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佐白山(さしろさん)茨城県笠間市笠間3616
佐白山の巨石群
Sashiro-yama ; ibaraki
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泰山の古代遺跡探訪記
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「サジローの巨石」というキーワードはHP開設当時の1996年、全国の巨石をチェックしていたときに既に頭にインプットされたはいたが、
その後すっかりと意識からは離れていた。茨城といえば、やはり筑波山が気になり、北方の竪破山が気になるといった
ところであったからだ。
2007年の1月にたまたま「巨石サイトオーナー討論会」なるイベントにパネラーとして参加したのだが、その後
急展開するカタチで衛星テレビから番組出演依頼があり、関東周辺で最も典型的なピラミッド山であると考えている
茨城県の竪破山を取材することになった。竪破山は11年ぶりの再訪になる。
テレビ撮影の話が進むうちに、これまた奇遇なのであるが、別の人から突然「サシロ」が気にかかるという
話が舞い込んだのだった。その人は…直接会ったのは一度という実に古くて不思議な関係なのだが、1年に一二度、
時宜を得て重要な情報をもたらしてくれる。もちろん私が竪破山に行こうとしていることやテレビに出ようとしていることなど
知る由もない。ところが、まさに関東全域と竪破山の関係を地図で見ながら思案している只中に、「サシロ」情報がその人から
私に届いたのだった。
すっかりと頭の奥にしまいこんでいた「サジローの巨石」というキーワードが、その瞬間蘇ってきた。もしかして「あのサジロー?」
…ということでネットで再び調べると、サシロとは佐白であり、笠間市にある200m足らずの小山のことである。それは筑波山の北にあり
笠間稲荷のある笠間市に存在している。
もう少し厳密に言うと、佐白山は筑波山の北北東(真北に対し約30度東)数十キロの地点にあり、しかも筑波山と竪破山を結ぶ
霊脈の真上に載っている。さらに、筑波山と竪破山を結ぶ直線距離80kmの1/3にあり、佐白山からさらに1/3ほど
延長すると常陸大宮が存在する。…そういう重要拠点に鎮座している山なのである。
私は現在、筑波山を臍とする大ピラミッド構造体を探究中であるが、そこに竪破山と共に重要なポジションを取っているのが
この佐白山であるといえる。
五月晴れの下竪破山を取材したその足で、テレビクルーとともに私は佐白山の実地探索を試みた。果たして、佐白山は
小型ながら非常にパワー溢れるピラミッド山であると考えられ、今でも生々しく山が息づいているのであった。
佐白山は笠間城址として有名で、鎌倉時代に山城として建てられ、山頂には天守閣があったと伝えられている。山全体は台状の地形に天守部分
がぽつんと乗っている感じである。すでに土と樹木で覆われているが、天守閣部分の約50mほどの高さの小山はいまだに全山花崗岩が
剥き出しになった岩石山で、今はその頂上に佐志能神社が建立されている。この屹立したような頂上の小山部分が見事な三角形を
形成していて、この部分には大木が岩のエネルギーを象徴するかのように林立している。
佐志能神社の裏手は急峻な崖になっており、その中腹に「石倉」と呼ばれる巨石でできた天然の展望台がある。
また、佐白山の登り口付近には昔頂上付近から籠城した僧たちによって落とされたと伝えれる大黒石なる巨石が鎮座している。
笠間稲荷付近から見た佐白山は緩やかなお椀を伏せたカタチの山であり、見る場所によって色々と表情を変える山でもある。
いずれにせよ、関東および茨城における重要なピラミッド山、巨石ポイントして認識する必要があるだろう。
探訪;2007年5月 記;2007年7月 泰山
写真001 笠間稲荷
日本三大稲荷の一つに列せられる笠間稲荷。
見事な藤棚と愉しそうな門前町が印象的であった。
笠間稲荷の入り口の国道上から東の方向を見ると、神戸の甲山に似た
ぽっこりとお椀を伏せたようなカタチの小山が見える。それが目的の
佐白山である。笠間稲荷側から見えるのは佐白山の西端。
佐白山は見る位置によっていろいろと表情を変えるのが特徴である。
写真002 佐白山全景
国道355上から見た佐白山の全景。
左上の台状部分は今は公園になっている。右端にぽっこりと出ているのが昔
天守閣が聳えていた頂上部分である。
見方によってはスフィンクスが横向きになっているようなカタチをしている。
標高は182mと低い山だが、登ればその凄さがわかる。
写真003 佐白山登り口に鎮座する大黒石
笠間稲荷を東に向かい、つきあたりを左折し、すぐ右折するとやがて
