古峰ヶ原心象紀行1;哀愁のサンバ(三枚)岩
Copyright(C) 2000 by Taizan



泰山の古代遺跡探訪記
Presented by… クリックで---
プロデューサー;概念デザイン研究所へ---
コンセプチュアル・シンボル
”創造のピラミッド” Gainendesign-Labo.



このお話のスタートは2000年の夏だった。2000年8月20日(と彼は正確に記憶していた)、気にかかる巨石の写真がメールに添付されて送られてきた。
「福島の山中でふと見かけたもので…」と写真の解説は山好きの旅行者の軽やかなタッチで書かれていた。…が、電子メールに添付された小サイズの 画像からでも、”その凄さは”十分に伝わってきた。

「天狗橋の巨石」と謳われていたその写真からは、巨石自身が発する強烈なオーラのようなものが出ていたことは間違い無い。しかし一瞬私は判断に迷ったのだった。
いくら川沿いの道路に近い対象物とは言え、”通常の旅行者のアンテナ”には先ずこの巨石は引っ掛からないはずだ。しかもそれが近場の福島の山中にあるというのだ。
福島界隈では一般的には安達太良山から千貫森、鎌倉山あたりが巨石のオーソドックスゾーンであり、少しマニアックに行けば日立北方から福島東岸にかけての巨石山などが 紹介されて然るべきところである。

ところがその新たな巨石ポイントは、私の”巨石閻魔帳”の空白地帯を明確に指し示していた。その”天狗橋巨石”の凄さは写真からでも容易に推察できた。
私の興味はその人工痕跡の強く残る巨石へと同時に、メールの発信者自身にも向けられたのであった。

その後数回のメールのやり取りの中で、膨大な写真が電子メールで伝送され、対象の範囲は関東圏、中国山地と広がって行った。そしてそれらの写真の殆どが私の目を釘付けするに 十分なものだったのである。
そのうちの特に気になった写真を指摘すると、「自分もそう思っていた。それは人工痕跡が非常に強い”物件”である」と、送信者は応えてきた。
姫路の生石神社の石の宝殿を北上し、”それを”見つけてきたと、彼は言うのだ。この時点で私は”その旅人”が、私と同じ感覚で「石神に呼ばわれる”石探し人”」である ことを確信した。

………

その若き”石探し人”が工藤さんである。工藤さんは何と今年の五月から初めてインターネットを始めたと言う。私に写真転送をするのに四苦八苦 したというのも頷ける。いやはやとんだご苦労をかけてしまった。…どうしても写真をみせたかったという工藤さんの気持ちを写真たちは十二分に語ってくれていた。
その中の超重要物件が今回のテーマなのだ。

現地で”サンバ岩”と呼ばれているその巨石は、日光に間近い古峰ヶ原に鎮座している。サンバ岩は明らかな人工が施された巨石遺構である。
古峰ヶ原の山頂平坦部に独り佇むサンバ岩は”哀愁のイワクラ”でもある。風雪に耐えながらも孤高を保ち、いにしえの栄光が鮮明に私たちに呼び起こされるその日を、 密やかに待ちつづけているその姿に、心打たれない者はいないだろう。

工藤さんが知らせてくれたこのサンバ岩は昨年の宮崎県母智丘と岐阜県岩屋岩陰遺跡に並ぶ、秀逸な巨石なのだ。写真を見た瞬間からそれは良くわかっていた。サンバ岩の 横には麓神社の奥宮とされている小さなヤシロが寄り添っているのだが、工藤さんは偶然にもそのヤシロが改修されるときに、サンバ岩を素の状態で見ている。
奥宮の中(丁度サンバ岩の岩の隙間)には不思議なことに”右手に剣をかざした不動明王”が”ご本尊”として安置され、このサンバ岩を守護しているかのようである。 そして三段重ねの本体の巨石の継ぎ目には見事な「加工」が施されているのだ。
最近比較的腰の重くなってきていた私が珍しく現地確認の 探索に行くことを即決し、彼ににご案内願ったのである。言うまでも無く目的は、サンバ岩の加工構造とその他の人工痕跡を確認するためである。

ただし、もうひとつ明確な目的があった。それは、この重要物件を含めて構成されているKヶ原ピラミッドシステムの全体像を認識することである。
行けば必ず、重要な巨石にはそれを包含するピラミッドシステムが存在する。しかし、また、それは行かなければ絶対にわからないことでもあるのだ。そのシステムをからだ全体で 認知するにはどうしても現地の山中に身を浸す必要がある。
…そのことは工藤さんには当日まで伏せておいた。それは現場で実証的に巨石と全体のピラミッドシステムを彼に味わってもらいたかったからだ。

事前の地図チェックでは古峰ヶ原とその周辺には際立って目立つ山は無かった。しかし麓に大きな神社(古社)があることからして、必ず関連の聖山はあるだろうとの予測を立てていた。
前日の夜中から近くのサービスエリアで工藤さんは待っていてくれた(というか山行きの場合、麓で朝を迎えたいのだそうだ)。わたしたちは午前8時頃には既に古峰ヶ原に向かうF街道を北上していた。

コンビニで昼食の弁当を買い込み、麓の神社に向かう丁度そのときだった。S字に曲がる舗装道路を山並みが両脇から迫る、その合間を縫って、遥か遠方に薄紫色の 大ピラミッドが突然姿を現したのだ。私は思わず助手席のナビゲーターに叫んでいた。「あの山が多分重要ポイントになるはずだ!」と(その時点ではまだ名前が分からなかった)。
工藤さんは懸命に地図で山を探ろうとしている。「ヨコネ山か…それとも…」。
いずれにせよ、巨石遺構に向かうとき、必ず真っ先に気になる聖山があることが多いのだ。あの色、あのカタチ、あの存在感…それが確認できれば、対象となっている 巨石遺構はまず間違い無く重要物件であり、「石神の宿る」巨石となる。工藤さんにはとりあえずその聖山の色とカタチを覚えておいてもらうことにした。

古峰ヶ原の登り口に麓の古峰神社がある。神社の御祭神はヤマトタケルノミコトとなっているが、実態としては天狗様をお祭りしている神社である。
古峰(ふるみね)神社の周辺は空気がスカッと上空に抜けるかのような清涼感が漂う。丁度紅葉の季節で色づいた木々が神社に降り注ぐ陽光に輝いていた。
参道を真っ直ぐ進もうとする私に工藤さんが声をかけた。「本殿は右手ですヨ」。
本殿の”在りか”をあまり間違えたことはないのであるが、ここでは珍しく本殿を通り過ぎようとしていた。正直言って、右側の建物には全く意識が向かなかったのである。
長野の諏訪大社にも本殿の向きが拝殿と直角になっているところがある。私は真っ直ぐの方向に本殿があるとの見当違いを工藤さんに詫びた。…が、
後に古峰ヶ原に登ったときに、その本殿の存在感覚が間違っていなかったことに気づくことになるのだ。

参拝を済ませた私たちは、いよいよKヶ原頂上を目指した。…続く

2000泰山記

2010 高精細画像に置換え+補足



古峰ヶ原街道を北上する途中に姿を現す薄紫色の聖山



工藤さんから最初に転送されてきた巨石遺構の写真。 現地行きを即決させた衝撃のサンバ岩がこれだ!
Copyright(C) by A.Kudoh 2000


『泰山の古代遺跡探訪記』topへ