母智丘のMe

in Miyazaki Pref. /Mochio Pyramid with Me

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泰山の古代遺跡探訪記
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母智丘と書いてモチオと読みます。宮崎在住の猫バス堂;谷口実千代さんから直接読み方を教えてもらいました。 母智丘は宮崎県都城市の北西約5Kmの距離にある、文字通り丸いお餅のような小山なのです。都城から母智丘を 見れば、背景に霊峰高千穂の峰が眺望できる大変のどやかな良い場所なのです。母智丘はその桜で有名なのですが、 2年くらい前に全国の巨石を隈なく調べているときに、小さく「母智丘の桜と巨石」と書いてあった記事が目にとまり、 巨石の写真は入手できなかったものの、「母智丘の桜と巨石」というキーワードはしっかりと頭に焼きついたのでした。

そんな折、先述の宮崎の谷口さんからメールを頂き、母智丘のことを尋ねたところ、さっそく巨石探訪に向かわれたのです。 その詳細は、別途”猫バス堂”専用コーナーにしたためてあります。谷口さんからの詳細なレポートで、母智丘が高千穂の峰と 関連した重要な巨石の小山であることが分かりました。聞けば聞くほど母智丘への関心は高まる一方で、今回たまたま 親戚の法事に鹿児島へ帰省した、ほんの寸暇を利用して、小一時間ほど直接母智丘の山を探訪することができたのです。

母智丘の巨石探訪は今年の探訪の中でも大変に”心地よい”圧巻でしたが、もうひとつ母智丘探訪記ではご紹介しておきたい ことがあります。それで今回の”妙な”ネーミングになったというわけです。

私の今までの探訪の中ではいくつかの不思議な人物との出会いがありました。熊山遺跡で…鬼の城で…立石神社で…岩屋遺跡で…と。 母智丘での出会いの相手は、不思議な不思議な猫でした。動物に遺跡を案内されたのは本当に初めての経験です。 日頃から犬と違って、猫は私にとってちょっと距離を置く関係にあるんですが、今回の案内人(猫)は特別なんです。 母智丘神社の鳥居のところに来た私めがけて一目散に駆け寄る動物がいるんです。そのときの様子は、丁度小さな坊やが 近寄ってくると言った感じで、カタチは猫なんですが、どうしても猫とは思えず、珍しく、手招きをしたんです。

するとどうでしょう、なんのくったくもなく、私の足に体を摺り寄せて親愛の情を示すんです。 法事の帰り道、珍しく巨石探訪に同行した家内と私の間を行ったり来たりしながら、標高差100m以上、数百段を超える 母智丘神社の石段を一所懸命に登り降りしながらガイドをしてくれました。Meがいなければおそらくもっと巨石探訪に手間取っていた でしょう。Meのおかげで本当に効率的に大切なところを見て回ることが出来ました。 その鳴き声から仮称Me(ミー)と名づけた白と 茶のまだらの猫今回の主役はどうやら彼のようです。

参照ページ猫バス堂;日向国風土記

1996泰山記

2010 高精細画像に置換え+補足



数百mはある桜並木の参道を高千穂の峰に向かって たどりついた先に、この石の鳥居がある。 ここから延々数百段の昇り憎い石段が続く。 家内にとっては、結構きつい登りとなった。 猫にとって、この石段は背丈ほどもあるというのに… この鳥居の前でMeが現れたのである。



標高250m(高低差約100m)にある母智丘神社の拝殿。 神牛、神馬が狛犬の代わりに控えている。 神馬の裏面には菊型ご紋があった。 明治三年に再興がなっている。 母智丘神社の御祭神は豊宇気姫神、大年神の二神。

10年後の今日、あらためて思うのは男神大年神と女神豊宇気姫神は”夫婦神”であるということだ。



母智丘神社拝殿傍にある母智丘神社の巨石に関する説明板。



石峯稲荷明神についての説明板。



母智丘神社の陰陽石に関する説明板。



先導役を務めてくれた、「母智丘のMe」。 母智丘神社拝殿(頂上付近)前で撮影。 かわいいけれど…結構よくみると眼光鋭いものがある。 とにかく私たちと小一時間、麓から頂上、また麓まで ずーっと一緒だった。 野良猫だったら、鈴を付けてやって欲しい…と”猫バス堂”さんに頼んでおいた。



母智丘神社拝殿裏手に広がる、割裂神石(わりさきかみいし)の広場がこれだ!母智丘神社というか、母智丘山全体の最重要ポイントである。



母智丘神社裏手に夥しい巨石群がある。 これは陰陽石と命名された巨石。 家内の足元にぴったりと寄り添っているのがMe。



先ほどの陰陽石を背景に割裂神石(わりさきかみいし)を見る。 割れた一部が東(つま)霧島神社の割裂神石であると謳われている。 タカオカミノカミを奉った巨石で、 この岩を掘り荒らすと大雨が降るとの伝説がある。



