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鹿島神宮

Kashimajingu; Ibaraki


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鹿島神宮 (かしまじんぐう)常陸国一宮  

御由緒(公式HPより)
 遙かな神代の昔、高天原(たかまのはら) の八百万神(やおよろずのかみ)達は、我が 国を「天孫(すめみま)(天照大御神(あま てらすおおみかみ)の御孫)の治める豊葦原 瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」と することを決められ、これに先立ち、まず国 中の荒ぶる神々や夜も昼も騒がしい世の中を 言向(ことむ)け平定(やわ)することが先 決であると衆議一決しました。
御祭神(公式HPより)
 「古事記」「日本書紀」によりますと、武 甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)は、宇 宙自然の創世に成りませる陰陽の神、イザナ ギ、イザナミの両神より生まれた火の神カグ ツチより誕生された、とされています。 即ち原初の自然創世の頃に成りませる神であ ります。

鹿島神宮の武甕槌大神も、香取神宮の経津主大神もともに日本書記に出てくる大和朝廷の武神であり、 東国鎮護の神として西国より遣わされた神々である。茨城県神栖町の息栖神社と合わせて東国三社と称される。 香取神宮も息栖神社も鹿島神宮からほんの数キロmしか離れていない。鳥瞰すれば息栖神社を頂点とした二等辺三角形が形成される。 鹿島神宮の境内からすぐ東は鹿島灘、すなわち太平洋だ。ちなみに息栖神社の御祭神は天鳥船神。
利根川をはさむ形で鹿島神宮と香取神宮は対峙しているが、大昔は殆どが湿地で、鹿島神宮と香取神宮はそれぞれの陸地部の突端であったといわれている。 これは勝手な想像だが、大利根川河口の巨大砂州にまず太平洋から船が上がり、拠点を作り。そこから北方と西方の陸地部の橋頭保にそれぞれ軍を進めた… という図式だろう。鹿島灘はミステリーゾーンで数多くの伝説があるが、別の機会に譲りたい。
私が探訪場所に選んだ第一義は『要石』の存在である。それを筑波山探訪の帰りに確認しに行った。鹿島神宮自体は素晴らしいところで癒しと威厳とが 同時に存在している。…ただしそれは明治神宮、熱田神宮、武蔵の陵などに感じるものであって、大神神社や大国魂神社、金刀比羅宮などと次元が違うように 感じた。いうまでもなく小生の心の故郷は後者にある。

1996探訪 2010記 泰山




鹿島神宮の全体図。参道入り口付近にある。境内は明治神宮にも匹敵するような大規模敷地。



常陸国一宮、鹿島神宮の参道入り口の朱塗り楼門。



楼門のクローズアップ。ここからかなりの距離を歩く。平坦なので歩きやすいが…



鹿島神宮本宮の拝殿。徳川2代将軍、秀忠公が奉納。裏手には鏡石が置かれている。



拝殿の中。



拝殿は複層的な構造になっていて、前から幣殿、石の間、三笠社、御神木が並ぶ。



幅広で長〜い参道を行くと途中、鹿の群れがこちらを見ていた。夕刻でフラッシュをたいたので目が光っている。



神門から数百m奥にある奥宮。家康公が奉納。



奥宮から300mほど奥にある”要石”を祀る社。



中央の小さな石が要石。水戸光圀公が掘らせたがあまりに巨大すぎて途中であきらめたという逸話がある。



御祭神である武甕槌大神について書かれた案内板。



鹿島神宮の大鳥居。帰り際、夕闇の中で撮影。



御神木。


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