サミット後の懇親会で 話し込んでしまった人が、実はその金山町の出身で、丁度岩屋岩蔭遺跡の調査報告を持ってきていた人でした。 しかも泊まる部屋も同室とか…金山町で蕎麦屋を営む小林由来(よしき)氏は仕事とは別に「岩屋岩蔭遺跡周辺調査委員会」の 委員を務める方でも在りました。そしてそのことにより、私の岩屋岩蔭遺跡探訪の厚みがすこぶる増したのであります。
小林氏のお話を聞いて、私はあらためて巨石文化存在の確信を得たのでした。岩屋岩蔭遺跡は精密な天体観測装置であり、 その微妙な計測の演出によって感動すら与えてくれるのです。巨石遺構とはまさに超古代に”彼ら”が未来のわれわれに 向けて残してくれた「隠し絵」に違いありません。巨石群の微妙な配列、わずかな隙間、部分的な平面加工、最低限の 線状痕、周辺の山との組み合わせ…によって、精緻華麗な天体計測装置であるにもかかわらず、一見では大きな石が そこにごろごろとあるだけ…という心憎い演出が施されているのです。そこには文字すらもありません。ただ、巨石群が そこにあるだけなのです。それでもその隠し絵の本質は、それらを創り、演出した側の叡智を余すところなく物語っています。
しかもその中に、”彼ら”のウイットやユーモアのセンスまでもが感じ取れるような、総合芸術として、表現されています。
私自身もこれほどの精密な巨石遺構(既にその内容が調査報告されている)に遭遇したのは初めてです。おそらく岩屋岩蔭遺跡 と同様な天体計測装置としての巨石遺構はまだ全国各地に眠っていることでしょう。それらの調査のアクセルにこのレポートが 役に立てれば幸いです。それでは、第一級の巨石遺構;岐阜県金山町の岩屋岩蔭遺跡をご覧下さい。
1999泰山記

2010 高精細画像に置換え+補足

プレミアム・バージョンその2は岩屋・岩陰遺跡周辺の巨石群その他について詳述しています。

《抜粋;新人物往来社別冊歴史読本#80執筆論説「古代遺跡が語るもの」…岩屋・岩陰遺跡関連部分》

天文施設
 私がそのテクノロジーの偉大さに最も感動した遺構の一つが岐阜県金山の山奥にある岩屋岩陰遺跡と呼ばれる巨石遺構だ。 山奥の谷あいに広がる巨石群に気付く人は少ないだろう。 圧巻は妙見神社を取り囲むように配置された巨大な3つの岩で、高さ10m以上、幅20m以上はある。
 3つの巨石がまるで蓮の花びらが開いたようなかたちで“舞台”をつくっている。岩屋岩陰遺跡の巨石群は全体が太陽の運行を計測する天文施設となっている。
 私が訪れたのは秋だったが、午前10時を過ぎるとそれまで薄暗かった森に急に太陽光が射しはじめ、 その“舞台”をスポットライトのように照らし出したのが極めて印象的だった。“舞台”中央の最も大きな扇状の巨石は写真2-2のように内部に平滑面がある 。そして奥にある一見支え石と見間違える石との間には数十ミリほどの絶妙な間隙が存在し、そこを貫くようにして光が巨石遺構の内部に進入してくるようになっている。
 当時もちょうど私が妙見神社の裏手の巨石内部に入っている時に太陽光が差し込んできた。このときの感動はひとしおであった。
 岩屋岩陰遺跡にはこれといった明白な人為的な加工痕跡は残されておらず、遺構全体のあり方や配置において精密な天文計測をしていると考えられる。 私はそこにこの巨石遺構の叡智とセンスと芸術性を見ている。



岩屋岩陰遺跡周辺の東よりX地点で見られる小規模天の岩戸構造。ドルメン状の石積みとも言える。



「戦艦のような」巨石を前方から撮影した全体像。



その周辺にある立石のような残骸?



