In Ibaraki Pref. sacred Mt. Kabasan with 48 Tengs
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鈴木氏から送られてきた真壁町の歴史民族資料館作成の「石とくらし」
という厚めのパンフレットには、筑波山をしのぐ巨石の写真が数多く載っていました。
今回、1年間の想いをこめて加波山の巨石群を探訪してきました。
珍しくどしゃ降りの雨の中、鈴木正徳氏にも同行をして頂き、加波山の凄さを堪能してきました。
国学者、平田篤胤は江戸時代に仙童寅吉の助けを借りて、天狗の研究に情熱を
注ぎましたが、平田篤胤によれば、筑波山塊には十三天狗が、この加波山には
何と四十八天狗がいたとのこと。霊力では加波山は関東随一の場所と言えます。
加波山中には夥しい数の巨石や磐座が存在しますが、今回は加波山頂上にある
加波山神社の周辺を中心に探訪記を記します。山中は雨に煙ってまさに
幽玄郷そのものでした。圧巻は頂上にあった太陽石と思しき巨石で、
たつ割れ山の太刀割り石と同様にまっぷたつに割けていたことです。
加波山はその周辺にある足尾山等の山々と呼応し、かつ神社の存在があり、
巨石群の頂上付近での配置から、筑波山と同様にヒラミツトに違いありません。
関東平野のど真ん中にこのような巨大なヒラミツトシステムが形成されて
いたことに改めて感動すると同時に、自らの不勉強さを思い知らされました。
それではほんの一部の紹介ですが、茨城は真壁町の加波山をお楽しみ下さい。
1997泰山記 2010 高精細画像に置換え+補足
2001年の再探訪時の写真を追加して再編集を2010年に実施。講談社発行のウオーキングマガジン2001年10月号の取材案内のため加波山を再訪した。1996年のときには加波山頂上付近で雨になったため来た道を引き返した。2001年のときには9合目の登山口までクルマで行き、そこから山頂経由で加波山事件で有名な旗立石まで行った。1996年当時の写真は霧雨によるピンボケが多いので、なるべく同じ場所については2001年版に差し替えた。小さい画像はデジカメ映像なのだが、なにせ1996年当時の低解像度カメラなのでこれが限界。
筑波山も素晴らしいが、加波山もまた非常に良い。双方ともにピラミッド山の要件をしっかりと備えた美しい山である。前者が”ハレ”の舞台ならば、後者の加波山は
”ケ”の舞台であろう。前者が光ならば後者は影、同じく陽ならば陰。そういう感じがする。個人的には加波山の方がしっとりと重くて好きである。筑波山と加波山のセットで関東平野の臍になっていると思う次第である。
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泰山の古代遺跡探訪記
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関東平野の中にぽつんと聳え立つのが、特集4で取り上げた霊峰筑波山です。
その北に少し背は低くなりますが、筑波山と同様に霊山として古くより
尊崇され、行場として有名なのが加波山です。加波山の情報は昨年
私の知人である真壁町の鈴木正徳氏からもたらされました。

加波山は筑波山と共に関東平野の中央に聳える希な霊峰である。

郷社加波山神社の拝殿。この他村社や摂社など多くの神社群が加波山中にはある。
ここが標高709mの加波山の1合目。1996年にはここからけっこうきつい登山道を登拝した。

9合目付近の駐車場辺りから始まる急登の加波山神社参道。

加波山頂上付近は写真ように急峻だ。こうした崖に数多くの巨石があるのだ。酒井勝軍によれば真正ヒラミツトは70度位あるという。

加波山神社本殿(天中宮ともいう)に近い場所にある見事な平滑面を呈する三角石。

加波山山頂へのアプロ―チはけっこうきつい、このような急峻な道が続く。

加波山頂上の加波山神社本宮間近にある巨大岩盤の切り通し。

「三尊石」と呼ばれる神聖な磐座である。
このかたちは五葉山の日の出岩に酷似している。
三つの石柱が寄り添ってメンヒル状に立てられたこうした
神聖な磐座はヒラミツト探訪の肝である。
これは本殿近くに出現する小型の三尊石、真の三尊石は山頂を越え、丸山、足尾山に向かう途中に存在する。

加波山の情報を提供してくれた鈴木正徳氏。
当日も雨の中を同行して頂いた。

別宮の横にあった巨石で、これも太陽石が割られたようになっていた。

加波山神社本殿間近の岩盤。隙間には幣が置いてある。

奥社が磐座の上にのっかっている。これが加波山山頂部にある加波山神社本殿。天中宮とも言われた。

本殿がある頂上部分は巨大岩盤を人工的に加工してある。
私の足の下に鋭利な加工面を持つ巨石がある。

神社横の加工された巨石。
これは神社建立のための加工であろう。

頂上近くの一枚岩。

神社本殿横にあった縦横に割れた巨石。
割られ方から見れば方位石のようだ。
今まで見た方位石はきれいな直線で切られていたので
これが方位石であると断定するまでにはいかなかった。
直観的には方位石である。同型のものを探してみたい。あるいは形状からして”陰石”と見ることもできる。

