古峰ヶ原心象紀行4;最終章…表徴の森
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巨石の森の美術館を抜けると、道はやや急峻になり、踊り場を越えながら一気に山頂へと向かうことになる。 踊り場辺りから巨石群はより一層興味深い表情を見せ始める。そこには巨石達が言わず語りに語る、”表徴”が そこかしこに認められる。その一瞬一瞬の巨石達との形而上学的な語らいは、少なからぬ悦びを”石探し人”に 与えてくれる。

2000泰山記

2010 高精細画像に置換え+補足



”すっぽん岩”
(仮称;以下同様にそれぞれ存在感のある巨石には相応しい名前をつけてみた)
体の丸みに反して、その頭部は極めて鋭利である。 頭部だけをすっぽりと型抜きしたようになっている。



”おかっぱ岩”
たまねぎのように、周りの石の層が一皮づつ”剥けている”。 こうした曲面で層状に剥離する球体の巨石は岐阜の山岡にもあった。 巨石のかけらが風化によって丸くなるのならば、角は取れることがあっても、 球面での層状剥離は考えにくい。
大胆な仮説を言えば、球体が層状に”作られた”あるいは”形成された”と見るのが、 むしろ合理的な解釈ともなるだろう。 少なくとも観察眼を鋭くすれば、巨石の生成が、単純に造山作用のみによって行われている と見るほうが、不可解でもある。石が生まれるという伝説や、石生(イシブ)などという 地名も現存する。この”おかっぱ石”はカワイイ顔をしながら、静かにそう語りかけている。



”閂(かんぬき)岩”
この石は実際には巨大だ。周長10m以上はらくにある。 問題はその形態で、梢と落ち葉を無視して観察すれば、 土台の半球状の巨石から円柱状の柱が突き出ていることが分かる。 問題は、その半球状の土台の曲面と、円柱の切り口の平坦面で、 これらが同じ巨石の中に同時に存在していることだ。 つまり、このような”状況”は、自然的な割れではなく、加工 が施されているとみるべきであろう。
そして重要なことは、古峰ヶ原の山腹にある唯一の踊り場にこの”閂石”があることだ。 >宮崎県の母智丘の巨石のように、踊り場には「聖山を仰ぎ見る」という重要な意味がある。



”地蔵岩”
高さは3m以上ある。頭部の載せ石は誰かが置いたもの。 形態的には美しい”メンヒル” 参道脇に存在し、かなり印象が強いことを考えると いわゆる”立石(たていし)”として置かれたものだろう。 こういう石が見つかると、本当に癒される。



”鳳(おおとり)岩”
大空に今にも羽ばたいて飛び立ちそうな巨石。 翼長10m、頭部の高さは3m以上はある。 あるいは”ロケット岩”とでも呼びたくなる躍動がある。 頭部の造形美がたまらない。 私達に「見て欲しい」といわんばかりに、 羽の上の木立がずり落ちて、岩肌があらわになっていた。



”坊主岩”
岐阜のイワクラの森にある、「太陽石」と同格の 参道際にある巨大球体。 その存在の親近感から”坊主岩”と名づけてみた。 大きさは高さが5m以上はある。そばに行くと ホワーっと、暖かい。



”ハマグリ岩”
山頂付近の台地に置かれた超巨大な巨石。 当日はあまりに大きくて形容のしようがなかった。 写真を見ると形状は貝殻がかぶさったようなドルメン状の巨石だ。 長さ20mはある極めて巨大な構造体で(ドルメン状の空隙が下部にある) 台地周辺にはこれだけがポツンと存在している。



”菱形紋岩”
私は『ォォー…』という声を押し殺して、工藤さんを呼んだ。「ちょっとこっちに来て!面白いものがある」 私を通り越して「どれですか?」と前方を見渡す工藤さんに、私は「振り向いてごらん」と微笑んで言った。 その瞬間、「ワオー!!!ウワオー!!!」という工藤さんのけたたましい雄たけびが山中にこだましたのだ。

工藤さんに思わず叫ばせた巨石がこの”菱形紋岩”である。

それは台座状の石に横たえられた、四角柱状の巨石の”端面”であり、 見事にそこだけに、鋭利な菱形を浮き上がらせている。 「ワタシハココニイル!」という無言の表徴がそこには明白にある。



”境内”ともいうべき山頂部の台地を抜けて、いよいよ頂上の”サンバ岩”へ向かう。

そしてわたしたちは最終章を確認することになる。

目的の”サンバ岩”が見え始め、ほっとして今来た参道を振り返ると…

なんとそこに、今朝見たアノ紫に煙る幻想の山が、そこにあるではないか。

これだ。これで全てが理解できた。
古峰ヶ原の深奥の聖山は北方の この紫雲山なのだ。
そして古峰ヶ原はそれ本体も山頂に巨石を頂く ピラミッドであると同時に、この紫雲山の拝殿山にもなっている。

”サンバ岩”の稜線はこの紫雲山を向いている。

工藤さんと私は古峰ヶ原、”サンバ岩”と同時に、本質的には この紫雲山に呼ばれていたのだった…




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