桃太郎伝説鬼ノ城

in Okayama Pref. / Demon's Castle Kinojo

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泰山の古代遺跡探訪記
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コンセプチュアル・シンボル
”創造のピラミッド” Gainendesign-Labo.



神戸、姫路、岡山、広島そして瀬戸内海一帯を古代、吉備王国が支配していました。 岡山の吉備路は、王国の栄華を未だに色濃く残しています。 観光地として著名となった吉備路。その裏を固めるように存在するのが鬼ノ城です。

鬼ノ城は古くは温羅(うら)と呼ばれる朝鮮からの渡来の一族の居城であったと 伝えられています。吉備津彦神社のご祭神である吉備津彦命が、大和朝廷の将軍として 温羅一族と闘った顛末が、後の桃太郎の鬼が島伝説になったと言われています。

闘いは壮絶であったらしく、矢喰宮、鯉喰神社などにその痕跡があります。 総社町から車で20分位北上したところに温羅の山城鬼ノ城はあります。 鬼の城らしく、まず出迎えてくれるのは鬼の釜。そこから、周囲数キロの鬼ノ城へと 散策コースが始まります。

形状的にはピラミッドとは言い難いものがありますが、巨石群の配置や 裏手にある鬼の岩屋との関連で考えると、鬼ノ城という山そのものに 何か大きな意味を持たせていたことが窺えます。

温羅の生活痕のそのまた遥か太古に、鬼ノ城が別の意義を持って存在していたような そんな気配がうっすらと感じられます。 鬼ノ城頂上の舞台から眺められる吉備路と吉備平野。その向こうには瀬戸内の 聖なる山々と四国丸亀の飯野山、そして剣山が連なるのです。

1996泰山記

2010 高精細画像に置換え+補足



鬼ノ城入り口でまず私たちを出迎えてくれるのがこの鬼の釜。 直径約2mはある大釜でかなり古い。錆びて朽ちるに任せてあるのが惜しい。



鬼ノ城山中にある礎石建物跡群。 比較的近年、とは言っても千年以上前、こうした礎石上に建築物があったようだ。



鬼ノ城は朝鮮式山城といわれている。山城の石累が崩れた跡と思われる。



鬼ノ城全体は上部が平坦になった台形状の山である。その頂上部にある磐座と思しき巨石群。



鬼ノ城は城門と呼ばれる突端部と水門と呼ばれる入り江状凹部 の繰り返しで形成され、それぞれ巧妙な工夫が施されている。 これは第一城門先端部の巨大一枚岩盤。



第一城門部にある垂直な岩。おそらく鏡岩であろう。 垂直面は東むきであり、太陽光を反射することができる。 鏡岩は太陽光反射に意味がある。



上部の平坦地をやや背後の山側に入った所にある”畳石”状の巨石。



そのさらに奥には「礎石建物跡」と記された看板がある。この松林の中に建物があったと見られている。



第二城門遠望。鬼ノ城のハイライトである。



そのクローズアップ。突端の石塁は物見台であると思われるが、風化・崩壊が始まっている。



第二城門部の城壁跡。物悲しい雰囲気に包まれている。



渡来の民、温羅を忍ぶ碑。「鬼、否」とかすかに聞こえた。



第二城門からの吉備平野眺望。きわめてのどか。



鬼ノ城頂上。第二城門上部は広い舞台になっている。 いにしえにここで生活が営まれ、踊りがあり、唄があり、祈りがあった…ように思う。



鬼ノ城は数々の土塁や列石を伴う。 これは神籠石(こうごいし)状列石。



山中にあった不思議な石。「文字石」と名づけた。 雨水の流れた跡かもしれないが、はじめてみる造形。文字にも見える。



山中、巨石表面に彫像された観音様。 通常私たちの目は巨石よりもこうした神仏の彫像に注がれる。 しかしこうしたものは明らかに近世のものである。箱根や尾道などにも多い。 言うまでもなく、彫像が刻まれた本体である巨石自身をしかりと見る必要がある。 この巨石も彫像をとりあえず度外視すると非常に興味深い形をしている。 因みに、この仏像は十一面千手観音菩薩立像であろう。



essay

 吉備津彦命が温羅(うら)を征伐した物語が、桃太郎の鬼が島伝説になったという。 吉備路の周辺に散在する神社に、伝説の名残が今も生々しくある。 温羅が本当に人々を恐怖に陥れた鬼であったのか、それとも渡来の民であったのか、 今となっては、もはや史実から明らかにすることはできない。
 吉備津彦が正義の人で、温羅が邪鬼であろうと、真実はその逆であったとしても、 長い歴史は人と人との熱き関わり合いが、一時そこに存在(あった)ことのみ、 優しく後世に伝えてくれる。
闘いの痕跡ではなく、正義のみの痕跡でもなく、 人々が懸命にそれぞれの道を歩んだ足跡を、しっかりと大地に刻んでいる。
 温羅の山城であったといわれる鬼ノ城(きのじょう)から望む吉備平野と瀬戸内は 光と香気に包まれて、眺める者の心を奪う。
 石舞台の上に見えるのは、遠き時代の踊りの輪。石舞台の上に聞こえるのは、 古代の人の歓喜の歌声。 神々と共に、光と共に、豊かな生活が一時そこにたしかにあった。
 そんなかすかな思い出が、石の記憶として今蘇る。



石塁の跡はいくつも見られる。



海側の平野部分へは、このような巨石の道を下って降りていける。ただし急峻ではある。



石塁で築かれた頂上突端部分の、本当に最先端の巨石。



樹木が無ければ良く分かるのだが、45度〜60度の急傾斜になっていて、巨石群が階段状に存在している。だから、この巨石群の中を 上下する細い通路はあるはずである。



「鬼ノ城」の標識。遠景は豊かな吉備平野。



鬼ノ城最上部にある周遊散策路。



同じく、鬼ノ城最上部にある周遊散策路。



同じく、鬼ノ城最上部にある周遊散策路。



鬼ノ城の周辺には面白そうな巨石群がいっぱいありそうなのだが、樹木で覆われて現在は見えにくい。



鬼ノ城の背後にあるのが鬼の岩屋と呼ばれる、さらに一段高くなった山だ。その中に「皇の墓」と記された無縫塔がある。 この墓は文武天皇の皇子だった岩屋寺の開祖である善通大師のものといわれる。



鬼の差し上げ岩に内包されるように 建っている小屋。差し上げ岩全体では高さは10m以上は楽にある。



鬼ノ城裏手の山中にひっそりと佇む巨大ドルメン。 その名も鬼の差し上げ岩。上の台石はおそらく数百トンはあるだろう。 周囲の山の状況や巨石の配置から見てたしかに、自然ではなく 「鬼」が載せたとしか考えられない。鬼とは古代のスーパーテクノロジーの 別名かもしれない。
ピラミッド山に付帯している巨石構造としてはまさに「天の岩戸」を形成している重要な巨石群。



この天の岩戸構造を地元では『鬼の差し上げ岩』と称している。祠もある。



陰の部分としての天の岩戸構造の洞穴部。



餅つき岩。 「もち」という名称にも注意。巨石に関係の深いところには、形状や音を示す 名称が多い。また、その転化もあるようだ。例えば、愛鷹と葦嶽、鷹と高。



そこから少し上った所にある八畳岩。実際はもっと広い。



同じく、屏風岩。この手の類の名称は巨石探索の鍵である。


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