Thank you for your access.or This page automaticaly jumps to PDF version in 10 sec. to.pdf-page Go!
|
参詣;1989年、2006年 記;2006年秋 泰山
関連重要探訪記2014→阿伎留神社奥宮;琴平神社の大物主大神の磐座
それぞれの写真をクリックすれば大きな画像が見れます。
神巡りの軌跡…日本の美しき神社
Jinjya(shrine) & sacred Rocks大神神社
oomiwa-jinjya ; nara
泰山の古代遺跡探訪記
Presented by…
Gainendesign-Labo.
※概念デザイン研究所FaceBook
※サイトオーナー泰山こと山口泰幸FaceBook
※ご連絡用メール;taizan@gainendesign.com
※概念デザイン研究所Fホームページ
※泰山の古代遺跡探訪記ホームページ
大神神社へ初めて参詣したのは今から17年前の1989年初冬である。再び三輪の地を訪れることになった。
「泰山の古代遺跡探訪記」の起点はまさに、大神神社の本殿、御神体の三輪山奥津磐座にある。
30代の私には三輪山は極めて重い存在であり、それは全山紫色に包まれた厳父が如き威厳に満ち溢れていた。
当時、3年間位三輪山と奥津磐座のイメージが夜毎心象に出現するほど、存在力の大きな山と磐だった。
2006年の秋、50代になっていた私には山頂までの行程は予想以上にきついものだった。
日々平均10Kmほどのウオーキングをこなしているにも拘わらず、登頂の途中2度も腰をかけて休息を
してしまうありさまだった。お山が「歳相応に無理なく生きよ」と優しく声をかけてくれるのが
痛いほど良く分かる。
狭井神社の御神水をいれたペットボトルから水を二口補給する。三口目は飲まずに天を仰いで額にふりかけた。
ありがたいことにほんの数分で回復する。
17年前に登ったルートがつい昨日のことのように明確に思い出されてくる。
この17年間、三輪山と奥津磐座を忘れたことはない。むしろ時折イメージでかの磐座の前に座ることもある。
昨年の暮れに、珍しい霊能者が我が家を訪れ、「体も時には行かないといけない」と示唆に富んだ意見具申を
してくれた。要するに、荒魂も清めに行けと…
三輪の地は神奈川からは近いところでは決してない。それにもまして三輪山行きはそれなりの準備と覚悟と時宜が
要る。2006年の1月に三輪山行きを決めてから8ヶ月も要したのにはいろいろと訳がある。しかし、やはりこういう
お山へ行くのは…それなりなんであるとつくづく思うのである。そして、9月21日台風一過の快晴の日に三輪山を
目指すことになったのである。
三輪山も奥津磐座もある意味で、17年前とは変化しているように感じた。初回の畏怖にも似た緊張感は薄らいで、
感じるのは巨木、巨石そして御山に対する親近感のみであった。”白き輝き”とでも言いたくなるような放射する
慈愛に満ちた光景がそこかしこにあった。
落雷のせいか頂上付近の巨木には立ち枯れや倒木が多く、ぽっかりと天に窓が空いている。
そのことも手伝って、以前の鬱蒼とした森と磐座は、明るい広場の中で楽しげでもあった。
黒褐色であったと記憶していた奥津磐座はむしろ白く、無数に散りばめられた紫の結晶がまばゆいまでに
きらきらと光っていたのが印象的である。
------
三輪山に鎮座する大物主の神との関わりは実はもっとずっと以前からでもあった。既に10代の後半には
訳も分からぬまま、気の赴くままに、東北の金華山や和歌山の熊野本宮を参詣している。
だから、今生の人生のかかわりの中で本来三輪山と深いつながりがあるのであるが、というかそういうことは
今頃になってようやく見えてくるのだが、こと古代遺跡探訪に関して言えば、1989年の三輪山登頂が全ての
始まりなのである。
1989年以降、様々な変化が身の回りに起こったことは事実である。いずれにしても
「泰山の古代遺跡探訪記」の中核であると同時に起点であるのは間違いなく大神神社の御神体山である三輪山と
奥津磐座なのである。
------
不義理で奔放な私を、三輪山は変わらぬ懐の大きさと温かさでとっぷりと包んでくれた。そして『浄化』、『叡智』、『霊力』を
高めよと言っていたような気がする…私に、国土に…あるいは日本人に…
泰山の古代遺跡探訪記topへ