「戦艦のような」巨石周辺に立つ立石。



「戦艦のような」巨石前に立つ立石。



周辺の巨石。東(厳密には東南〜東南東)方向に向かう奇妙な突起を持っている。X地点の最南端部にある。道路が見える。



「戦艦のような」巨石の隣には巨大な方形の巨石がある。



天体計測の中核点を持つグループ左下の最大規模の巨石の南端。 高さは10m弱、上部は平坦面があり、一見戦艦のようでもある。手前には立石がある。



天体計測の中核点を持つグループ左下の最大規模の巨石側から、上記の夏至計測巨石群を見たところ。

これが方位石群で、最大の巨石が樹木を乗せた南側の石。



X地点巨石群の中には迷路のような小道がある。



X地点の最北部にあった、深い切りこみがある巨石。右側は非常に平滑な面。



そのクローズアップ写真。



前掲のX地点の「戦艦のような」巨石の上にも同様の樹木が茂っていた。樹木が無ければその形状は岐阜県山岡町の雨乞いの岩に似ている。 前掲の最北部の巨石から「戦艦のような」巨石の北面を撮影した。



人工加工と考えられる、天体計測巨石群のひとつの巨石の平坦面。 因みに、岩質は花崗岩。←当時は花崗岩であると思った。もう一度精査する必要がある。この周辺は全域火山岩でできているのでもし花崗岩であるとすれば花崗岩そのものを運んだことになるので…。因みにこの方向は南を向いている。



X地点の巨石群密集の様子。X地点最北部の巨石より東南方向を撮影。



同じく。南側から見た側面。



X地点巨石群の中の一つの巨石の頂上部分。



岩屋岩蔭遺跡本体から東南方向数十mにある精密計測巨石群のひとつ。 先端の向き、縦の面の方向等、重要な方向を決定している。 高さ数m。方位石群の中の北側巨石の先端。真正面が東。



X地点の方位石と思われる巨石群の全体像。道路の傍にある。一見樹木が割ったように見えるかもしれないが、 これは割れた(割られた)巨石の上に樹木が茂り、その根が巨石伝いに降りてきている情景。この方向は西側から東向きに撮影したもの。



これもX地点にある方位石群の中のひとつの巨石だが先端形状が特異で、人工加工痕跡がうかがえる部分。先端の方向はほぼ東南方向でこの先1.5kmほどのところには標高872.9mのピラミッド型状の山が存在している。こうした巨石の一部を尖らせてある対象を指し示すという事例はいくつかあり、2010年に公表した神奈川県神武寺裏手山の仮称「鶴石」も同類である。



X地点巨石群のある巨石の底部。上に巨石が下の巨石に乗っかっており、少しずらしてあるようだ。



そのクローズアップ写真。。この巨石の先端形状も気になる。



方位石群を逆に東側から撮影したところ。間の隙間は何とか歩ける。



同上。 この巨石の平面方向が夏至の日の出方向を示している。 また、画面左の巨石の平面方向が夏至に周辺の山から太陽が昇る位置を指し示している。



妙見神社の参道脇に合った巨石(だと記憶している)。



その底部。これは自然崩壊か人工痕跡かは不明。



岩屋岩蔭遺跡の参道入り口にある三つの巨石の組み合わせ。 現時点では天体計測との関係は明らかではない。 ただし、ガイド板で見る限り、冬至の日没ライン上にはある。 あるいは祭祀関連の巨石群かもしれない。



同じ3つ石の別アングル。



X地点の方位石群とY地点の3つ石との間には小道があるが、そのなかほどにある巨石。この巨石も本殿のZ地点と関係があるとのこと。 これをJ石と呼んでいる研究者もいる。



岩屋岩蔭遺跡からクルマで5分ほどのところに岩屋ダムがある。 南方遥かかなたにピラミッド形態の山が見えていた。 このダムは珍しい”岩石積み上げ式”のダムで傾斜もなだらかであり、自然に近くて好ましい。 それにしても、当日は雲ひとつない秋晴れだった。



岩屋ダムの石碑



岩屋ダムは珍しい傾斜がなだらかな”石積み式”ダムなのだ。



岩屋ダム湖。



遥か南方に気になる三角形の山容があった。



岩屋ダム周辺の山々。



岩屋岩蔭遺跡周辺にピラミッド山は果たしてあるのか?…やはりあった! 岩屋岩蔭遺跡の真東に高さ数百mの美しいピラミッド山があった。 写真よりも実物の方が遥かに急峻で美しく見える。一瞥でピラミッド山だと分かる。 下の標識が県道下の岩屋岩蔭遺跡を案内している。 その山腹に夏至・冬至・春分・秋分の山から昇る日の出の位置を示す巨石群があるとのこと。 岩屋岩蔭遺跡から徒歩で山頂まで約40分だそうだ。今回はあきらめた。う〜む。次回かならず! この真東のピラミッド山を含めて岩屋岩蔭遺跡システムは成立しているのだろう。 逆にこうした聖山がなければ祭祀場として成立しないのではないか…エネルギー場として… 小林氏のお話では、古代崇敬されていた聖山があったが、今は見失われてしまったとか。 この東の山が伝説の聖山ではないか!?…二人の間ではそういうことになったのではある。^o^


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