文字通りの大石山

in fact it's really too big Ohishi-Yama


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山梨の下石森から笛吹川を渡り、雁坂道を塩山の方面に向かうとやがて 左かたに「←大石山」という看板が目に入ります。 大石神社の巨石は是非とも見たかったものです。

「大石山」とあるからには、これも巨石だけではなく、石森山や鮒岩の丸山 と同じようにある種の小高い山になっているのだろうと予想しながら、 脇道を人家の少なくなるほうへ進みます。近隣には「岩手小学校」の文字が。 ”岩手”が甲府にもあるとは興味深いものだ…と感じつつ、さらにクルマで 走ること5分、左手に青青と樹木の茂った小高い山が見えてきます。

巨石の山はなぜにこうも直ぐに分かるのだろうか…。巨石の周囲は樹木が 成長するという話がありますが、確かに巨石群には緑濃き樹林が付き物です。 やがて大石神社の鳥居の前に立つと、天空にも昇るばかりの参道の階段が 見えます。
やはり大石山は巨石を配する丘なのです。

果たして、大石山の頂上で私は超巨大な球体巨石を目の当たりにするのでした。 今まで日本中を歩いて来ましたが、これほど超巨大な球体状の巨岩を見るのは 初めてです。そのあまりの大きさに思わず笑ってしまうほどなのです。

大石神社のご神体であるこの超巨石は「浮舟石」となずけられていますが、 残念ながらこれも分断された痕跡があります。さらにそれを近世に石工が 楔で欠いた跡もあります。もとを辿れば超巨大な太陽石であったと思われる この大岩は古代にすざまじいエネルギーを放出していたに違いありません。

巨石に一礼し、その頂上に立つと、いまだにその過去の栄光がじんわりと 伝わって来ます。あまりの大きさはカメラに収まり切らないほどです。 大石山は背後に聖山;帯那山を配し、東南に塩の山、そして富士山を望む 素晴らしいイヤシロチ上にあります。行って、見て、そしてその存在感を感じて下さい。

1997泰山記

2010 高精細画像に置換え+補足



大石神社の鳥居。鳥居をくぐると約二百数十段の階段が天空に向かう。



参道中ほどから巨石がちらほらと顔をのぞかせる。



大石神社本殿後ろのご神体。これが超巨石の浮舟石だ。 直径で十数m、周長で50m以上はあると思われる。高さは10m以上。 手前の舟方岩に対して浮舟石と命名されていると思うが、 この岩は本体からこそぎ落とされた破片である。(それでも大きいが)



超巨石を遥か後方から撮った写真。木々の直径と比べて欲しい。



超巨石の上から東南方面を見渡した所。遠方中央の小高い山が塩の山。 この上は本当に大地と巨石のエネルギーを感じることができる。



塩山(えんざん)市のルーツとも言われる塩の山(しおのやま)。さらにそのルーツは四方の山(しほうのやま)。すなわち、 塩の山から四方が見渡せた…と言う意味を持つ。塩に絡んだ山名ではなく、四方の山が絡んでいるのである。



中央で分断された超巨石の隙間に杉の大木が生育している。



超巨石の裏手には破片と本体とでできた岩戸のような間隙がある。 その隙間から神社本殿が見える。



浮舟石の看板のある所と本殿を挟んで逆の面。超巨石が割られている様子がわかる。



ご神体の超巨石の傍らにも幾つもの巨石がある。 これは「烏帽子岩」という名前が付けられている。 因みに巨石には「烏帽子」という冠名が多いが、 そういう形状が多いということであろう。



前述の烏帽子岩はこの巨石と一体であったものだ。 この巨石には3つの祠が安置されている。



「百足岩」と名づけられた巨石。超巨石のやや下方にある。



「指門岩」と名づけられた巨石で、上部が平坦な祭壇石のような巨石。



超巨石の頂上を下から取ったところ。中央に小さく友人が写っている。 とにかく、とにかくその大きさは感動ものなのだ。 そうした超巨石や巨石群が忽然とこの大石山に集約されている。 こうした状況を単なる自然石の集まりであると言う人もいるが、 実際に触れ、凝視すれば人工が施されていることが分かるし、この地に 意図的に集約されたことも推測できるのだ。巨石群はオーパーツである。



超巨石の割れた一方に友人が中央まで登った所。大きさが分かると思う。 大石山の構造は飛騨高山の日輪神社に近い。大石山本体は小高い積み上げ的な 山であり、その後方は一旦くだりと平坦部がありやがて背後の山に向かって登っていく。 中津川の鮒岩の丸山、甲府の石森山、そして大石山は巨石が
ブロックで積み上げられた ような、ポータブルヒラミツトであると思う。 このような原形こそがエジプトのギゼのピラミッドにやがて昇華していったのでは ないか…と考えたりもする。



乾徳山恵林寺;開山夢窓国師、武田信玄公菩提寺。臨済宗妙心寺派に属する寺院。



歴史上有名な門。「心頭滅却すれば火もまたおのずから涼し」…と小田信忠軍に攻撃された快川紹喜が焼け死んだ門がこの三門。



恵林寺本堂。



三重塔。



恵林寺境内から背後にある甲斐の山を見る。この方向の遥か彼方に山号にもなっている乾徳山2031mが聳える。



四脚門



国道140号線と県道38号線がぶつかる交差点。まっすぐ行けば立石神社がある牧丘方面。県道側へ右折すればすぐに恵林寺へ。



甲府から国道140号線を東進する。酒折宮手前の山。



酒折宮の裏手山に貫通するトンネル。



甲府から中央線で八王子方面へ向かう途中の車窓から見える風景。



同じく。順次、甲府から恵林寺方面へと移動中。



同じく。中央遠方の尖り山が乾徳山2031mと思われる。



同じく。



同じく。


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