in Hyuga Region. /Mochio Megalithic Mound &+
母智丘の巨石パート2…1999-11-29;Onweb…へWARP!!!
宮崎県在住で「猫バス堂」を主宰している谷口実智代さんから、非常に重要な写真を頂きました。
その名も「母智丘(もちお)巨石群」。日向、都城郊外にある「母智丘」の名前は以前から聞いておりました。
そして母智丘に巨石があることも知っておりました。日向在住の谷口さんからアクセスを頂いた折に都城の
母智丘のことについて触れ、そこの巨石の話をしました。谷口さんも母智丘の巨石の話は以前からご存知のようでしたが、
今回わざわざ再訪していただき、写真を送っていただきました。するとどうでしょう、谷口さんもあらためてびっくりされておられたように、
私もあっと驚くような巨石群が母智丘にあったのです。母智丘とは何と響きの良い名前でしょう。
母智丘は実は桜の名所です。その桜が母智丘神社の境内にあるということで、母智丘神社と桜が母智丘の代名詞になっているわけです。
…が、今回送られてきた写真から見るに、実は母智丘神社のご神体が神社裏手の小高い巨石山であることがわかりました。
これで、まだいったこともない母智丘に呼ばわれる意味合いが一遍に氷解しました。実際に行かないとまだ見えてこないところは
たくさん有りますが、母智丘の巨石の小山は十中八九、巨石の積み上げ式小山(高さ約30mくらい)に違い有りません。
山梨県甲府の山梨岡神社、大石神社、岐阜県中津川の鮒岩のある丸山神社のつくりとそっくりです。
九州にこうした巨益の積み上げしき小山があること自体、興奮するほど驚きの大発見です。(私が知らなかっただけかも^o^)
山梨や岐阜の事例では、巨石の小山は何かの必要に応じて”そこにあえて設定したもの”で、必ず四方の風景の中に
その小山が存在するべき位置的な意味が含まれているはずです。
…今谷口さんが再再訪を計画中で、きっと次回作品には
周辺の聖なる山々の情景と母智丘の巨石小山の関係が見事に写されることでしょう。(←なんだか急がせているみたい^o^)
というわけで、このコーナーは「猫バス堂」さんの特別コーナーとさせていただき、敬意を表してONWEBさせていただきます。…泰山
参考ページ猫バス堂;日向国風土記
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東(ツマ)霧島神社の写真集を1999年9月16日に追加でONWEBしました。う〜ん!こちらも最高です!谷口さんありがとう!!!…泰山
谷口さんのお話では…
《宮崎県田野町井倉;八坂神社の巨石1》
谷口さんのお話では…
谷口さんのお話では…
母智丘神社の廻りを写真に写してきました。西の方が木々に阻まれてちゃんと写せませんでした。
廻りの景色を見て、何処か思い出しませんか?
「母智丘神社の裏の方に稲荷堂があって、ここが巨石の本拠地でした。
霧島付近の山はきれいな二等辺三角形の物が多いです。
その中でも高千穂峰が一番きれいだと思います。
でもそれらの山の頂上は火山の噴火で絶えず変化し、埋もれてきたようです。
霧島一帯の有名な神社で山の上にあるものは必ず神石と呼ばれる巨石があるようです。
そんな神社の中でも特に岩に縁が深いと言われる東霧島神社にも行って来ました。
ここの階段は自然石でてきており、「鬼が一夜にして積んだ」という伝説があります。
ここも古代の祭祀後や住居跡があったと説明にありました。」
モチオは「アカホヤ土から出土」と言われていますので、アカホヤ土に埋もれる前から存在していたと考えられるわけで、
そうすると6300年以前、縄文早期以前からの遺構になります。「宮崎県神社史」によりますと、
社殿整備のために土を掘り返したところ、祭祀用の土器と共に巨石が出てきたとありました。
ここの神社は昔から「神託」をされてきたようです。神託される神様は宮崎では珍しい方です。
Copyright(C) 1999 by Michiyo Taniguchi @ Neko-Bus-Do --- Never download please!
