最高峰宇良部岳の巨石


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泰山の古代遺跡探訪記
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”創造のピラミッド” Gainendesign-Labo.

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これは祖納地区から与那国の最高峰である宇良部岳を見た所だ。宇良部岳は頂上部に NTTのタワーがあることをのぞけば島のどこから見ても秀麗な山である。ひたすら この狭い農道をソフトバイクを駆りながら登っていくのである。むせかえるような 草いきれ、籠にぶつかってくる蝶蝶、耳に響くセミの鳴き声もものともせず、私は まっしぐらに頂上を目指す。途中、連山ともなっているインビ岳を通過する。一旦 下った後は直ぐにまた急峻な山道が続く。登り続けること約10分、突然私は 道の左手に巨石を見つけ、ブレーキをかけた。



下の写真は約70年前の貴重な資料である。まだ飛行機もNTTのタワーも無い頃の 美しい山容を誇る、その名も与那国富士;宇良部岳。如何に近代に壊されていることか!!! この秀麗な姿だけでもヒラミツトと呼ぶに相応しいではないか。



与那国島は東西に長い「目」のカタチをした島である。ある本の中では、与那国は ムー大陸の縮小形であると言っていた。その真ん中に宇良部岳はある。その南西に 従わせるようにインビ岳を配し、サンヌニ台は宇良部の真東に位置している。 この写真は、サンニヌ台の頂上から西に聳える宇良部とインビの山を撮影したものだ。 サンニヌ台が完全に遺跡であると判明すれば、位置関係的にはサンニヌ台は宇良部の 拝所になるだろう。山容と連山、拝所と巨石群という図式からは、宇良部が本殿たる ヒラミツトに相当することになる。宇良部岳の東南東に立神岩があり、新川鼻が南南東 にある。海底遺跡はほぼ南にあたる。写真中の石碑はNHKの大河ドラマ「琉球の風」で 結婚式の撮影がされた記念のものだ。それほどここからの風景は美しいのである。



山頂部にある巨大な階段状岩。地質学的には砂岩と頁岩からなる重層の八重山群層で あり、与那国の山間部、遺跡からサンヌニ台当たりの地質と同じ物だ。古い沖積層が 数百万年前に隆起したものと言われている。その階段が45度近くの急峻な傾斜を 持っている。サンニヌ台や新川鼻あたりの平面部の傾きは多くても10度内外であるが それにくらべ宇良部山頂のこの巨石の傾きは急峻過ぎる。新川鼻あたりと宇良部 とで隆起に大きな差があったということなのだろうか。



平面部に対してほぼ直角に切り込まれた(多分人工的な加工だと思える)部分。 中央の碑はこの巨石には関係の無い記述である。階段の高さは数十cm。 草木が繁茂していたせいもあって、この部分以外に同じような階段状の巨石を 確認することはできなかった。あるいはここだけに存在しているのかもしれない。 真の山頂はこの上さらに数十m上にあるが、今回はそこまでは確認できなかった。 NTTの施設がかなりの面積をとっており、かなり整地してしまっているために 宇良部岳の本来の姿はかなり分かりにくくなっている。オリジンはもっと美しかったに違いない。



私が与那国の宇良部岳の階段状の巨石を見た瞬間に思い出したのは、岐阜県の位山中腹 にある祭壇石である。下の写真がそれだ。与那国の階段巨石の岩質は砂岩であり、 位山のそれはもう少し硬そうな岩であったように記憶しているが、平面部の節理、 その節理と垂直部の人工的な加工の視点で見れば、形態は酷似している。サンニヌ台も 当然同じような形態をしている。私は形態的には岐阜の位山の祭壇石も、与那国の階段状 巨石も創造のコンセプトは同じではないかと考えている。同じ意思が2000km以上 離れた所で同じように感じられる…大いなる太古の人類史を呼び起こさせるこの瞬間が たまらないのだ。海底遺跡には「太古の石切り場」説もある。しかしその残滓は海底には 微塵も無いのである。構造素材としての与那国の巨岩が別の場所で使われていたとしたら… 夢とロマンは尽きることなく広がりはじめるのである。


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