佐白山の登り口が見えてくるが、その手前の左の道端に鎮座している
実に風情漂う大石がこの大黒石である。
その昔戦乱の世にこの城に立て籠もった僧たちによって、下の敵めがけて
落とされたされている。
この巨石だけ独立して存在しているので、頷ける話ではある。
高さ約5m、周長10数mはある巨石で、今は何とその筋では有名なロッククライマー
の練習台にもなっている。実際われわれが出向いたときにもその手の人たちが幾人かいたので、
帰りにもう一度撮影することにした経緯がある。
どう見ても100トンはあると思われる花崗岩である。落とすとはいっても、そうそうは簡単には行かぬのでは…
この山の中の他の花崗岩に比べて明らかに表面が滑らかで形もクジラかイルカのような不思議な形状をしている。
表情のある巨石というのもなかなかお目にかかれないので、佐白山に行ったら大黒石はじっくりと眺めることを
お薦めする。
写真004 佐白山登り口に鎮座する大黒石2
別の方向から見た大黒石。近くの人間と大きさを比べてほしい。
写真005 佐白山からの眺望
旧天守閣に到る中腹に広がる広場からほぼ真南を見た関東平野の眺望。
非常に雄大で素晴らしい。
中央の秀麗なピラミッド型山が吾国山518m、ちょうどその後ろに筑波山876mが重なるように見える。
左方の秀峰は難台山553m、右端の双子山が雨引山409mである。
右側に広がる市街地が笠間市だ。筑波山とこの地点を結ぶ後方に竪破山があるのだ。
写真006 旧天守閣部分への登り口
広場を過ぎて、いよいよ旧天守閣分である小型ピラミッドに登る。
この辺りから空気は一変し、樹木は巨大でその勢いは凄まじい。
登頂ルートは極めて整備されているが結構な勾配があり、ほとんどが石段となっている。
写真007 旧天守閣ルート上にある陰石。
対応すべき陽石は確認できなかった。また特段看板が立ててあるわけでもなかったが、
形状的には見事な陰石である。
写真008 旧天守閣ルートにある異形の古木
これまでにも丹後半島の籠神社や投稿記の彦島で言及してきたが、樹木はある意味で
その場の巨石エネルギーの”表象”であるといえる。その意味で、佐白山旧天守閣分で
ある頂上ピラミッド部は凄さを禁じえない。この種の異形の大木が林立しているのである。
この写真の樹は既に枯死しかかっているが、捩じれと異様な分枝が特徴である。
写真009 旧天守閣部分の石組
ここが小型ピラミッドの頂上部分にあたる場所で、現在は佐志能神社の前になっている。
この部分にはいくつもの巨石が”集積”された感がある。特に裏側から見るとおそらく
石組と考えられる巨石構造が確認できる。
写真010 佐志能神社
旧天守閣が聳えていたと伝えられる部分に現在は佐志能神社がある。
御祭神は豐城入彦命、建御雷之神、大國主神。佐志能はさしのうと読む。
佐志能神社は笠間のほかに石岡と新治にもある。いずれも豐城入彦命を祀っている。
豐城入彦命は崇神天皇の皇子である。石岡の佐志能神社は古代神である龍神も祀る。
これは推測の域を出ないが、おそらく佐白山の佐志能神社社殿の真下には貴重な磐座が
あると思われる。社殿の床下を調査できるのは…果たしていつの日なのだろうか。
写真011 佐志能神社の社殿前
写真009のちょうど反対側から撮影したもの。頂上部の急峻さがわかると思う。
写真012 頂上部の加工石
最も重要で、かつ印象的な巨石がこれだ。
明らかに加工痕跡が認められる。ただし、中央部の凹状の切り欠きは比較的
近年のものではないだろうか。例えば旧天守閣における雨溜まり…とか。
この”頂上加工石”の周辺の巨石にはいくつかのノミ跡などもあり、山城時代に
かなり手が入っているものと考えられる。
重要なことは、元は鏡餅状であったと推察できるこの”頂上加工石”の存在と、
それを支える石組構造であろう。
写真013 佐志能神社の社殿を囲む壁
社殿の基礎部分は石累とこの壁で形成されている。一説によると旧天守閣の瓦を
壁材に使ったそうである。
写真014 佐志能神社裏手の巨石群
圧巻は佐志能神社裏手から始まる。そこには夥しい巨石群が累々と広がり、しかも
約45度の急傾斜をなして一気に麓へ向かうのである。
一塊の岩石山という感じではなく、巨石の群れが折り重なるようにあるという感じである。
樹木が巨石を抱くようにしっかりとへばりついている。
写真015 中腹の石倉に向かうルートにある巨石群。
写真では平坦に見えるかもしれないが、目も眩むような傾斜があり、そのルートには
ほとんどの部分に鎖が付いている。
写真016 機材を片手に、鎖につかまりながら降りるテレビクルー
本当に無事に戻れて良かった!…お疲れ様。
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