四十八天狗の加波山

In Ibaraki Pref. sacred Mt. Kabasan with 48 Tengs

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泰山の古代遺跡探訪記
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”創造のピラミッド” Gainendesign-Labo.



関東平野の中にぽつんと聳え立つのが、特集4で取り上げた霊峰筑波山です。 その北に少し背は低くなりますが、筑波山と同様に霊山として古くより 尊崇され、行場として有名なのが加波山です。加波山の情報は昨年 私の知人である真壁町の鈴木正徳氏からもたらされました。

鈴木氏から送られてきた真壁町の歴史民族資料館作成の「石とくらし」 という厚めのパンフレットには、筑波山をしのぐ巨石の写真が数多く載っていました。 今回、1年間の想いをこめて加波山の巨石群を探訪してきました。

珍しくどしゃ降りの雨の中、鈴木正徳氏にも同行をして頂き、加波山の凄さを堪能してきました。 国学者、平田篤胤は江戸時代に仙童寅吉の助けを借りて、天狗の研究に情熱を 注ぎましたが、平田篤胤によれば、筑波山塊には十三天狗が、この加波山には 何と四十八天狗がいたとのこと。霊力では加波山は関東随一の場所と言えます。

加波山中には夥しい数の巨石や磐座が存在しますが、今回は加波山頂上にある 加波山神社の周辺を中心に探訪記を記します。山中は雨に煙ってまさに 幽玄郷そのものでした。圧巻は頂上にあった太陽石と思しき巨石で、 たつ割れ山の太刀割り石と同様にまっぷたつに割けていたことです。

加波山はその周辺にある足尾山等の山々と呼応し、かつ神社の存在があり、 巨石群の頂上付近での配置から、筑波山と同様にヒラミツトに違いありません。 関東平野のど真ん中にこのような巨大なヒラミツトシステムが形成されて いたことに改めて感動すると同時に、自らの不勉強さを思い知らされました。 それではほんの一部の紹介ですが、茨城は真壁町の加波山をお楽しみ下さい。


加波山は筑波山と共に関東平野の中央に聳える希な霊峰である。


郷社加波山神社の拝殿。この他村社や摂社など多くの神社群が加波山中にはある。


加波山は709m。その9合目あたりから巨石や磐座が夥しく出現する。
これは頂上にある高さ約4〜5mの球体状の巨石が真ん中から割れたもの。
たつわれ山の太刀割り石とそっくりの割れ方だ。
基はおそらく完全球体に近い太陽石ではないかと想像してみた。
このように何か巨大な力で、恣意的に割られた巨石を多く見かける。
その様子は「破壊しつくされた」という感が強い。そうした状況に想いを馳せるべきだ。

















加波山頂上の加波山神社本宮間近にある巨大岩盤の切り通し。


















「三尊石」と呼ばれる神聖な磐座である。
このかたちは五葉山の日の出岩に酷似している。
三つの石柱が寄り添ってメンヒル状に立てられたこうした
神聖な磐座はヒラミツト探訪の肝である。


















加波山の情報を提供してくれた鈴木正徳氏。
当日も雨の中を同行して頂いた。やはり山歩きは複数がいい。




















加波山頂上付近は写真ように急峻だ。
こうした崖に数多くの巨石があるのだ。
酒井勝軍によれば真正ヒラミツトは70度位あるという。



















オノコロ島と称される巨石群。
その中に剣のような石柱が聳える。
















本殿がある頂上部分は巨大岩盤を人口的に加工してある。
私の足の下に鋭利な加工面を持つ巨石がある。












神社横の加工された巨石。
これは神社建立のための加工であろう。















頂上近くの一枚岩。


















直角の組み合わせで加工された磐座。
ほこらとなっている。組み合わせればひとつの丸石になる。



















神社本殿横にあった縦横に割れた巨石。
割られ方から見れば方位石のようだ。
今まで見た方位石はきれいな直線で切られていたので
これが方位石であると断定するまでにはいかなかった。
直観的には方位石である。同型のものを探してみたい。











笠石状の巨石を頂いた「岩戸」。
勿論ほこらになっている。
岩戸はヒラミツトの中腹にあるのが普通だ。
これも少し頂上から下ったところにあった。




















「岩戸」よりさらに下にあった祭壇石上の巨大岩盤。
少なくとも、周囲の石とは違って、使用されたような
滑らかな痕跡が漂う。











頂上付近の別の磐座。
大きさは3m×3m位ある。













これも人工的に割られた痕跡がある巨石。
その上に後代のほこらが祭られ祭祀場になっている。

















別宮の横にあった巨石で、これも太陽石が割られたようになっていた。
大きさはご覧の通り。













別宮の奥社が磐座の上にのっかっている。

















別の磐座。












頂上から少し降りた所にある宮司鈴木家(正徳氏とは別)
を祭る墓標と磐座の組み合わせ。
超古代、古代、中世そして近代が混沌と入り交じっているのだ。
勿論神社は古代から中世である。私たちは真眼で超古代の
できごとをイメージする必要がある。
今回のインパクトは、やはり「巨石は恣意的に巨大なちからで割られた」
という思いである。





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