割裂神石(わりさきかみいし)について書かれた説明板。



陰石



割裂神石の裏側; 向こう側に稲荷明神が見える



石峯稲荷明神…裏手の御神体である巨石が母智丘巨石群の本命である。 稲荷明神の御祭神は本来は倉稲魂神(ウガノミタマノカミ)と言われる。 通常はこのように眷属である狐がガードしている。 このインパクトさゆえに、御神体である背後の巨石は安泰なのかもしれない。 稲荷大石と呼ばれるこの巨石は雨乞い石であると同時に 下の写真のように洞穴となっており、天岩戸をも形成していると考えられる。 洞穴の写真を撮ろうとすると、Meが一緒になって洞穴内を覗き込んでいた。 その仕草がとても可愛い!。

《稲荷明神前にある説明書き》…稲荷大石は、大昔より存在の石であり、左右に出入り口の穴があります。 穴の大奥は八畳敷と六畳敷位の胴穴になっており、昔は白狐の巣であり、白狐(びゃっこ)は 昔より奇(ふしぎ)な霊族を垂れたまひ崇敬者の先導啓行(みちあんない)として いろいろと教え導き諸業繁昌神功(いさお)たてまふ。お神(やしろ)を改造し 白狐を御霊として奉る。

なるほど!Meが私を案内してくれた意味がこれでわかった!



本命、稲荷大石は本当にデカイ!この大きさだ。 上の稲荷明神の裏側から御神体を撮影したもの。 人物の大きさと比べて欲しい。 Meはやはりここでも足元に寄り添っている。 稲荷大石の横には亀裂があり、頂上の水溜まり。 から水がしとしとと流れ落ちている。



これはその水源である。 稲荷大石の頂上部は6畳〜8畳位の広さの平坦な”舞台”となっている。 その中央に「相当量の」水が湛えられた水溜りがある。 これが雨乞いのための貯水装置なのだ。 同様の構造を岐阜県の山岡町の山中で最近確認した。 この水の水位は不変で、水が減ると雨が降る。 水源は不明だ…花崗岩が自然に「水を作り出す」…という話もあるくらいだ。 従って、少しづつではあるが、稲荷大石からは連続的に水が流れ出ている。



稲荷大石上部と社を上から撮影した写真。



稲荷大石から逆に母智丘の頂上付近をみたところ。 重要な構造としての石門が1対ある。 石門は結界への出入り口として非常に重要なのだ。 あるいは”異次元間”を仕切るゲートとして…。 ということはおそらくこの稲荷大石の上部が 非常に神聖かつ重要な”場”であると推察できる。 稲荷明神に立ち入りの許可をお願いした。 石門上方は平坦な頂上部が続くが、 頂上付近に何か別の巨石があったほうが納得が行く。 頂上部はかなり破壊が進んでしまったのかもしれない。



石門を上に抜け広い平坦部に出るところにある巨石。「畳石」…といったところか。



石門から上がるとそこにはこのような平坦な頂上部がある。 花崗岩と思われる石の残骸がちらほらとあるだけだった。 ただし、そのなかに小型のメンヒルとおぼしき滑らかな筒状の 石が横たわっていたので、ストーンサークル+メンヒル構造が 頂上にあったと考えられる。 この写真の前方に例の石門があり、その下に舞台としての稲荷大石がある。 そして、そこから遥か前方には霊峰高千穂の峰があるのだが…。 現状では、丁度その方向に鬱蒼とした樹木が茂り、 母智丘頂上からは直接高千穂の峰が見えない。 霊峰高千穂のために母智丘はあると言っても過言ではないだろう。



案内役のMeが展望台へと連れていってくれた。 展望台に先に駆け上がり、『こっちへ来て!』とMeが呼ぶ。 母智丘から東南の都城を望む風景は絶品である。 かすかに参道の桜並木が見える。 都城のさらに向こうには御在所岳、鰐塚山が望める。 母智丘の斜面は30度以上はあるかなり急峻なものだ。 アカボラ土に埋もれているわけだが、 頂上付近の巨石群のありかたから見て。 山の中にはまだまだ夥しい巨石が埋もれていることは間違いない。 岐阜県中津川の丸山、甲府の石森山は巨石の積み上げ小山(30m〜50m) だが、行ってみてわかったのだが、母智丘は標高254m実質の高低差約100mと かなり大きなものだ。だとするともともとあった土の小山と巨石の 組み合わせと考える方がよいかもしれない。



母智丘はお餅のような丸い小山だったと言われている。 現状では周囲に樹木が茂っており見分けにくい。 神社裏手の巨石群の存在を知らなければ、 おそらく山容からだけでは見落としてしまうのではないだろうか。



母智丘から霧島神宮へ向かう道筋で撮影した霊峰高千穂の峰。 母智丘の稲荷大石に座って、古代の人々は霊峰に問い掛けたに違いない。 久々に…”住んでみたくなるような”…すがすがしい所なのだ。 先導役、”母智丘のMe”に心を残しながら、母智丘を後にした…。


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