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沖縄の霊場


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1998年夏の沖縄行には海底遺跡探訪の他にもうひとつ目的があった。沖縄本島及び 八重山諸島の著名な霊場を訪れることだった。琉球の霊的なパワーには日本本土と 違ってまた一種独特な味わいがある。今回気になって取材した場所を紹介したい。
まずは、石垣島だ。石垣島には巨石らしい巨石は無いと聞いてはいたが、事前の チェックでどうしても気になる地点があった。それがこの石垣島の東北に伸びる 半島の付け根にあるハンナ岳である。写真で見る限りでは、誠に美しいヒラミツト の容姿をしている。石垣空港から直ちにレンタカーでハンナ岳が最も美しく見える 玉取崎展望台に向かった。玉取崎付近にも金武岳という面白い岩石山があった。
写真は伊原間(イバルマ)湾から望むハンナ岳である。




ハンナ岳を展望する玉取崎そのものにも巨石のご神体が飾られており、この一体に 巨石が散見されることから、ハンナ岳はヒラミツトの可能性があるかもしれないと その麓まで探索した。残念ながら遺跡と思しき巨石はその周辺には無かったが、 そお替わりにハンナ岳の下に面白いものがあった。それが、サビチ洞といわれる 鍾乳洞で、世界でも珍しく、サビチ洞は地上から入り、そのまま海岸線に出られる。
サビチ洞の中には無数の甕が置いてあり、その中の一部は埋葬用に使われている とのことだった。洞窟本体は死者を埋葬する独特の湿り感と陰鬱さが漂っていた。 現在は出口の海岸の一部はプライベートビーチとして供されているが、本質的には 海岸の岩窟は祭祀場のような観を呈していた。尚、ハンナ岳はサビチ洞付近から 見上げると半月型をしており、全体の形状としては完全な三角錐ではなく、 騎馬民族の兜のような形状をしていた。



石垣島には奇妙な山が散在する。これもそのひとつで、野底マーペーという。 鷹の爪のようでもあり、乳首のようでもあり、とにかく印象に残る山だ。 山頂部分は岩石塊でできているようだった。機会があれば是非登頂してみたい。



石垣島の西にある唐人墓。その昔欧米によって中国人民は苦力(クーリー)として 人身売買の対象であったという。中国からアメリカに運ばれる途中の船旅において あまりの非人道的な扱いに反乱を起こし、多くの中国人が殺された。一部の中国人 が石垣島に漂い着き、そこで島民や琉球王の手厚い保護を受けたという。



これが宮古島の通称おっぱい山だ。飛行機の中から捉えた貴重な映像である。 宮古島のおっぱい山はピラミッドではないかとも言われている2連の山で、 高さが約30m位の低山。宮古島の東端の城辺(グスクベ)町当たりにある。 連山は南北に並び、そこからは多数のドルメンや陰陽石などがつい最近発見された ばかりだ。宮古島を飛び立つ飛行機の中から照準を合わせて捉えたものだ。



宮古島の北方、島尻港から船で渡る大神(オオガミ)島。 ここは、宮古島の中でも超一級の霊場である。この島には風葬の跡が残されている。 船の往来が少なく、今回は渡れなかった。写真は島尻港から望遠で撮影した 大神島の英姿である。



宮古島の最も美しい海水浴場である砂山ビーチ。奇岩と白砂が絶妙のコントラストを見せる。



宮古島の平良(ヒララ)市にある人頭税石。1m前後の岩。身長がこの石を超える者には 全て税金が科せられたという。



沖縄本島の最大の霊場である久高島に渡った。久高には知念半島から船で渡るのだが、 夏とは言えど、霊場の久高に渡る人間など殆どいない。私は止む無くたった一人で 渡し舟をチャーターした。一人分でも高いというのに、何とチャーター料は二人分の 5600円だという。それでも私は躊躇することなく、支払うことにした。
久高島はそれほど魅力があるのだ。目の前の久高がまさに私を呼んでいるのだから。 下の3つの写真は久高島の対岸、即ち船の発着場当たりの山容である。実は ここに有名な祭祀場、斎場御嶽(セイファーウタキ)があるのだ。そして、その東 となりにはヒラミツトと思える山容をした、須久名山がある。下の写真だ。
沖縄最大の霊場は知念半島の東端全部と斎場御嶽、久高島を全体の図式の中で 把握しなければならない。行って見ると流石にその凄さが全身に伝わってくる。 日本は世界の雛型であると言われ、その日本の雛型が沖縄であると言われている。 そしてこの久高島こそその雛型の中心であることを私は認識させてもらった。
久高島では12年に一度、島のノロ(巫女)たちによってイザイホーという 神事が執り行なわれる。(次回は2002年、1990年はノロが立たず中止) 久高という日本、否世界の臍(エナ)で東方のニライカナイに向けた最大の 神事が行われるのだ。それはあたかも、太平洋を胎盤とした幻の大陸に向いているかの ようである。



久高島。左上から、港にある拝所。部落の石垣。ニライカナイの方向。ヤグルガーの浜。



外間殿と呼ばれる、御宮。ここで祭祀が執り行なわれる。



知念半島にある斎場御嶽。かつては男子禁制の霊場で、琉球国王たりとも第一の石段までしか 参詣できなかった。琉球の始祖;アマミクが久高島に降臨し、次いでこの地に渡り 国造りを始めたと言われる由緒あるところなのだ。



斎場御嶽最大のみどころである、巨岩の裂け目。右側の人物との比較で大きさが分かる。 珊瑚礁でできた巨大な石灰岩であろう。かなり大きな鍾乳石が数本垂れ下がっていた。



巨岩の割れ目の先は約10畳ほどの祭祀場になっている。 巨岩の中には化石らしきものも幾つか見受けられた。



斎場御嶽の祭祀場に立ちながら、私は思わず感嘆の声を上げずにはいられなかった。 ここは岩窟でできた拝殿なのだ。そして拝殿の最奥部に至ると、そこには 明るい眺望が開け、何と、遠くに神々しいばかりの久高島がそこにあるのだ。 わたしは、この光景に接したときに初めて、久高島そのものがご神体であることを 悟ったのである。つい先ほどまで私は神である久高島と一体であったのだ。 不埒な私を優しく包んでくれていた久高の神に、思わず柏手を打たずにはいられなかった。


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