母智丘の山の全体像です。お椀をひっくり返したようなこんもり丸いカワイイ山です。
大きすぎて上手く写し切れていませんが、陰石です。
祠が2つ建ててあるほど大きな岩で平らな面を
空に向けてまだ半分埋まっています。
この山の太陽石に当たるかと思います。
陽石と呼ばれる立石です。これくらいの大きさの石は近くに3カ所ありました。
頂上の南面側はまだ掘り起こしてなくて展望台になっています。
そのところどころに柱状の石が転がり、スパンと切れた石柱のような石の頭が覗いています。
思うにこれはメンヒル(環状列石)では・・・
母智丘神社の由来と巨石の由来の説明書きです。
陰石と呼ばれる最大の岩以外は
火山の噴火で埋まっていたそうです。
都城市に向かう途中の山間の小さな町、田野町井倉で、面白い物を見つけました。
川沿いの崖にぽっかりと口を開けた洞窟とその入口に鎮座している3つの巨石です。
ここは「八坂神社」として鳥居や社が建ててありますが、この洞窟自体は「祇園洞穴」というらしく、
古くは「祇園様」と呼ばれる場所だったそうです。
この場所から真北に谷を一つ越えた所に小さな山があります。この頂上に今は愛宕神社が建っています。
「太陽(ひ)の神を祭る」と書いてあります。その横に小さな山王地蔵もありますので、以前は天台宗、
山岳修験の場だったのではないでしょうか?
頂上はこんな感じで神社と寺院が目白押しという風ですが、南へ1段下がった参道途中に記に埋もれて岩がありました。
丁度脇を参道が通っているようなので、もしかするとまだ数があったのかもしれません。
頂上にもなにか岩倉の様な物が
あった可能性もあります。
《宮崎県田野町井倉;八坂神社の巨石2》
《宮崎県田野町井倉;八坂神社の巨石3》
tsumakirishima
東霧島(つまきりしま)神社
東霧島(つまきりしま)神社のレポートします。
由来書によると、孝昭天皇の世に創建されたというこの神社は
東と書いて「つま」と読みます。何故なんだろう・・・
霧島神宮他、霧島山麓一帯には霧島六所権現という
神社のネットワークが存在し、
霧島連山に対する信仰を
古代より集めているそうです。
中でもここ東霧島神宮は度重なる噴火にもめげずに
創建当初から移転せずに残った希有な神社です。
(他の神社は移転したり、一時的に
この神社に居候したりしていたらしい。)
この神社でもっとも有名なのは、拝殿までの階段で、
「一夜にして鬼が造った」という伝説を持っています。
私もこれ目当てで行ったのですが、
わぁ・・・・巨石がごろごろ・・・でも庭石にしか見えない。
きれいに整えられた古式ゆかしい神社でした。
たどり着いたのがすでに夕方だったので、
巨木と巨石の林立する境内は薄暗く、
まるでアリになったような気持ちでした。たった一人ではこわい。
東霧島神社が位置する山は単独の山ではなく、山脈の東端に
位置しています。
高い木が邪魔して見えませんが、
高千穂峰などバッチリ見える位置にあるそうです。
Copyright(C) 1999 by Michiyo Taniguchi @ Neko-Bus-Do --- Never download please!
《宮崎県高崎町;東(つま)霧島神社…1》
@・・境内の案内図です。
見てもおわかりのように、結構広いです。
明らかに高千穂峰を意識されています。
磐だけじゃなくて、五輪塔とか、とにかく「石」に関係した
遺構が多いところです。
《宮崎県高崎町;東(つま)霧島神社…2》
A・・神石といわれる磐です。別名、「裂磐(さくいわ)」とか
「魔石」とか言われているそうです。カグツチを産んだ為に
やけどで伊弉冉尊が亡くなったとき、怒った伊弉諾尊が
石に姿を変えたカグツチを十握の剣で3つに切ったのがこの磐と言
われています。この十握の剣もご神宝です。
《宮崎県高崎町;東(つま)霧島神社…3》
B・・まるで蒲鉾を切ったような神石です。
明らかに他の巨石とは違う材質に見えます。
浅い方形の池にお風呂に浸かっているように鎮座しています。
真ん中の一片は、宮崎の大島平原村に飛び去ったとか、
高岡町の去川に飛んでいったとか、どちらにしても
かなり遠くに運ばれたようです。
《宮崎県高崎町;東(つま)霧島神社…4》
C・・神石の後ろには池があります。その縁に立っている立石です。
高さは2〜3mほど。林の中にひっそり隠れていますが、
かなりの大きさです。
後方の山の斜面に小さな砂防ダムが見えましたから、
もしかするとまだ他に立石はあったのかもしれません。
《宮崎県高崎町;東(つま)霧島神社…5》
D・・これが鬼が造った階段です。
オマヌケな事に鬼の像まで建っていました。
これがなければとっても幽玄な雰囲気です。
かなりの急な階段です。雨上がりにビーチサンダルで
赴いた私はとても恐い思いをしました。
帰りはとても降りることが出来ませんでした。
《宮崎県高崎町;東(つま)霧島神社…6》
E・・社殿です。古いです。でも、とても趣があります。
ちらっと写っている太鼓を「厄払いのために叩け」と
書いてあるのですが、勝手に叩いて良いのでしょうか?
