泰山の古代遺跡探訪記---国内情報コーナー

沙弥島の人麿岩

in Kagawa Pref. /Hitomaro-Rock of Syamijima



泰山の古代遺跡探訪記
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コンセプチュアル・シンボル
”創造のピラミッド” Gainendesign-Labo.


Copyright(C) 2003 byMiyagawa Daisaku

香川県の宮川さんからの情報提供です…

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香川県在住の宮川さんから、沙弥島(しゃみじま)の写真と説明文を送って頂きました。2003-2-11
    

 先日来、はなしていた沙弥島のレポートを送ります。
 私の家の近くに、沙弥島という島があります。万葉集の歌にも詠まれ、さらに古く石器時代の遺跡もあるところですが、 ちょっとおもしろい物がありましたのでレポートしようと思っています。

 沙弥島とは、坂出市の沖合い四キロに浮かぶ、南北1キロ、東西200メートルの小島で、昭和40年代の埋め立て事業により現在は 陸続きとなっています。
 この島に人が定住したのは割合新しく約400年前に、すぐ北にある与島から移住したのが最初であるそうです。しかしこの島には 石器時代、縄文、弥生から古墳時代の遺跡が層をなして残っています。あるいは、祭祀以外は禁足地だったのかもしれません。  

 実際、撮影してみると難しいものだと実感しました。被写体が足場の悪いところや、ひどい薮の中にあるので、 思うようなアングルがとれませんね。まあ足場以前の写真の腕にも問題アリですが。最初に撮った写真が、不満で、 撮り直したのですが、結局代わり映えしませんでした。
写真12の中央付近に薄く三角形の岩が写っているのが分かりますか。丘の三段構造が分かると思います。

 香川県は、古代の研究対象としては面白いかも知れません。日本書紀によれば、かつて大和朝廷と敵対し、 降伏した東国の蝦夷の俘虜を中四国に強制移住させたとの記述があります。
その移住先は播磨、讃岐、伊予、阿波、安芸とのこと。 (これは、司馬遼太郎の本の受け売りですが。)
 かれらの故国東北は、巨石文化の故地ですよね。その習俗をこれらの移住先に持ち込んだとすればその痕跡が残っても不思議では ないですよね。実際、安芸(広島県)には弥山があり、播磨(兵庫県)には石の宝殿があり、愛媛にも徳島にもその類いの遺跡はあり ますよね。香川にもよくさがせば、ありそうな気がします。

  


宮川さん貴重な写真と説明文を送っていただき、ありがとうございました。
構図もよいし大変迫力のある写真なので暫く見入ってしまいました。

…『玉藻よし讃岐の国は国柄か 見れどもあかぬ神柄か』…

と柿本人麿は万葉集に詠んでいるとのこと。
文学には疎い小生にも、人麿が見た沙弥島で見た麗しき情景が偲ばれます。
きっとずっと其処に居たくなるような絶景なんでしょうね。行って見たい。
”玉藻よし”の”玉”は巨石のことなんだろうか…なんて想像してしまいます。
坂出市の沖合いであれば、かの讃岐富士のまさに麓ですね。
沙弥島の砂浜から 振り返ると秀麗な飯野山がきっと仰げることでしょう。

今回の宮川さんの情報の圧巻は、沙弥島のその絶景と、
やはり階段状のピラミッド構造 かと思います。この構造はどこかで見たような感じがします。
山口県の彦島や北九州の 足立山等に以前あったような構造にも似ていますね。
階段状のピラミッドならばすぐ対岸の 岡山の熊山遺跡にあります。
鬼ノ城の朝鮮山城と呼ばれる石垣構造にも近いものがありそうですね。
瀬戸内海の向こうには、人麿岩から、岡山の鷲羽山や岩塔のある王子ヶ岳が見えると思います。
東国蝦夷の強制移住のお話は…ぞくっとするような生々しさがありますね。
それにしても、勾玉形状の人麿碑(これは元々あったものなんでしょうか)と、
その後ろの人麿岩…なんともなまめかしい魅力のある巨石です。
古代の人でなくともこの岩の前で海を眺めながら、何かしたくなります。

…泰山

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 写真01→柿本人麿碑。背後に見える大岩は人麿岩と呼ばれています。

---photo(C)-2003-by-Miyagawa Daisaku @ Kagawa





 写真02→碑に埋め込まれた碑文です。

---photo(C)-2003-by-Miyagawa Daisaku @ Kagawa





写真03→これが人麿岩の全景。石舞台といいたいほどの大岩です。
一日に一回は、平たい部分だけ、スポットライトのように陽に照らされて輝きます。
(何回か、見たことがあります。岩自体は自然の造形でしょうが、何らかの儀式が行われたかも。)

---photo(C)-2003-by-Miyagawa Daisaku @ Kagawa





写真04→岩の大きさを見て下さい。左に見える人麿碑が高さ2メートルくらいです。

---photo(C)-2003-by-Miyagawa Daisaku @ Kagawa





写真05→人麿岩と瀬戸大橋。(沙弥島は、瀬戸大橋の絶好のビューポイントでもあります。)

---photo(C)-2003-by-Miyagawa Daisaku @ Kagawa





 人麿岩から山に入ります。島の西側の崖上に城山という丘があります。
ここからは石器多数が出土しているそうです。
丘は南北100メートル、東西30メートルほどで、アーモンド型をしています。
外周は高さ30〜60cmの古拙な石垣様のものでとりまかれています。
丘の中腹には石が散在し、その頂点に問題の岩があります。
 写真06→丘を取り巻く石垣です。ここから城山の名称ができたのだと思います。
むろん実際の攻防の役には立たないので、結界を示すものでしょうか。)

---photo(C)-2003-by-Miyagawa Daisaku @ Kagawa





 写真07→丘の中腹にある石です。横幅1メートルくらいでしょうか。

---photo(C)-2003-by-Miyagawa Daisaku @ Kagawa





 写真08→遊歩道から丘を登っていくと、例の岩があります。
写真の左側はすぐに崖になっています。岩は西の海に面する崖の頂点にあるわけです。

---photo(C)-2003-by-Miyagawa Daisaku @ Kagawa





 写真09→岩の左側直下はなんとか人が立てるので、そこから岩を見上げました。

---photo(C)-2003-by-Miyagawa Daisaku @ Kagawa





 写真10→岩を別の角度から撮ってみました。

---photo(C)-2003-by-Miyagawa Daisaku @ Kagawa





 写真11→岩を別の角度から撮ってみました。その2

---photo(C)-2003-by-Miyagawa Daisaku @ Kagawa





 写真12→丘は全体として三段構造です。
手前が最外縁部の石垣、その奥に岩石群、最上段に赤い三角形の岩が見えます。

---photo(C)-2003-by-Miyagawa Daisaku @ Kagawa





 このほか、島を歩いて目についた被写体です。  写真13→島の古墳公園にある大岩です。

---photo(C)-2003-by-Miyagawa Daisaku @ Kagawa





 写真14→島の氏神社(金比羅社)でみた大岩です。
神社自体は古いものではないようです。

---photo(C)-2003-by-Miyagawa Daisaku @ Kagawa





 写真15→大岩の後ろの薮にはいりこんでみると、こんな石組みが散在しています。
これは古墳かもしれません。

---photo(C)-2003-by-Miyagawa Daisaku @ Kagawa



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