盛岡の石と不思議

in Iwate Pref. / big rocks and mystery in Morioka city

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岩手県の盛岡は、東南に早池峰、北に姫神、北西に岩手山、西方に駒ヶ岳を 望む山の中の大都市です。それらは皆由緒ある聖山であり、そこから 流れてくる霊気に盛岡は常に洗われています。

市街の東方にある小高い岩山展望台から市街地を一望すると、 盛岡がいかに素晴らしい”地”であるかということが分かります。 古代から輝ける”ハレ”の地であったと思います。

五葉、早池峰、姫神が載っているラインに最も近い大都市がこの盛岡です。 岩手県は文字通り、岩と手に関係が深いといわれ、「岩に手」、 いわ=いは=いつつは=五葉である、とする見方があります。 盛岡市街の外れにある小さなお寺には、この地が過去、大きく 栄えていたというような証拠もあります。

つまり、地方の一都市としてではなく、世界の中の東北の 首都として…だったのではないでしょうか。 それだけ、華を感じさせるものがあるのです。 盛岡市街にはあまり観光案内では紹介されていない巨石が数多くあります。 なるほど、岩の国である…と感心させられました。 ここで紹介したところを辿って頂ければ、盛岡の別の顔が きっと見えてくるに違いありません。

盛岡は古代に輝く都かな、羅漢の顔ぶれ往時を語る …Taizan…

1996泰山記

2010 高精細画像に置換え+補足



五葉、早池峰のラインに並ぶ霊峰姫神山。 この山もピラミッドと言われ、夥しい巨石が存在する。 この山については別の機会に改めて紹介したい。



岩山展望台から見た全景。左から駒ヶ岳、岩手山、市街地。上の写真の姫神山はこの右側にある。



岩手県立博物館。



市内三石神社の鳥居と境内。 観光地ではない市内の裏路地のアパートの前にぽつんとある。 しかし、この神社の巨石に残された鬼の手形こそ 岩の手のルーツであるとも言われる重要なものなのだ。 大きな”鬼の手形”のところだけ苔が生さないという。



神社は極普通の社殿だ。 それと比較すれば巨石の大きさがわかるだろう。 この神社のご神体というよりは、巨石を守るために 神社を建てたのだろう。三石とは巨石が三つにわれているためである。 割れた状況を観察したが、三つの石は元はひとつの 大きな玉石であったようだ。



私が取材しているときに、人品卑しからぬ 初老の夫妻がこの神社を参拝に来ていた。 おそらく私と同じ関心があったのではないかと思う。 ピラミッドや巨石を探訪していると時々不思議な人や 面白い人物に出くわす事がある。 二つの巨石に挟まれた表面に 鬼の手形がある。 最近は写真でははっきりと写らないほど苔がはがれてしまっている。



社殿正面側から撮影した三石。



市街の丑寅の方角に曹洞宗の古刹報恩寺がある。



その報恩寺の羅漢堂には数百体にも登る 木彫の羅漢像がならんでいる。その様は圧巻であるが、さらに驚くべき事に その中にフビライの像とマルコポーロの像が置いてあるのだ。 他の像は明らかに僧侶の姿であるが、この二体は一見して外国人である。



これがフビライとマルコポーロ像だ。 左側の手を翳しているのがマルコ、右側の威厳のあるのがフビライ。



盛岡の地方裁判所の庭のなかにある石割桜。 樹齢三〜四百年の白彼岸桜で天然記念物となっている。 観光の名所として桜の石をも割るエネルギーが喧伝されている。…が。 私にとっては周囲23mあまりのこのお餅のような花崗岩の方に 当然関心が向く。巨石の”石齢?”に比べれば樹木の数百年など 一瞬に等しい。 この桜は既に割れていた花崗岩の隙間から 芽を出したのだと思う。樹木のパワーで少しづつ隙間を 広げたことも事実であろうが。 裁判所も、桜も、人影もまだ無かったころ この巨石が盛岡の平原にぽつんと存在していたことを想うと そこに巨石の不思議さが広がるのである。



隣の稲荷神社の前にも少し小振りの巨石があった。 盛岡は「岩だらけ」の街である。



ここに盛岡城があったわけだが、その城郭の一部に 巧みに利用されている巨大岩盤。巨石というにはあまりに大きい。 この岩に触れて盛岡を後にしたが、岩手城跡公園を見て いわての名前が実感として分かったような気がした。 盛岡は石と不思議の都市なのである。



盛岡上の城壁。



同じく烏帽子岩を公園側から見たもの。 本来はこちら側が表なのではないだろうかと思う。



盛岡城跡がある岩手公園の入り口にあった神社の裏手に高く聳える 異形の巨石があった。 烏帽子岩という。 烏帽子という名前は要チェックである。 公園の一隅にこうした巨石が鎮座することに感動する。 地元ではどのように見られているのだろうか。 巨石の高さは6m以上はある。 これは神社側から見た光景。


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