笠石状の巨石を頂いた「岩戸」。
勿論ほこらになっている。
岩戸はヒラミツトの中腹にあるのが普通だ。
これも少し頂上から下ったところにあった。

「岩戸」よりさらに下にあった祭壇石上の巨大岩盤。
少なくとも、周囲の石とは違って、使用されたような
滑らかな痕跡が漂う。

頂上付近の別の磐座。
大きさは3m×3m位ある。

頂上から少し降りた所にある宮司鈴木家(正徳氏とは別)
を祭る墓標と磐座の組み合わせ。
超古代、古代、中世そして近代が混沌と入り交じっているのだ。
勿論神社は古代から中世である。私たちは真眼で超古代の
できごとをイメージする必要がある。
今回のインパクトは、やはり「巨石は恣意的に巨大なちからで割られた」
という思いである。

これも人工的に割られた痕跡がある巨石。
その上に後代のほこらが祭られ祭祀場になっている。オノコロ島と称される巨石群。
その中に剣のような石柱が聳える。

三枝祇(さえずみ)神社本宮拝殿。横に巨石群がある。山頂本殿から少し行ったところにある。


三枝祇(さえずみ)神社本宮拝殿のすぐ後ろに小ぶりだが品格のある本殿がある。その後方に控えるのがこの”おむすび型”の巨石だ。注連縄が張られ幣(ぬさ)もあるので、
祭祀に使われていることは明らか。隣に参考でサイズ比較写真を載せた。巨大さが分かると思う。出典:ウオーキングマガジン2001年10月号。取材案内をした時の記録。

加波山は709m。その9合目あたりから巨石や磐座が夥しく出現する。
これは頂上にある高さ約4〜5mの球体状の巨石が真ん中から割れたもの。
たつわれ山の太刀割り石とそっくりの割れ方だ。
基はおそらく完全球体に近い太陽石ではないかと想像してみた。
このように何か巨大な力で、恣意的に割られた巨石を多く見かける。
その様子は「破壊しつくされた」という感が強い。そうした状況に想いを馳せるべきだ。”おにぎり型”の巨石を真横から撮影したもの。
割られて設置されたと考えるのが妥当だろう。

”おにぎり型”の巨石を逆側から撮影したもの。向こうに見えるのが三枝祇(さえずみ)神社本殿である。この巨石の周囲にも同様の巨石群があり、
一帯に注連縄が張られている。

別の磐座。巨石群の存在感から見て、本殿のある山頂部よりも、三枝祇(さえずみ)神社本殿後に出現する場所の方が磐座群としては本命であるように思える。

直角の組み合わせで加工された磐座。
ほこらとなっている。組み合わせればひとつの丸石になる。近くに寄ると3個位の巨石の組み合わせによって間隙が形成されており、
構造的には方位石になると思われる。二つの平滑面は感激するほど美しい。

ここにも注連縄が張られているので分かると思うが、三枝祇(さえずみ)神社本殿後ろの場所一帯は「加波山頂上磐座群」と称するに値する。その中にはこのような立石もある。

同じく「加波山頂上磐座群」の端に合った巨石群。

これが高さ5mはゆうにある、真の”三尊石”。加波山山中巨石群の最大のスペクタクルである。ここに来るには三枝祇(さえずみ)神社本殿から二股に分かれる道を右にやや下る。

「三尊石」の上部。

同行したカメラマンと比較すればその大きさが分かると思う。存在感のある素晴らしい巨石である。

三枝祇(さえずみ)神社本殿から三尊石を過ぎると急速に下りに入ってくる。これは地元で「天狗七飛び岩」と言われる巨石。

その近くに、加波山事件で有名な「旗立石」がある。

「旗立石」からさらに下った所にある丸石。底部に幣(ぬさ)が置いてあるので、これも何らかの祭祀用巨石と思われる。ピラミッド山構造的に言えば裏参道(表かもしれないが)中の”玉石”に相当すると思われる。

その丸石のすぐ傍に転がっていた「舟(状)石」。これがあるからにはやはり参道になっているようだ。

山中の崖にはこのような巨石群がいくつもある。

「三尊石」や「おにぎり型石」と同じように非常にインパクトがあり印象に残った立石状の巨石。すばらしい形状である。
これも底部に幣がある。私はこれは斜めに立てられた”男根石”ではないかと考える。

この近辺には白狐稲荷と言われる小さな神社があるのだが、時間の関係でこの巨石を見て、帰路に就いた。といっても、もう一度山頂へと戻り、登山口の駐車場まで戻ったわけであるが…。