来年建て替える予定だそうですが、このままの方が私は好きです。
《宮崎県高崎町;東(つま)霧島神社…7》
F・・社殿の東隣にあった御神石です。草に覆われていますが、
こちらも大きな物。高さ約2m、周囲は6mくらいでしょうか。
この山の頂に位置しています。
Mochio-Part2
母智丘の巨石パート2
母智丘(巨石の積み上げ小山;泰山注釈)の頂上からの360度パノラマ…写真提供猫バス堂谷口実千代さん(C)Copyright 1999 by M. Taniguchi
北西のほうにうつっている小山が母智丘カントリークラブのある山です。(山の向こう側が全体ゴルフ場があります。)
地図と行ってみた感想からして、この小山とここの神社のある小山は二つでセットになっていたのではないでしょうか。
北西
母智丘から見える高千穂峰
今回南面の展望台側の草が払われ、かなり近くまで陰石に近づくことができました。
これは2つある陰石の東側の物。頭頂に溝があり、何か板のような物が建てられるようになっていたようです。
西側の陰石は東側のそれより広く、舞台のようになっていました。
今回南側の展望台側からまるで導かれるように階段を下り実際、道を間違えた。)
丁度東西線に並んだ門のような(左)立石をくぐって陰石の上にたどり着きました。
ここがその西側の陰石です。稲荷堂もここが御神体になっています。
舞台のようになっていて、説明板によると雨乞いをするとき祈とうする場所になっていました。
私は「明日香村に似ている」と思いました。(私が明日香村が好きだからかもしれません。)
都城は盆地ですから、上古この土地は明日香盆地のように湖だったのかも知れません。
するとこの母智丘の土地は三輪山のように「湖に浮かぶ島」だったのでしょうか。
ここに行く前に霞神社というここより北に位置する神社に行きました。
なんとこの奥の宮は小山の頂上付近(頂上ではきっと廻りからは見えないからでしょうか)の
凹面鏡状の岩屋で、私はこれを鏡石とみました。丁度東を向いていて、奥の宮は少し南よりの東側、つまり当時の日の出方向を向いていました。
その霞神社から母智丘に向かう途中にもう一つの母智丘神社を見つけました。小高い山の上の杉林の中にひっそりたたずむそれは、母智丘神社の分霊を
勧請したとありましたが、それ以前からの古い聖地のようでした。(ビロウの木が植えてある。古い聖地の神木はビロウ。)
そのもう一つの母智丘に寄ってから、こちらの母智丘に向かいました。もう一つの母智丘神社は南西を向いています。
こちらの母智丘神社は北東を向いています。丁度向かい合わせに位置しているのです。
母智丘もそうですが、ここら辺一帯はなにか三輪山周辺の三輪山に対する信仰と同じ匂いがします。
もしかして、高千穂峰に対する信仰と三輪山に対する信仰の根幹は同じ物なのかも知れませんね。
谷口さん、詳細な情報を頂きありがとうございました。母智丘が岐阜県中津川にある鮒岩の丸山および、山梨にある石森山に
酷似している、「巨石の積み上げ式小型ピラミッド」に間違いないだろうと思います。頂いたパノラマに浮かび出ている
霊峰高千穂の峰を見た瞬間、これは高千穂を中心的な存在とした「巨大ピラミッドゾーン」であることを認識しました。
母智丘と北西に有るすぐ側の小山は間違い無くセットで存在しており、おそらくこの小山の頂上にはメンヒルが存在する
のではないかと推察します。また、この巨大ピラミッドゾーンの周辺にも夥しい巨石遺構が眠っていることでしょう。
私はこの11月に岐阜の山岡町で開かれたイワクラサミット参画以降、積極的に巨石文明を明らかにしていく決心をしましたので、
この「母智丘…高千穂ピラミッドゾーン」についても公にしていきたいと思います。宮崎にスバラシイ巨大ピラミッドゾーン
があるということは何とも嬉しい限りです。猫バス堂さんの更なるご探究と、巨石遺構の保存への働き掛けを是非とも
お願いします。霞神社付近の山頂の「鏡石」もおそらく関連した巨石でしょう。周辺の町村と共同で探訪、研究される
といいですね。いずれ近いうちに私も現地調査をしたいと思います。
母智丘頂上から眺められる霊峰高千穂はまさに「三つ鳥居の御神門」!…その美しさに言葉を失います。
…写真でも鳥肌が立つような、この感動こそが、
ピラミッドゾーン(あるいはピラミッドシステム)の本質的機能であると…私は考えています。…泰山
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