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竪破山パート2

Tatsuwaresan-2 ; ibaraki


泰山の古代遺跡探訪記
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コンセプチュアル・シンボル
”創造のピラミッド” Gainendesign-Labo.


竪破山(たつわれさん) 茨城県日立市十王町黒坂

竪破山については既に1996年に探訪し、「泰山の古代遺跡探訪記」でもアップしてあるが、2007年5月に 衛星放送テレビからの取材依頼があり、典型的なピラミッド山を紹介するということで、再訪した。

11年の歳月にも拘わらず、竪破山は全体としてかなり知られるようになったものの、それほど荒らされている 風でもなく大いに安心した次第である。茨城県の名勝百選にも名を連ねる景勝地故、人ゴミが増えるリスクも あるが、かえって知られることによって大切に整備されるというメリットもある。
そういう意味では、微力ではあるがこうしたHPによって人知れぬ古代遺跡を公にしてゆくことは大切なことであると あらためて実感した次第である。

後述するが、とはいっても自然の悠久たる流れは止めようもなく、成長と風化は徐々に進行している。 11年前、山中に雄々しく立つブナの古木があり、その下で休息を取りながら両手でその古木を触った記憶がある。 そしてその古木は今次寂しくも立ち枯れて、その勇士の殆どが消滅していた。
また、竪破山の主人公でもある太刀割石もいくぶんか傾きを増し、下方に動いているような気もした。

たった10年でその動きを実感できる自然の営み…100年前はどうだったのか、1000年前は、10000年前は… 竪破山と太刀割石の太古の姿はいかなるものであったのか…そんな感慨にふける再訪であった。

年月を経て再訪することは、よいことである。これは自分が齢を重ねているからかもしれないが、以前は 見えなかったもの気がつかなかったことが容易に認識できるものである。
まだまだ行かねばならない初見の対象は数多あるものの、これまで探訪してきた対象を再訪することもなかなか 味わいのあるものだと感じた。

ちなみに、竪破山の黒前神社は常陸国の五山の一つで、盛大な祭りも行われる重要拠点である。 そして竪破山は”山奥”という印象があるのだが、実際には太平洋岸からわずか十数キロ内陸であり、おそらく 6500年前頃の縄文海進時には竪破山の麓まで海が迫っていたと想像できる、”海に関連した古代遺跡”でもある。
その辺の詳細はまた別の機会に触れるとして、竪破山頂上展望台に登ればその意味が実感されると思う。 やはり竪破山は常陸はもとより関東全域の要衝である…そんな体感をした再訪であった。

探訪;2007年5月 記;2007年7月 泰山

1996年に探訪した竪破山1はこちら!



写真001 竪破山への入口

常磐自動車道を日立北ICで降り、少し北上して十王ダムに向かう。県道60号を十王川沿いに西進し 10kmほど行ったところにあるのがこの看板だ。これをUターンする如く山中に入る。この看板を 見逃すと厄介なことになる。この道以外にも花貫川あたりから入るルートもあるが、道が狭く砂利道 なのでやめた方が賢明である。



写真002 竪破山遠望

竪破山の全体像を捉えられるスポットは限られている。ここは先ほどの看板から少し行った 黒坂、鬼越あたりからの竪破山の山容である。一旦通り過ぎたが、撮影のためにわざわざ引き返して このシーンをものにした。ちなみに前方の山の右手の小高い部分が黒前神社のある竪破山頂上である。



写真003 烏帽子岩

竪破山七奇石の中のひとつ烏帽子岩の端面。七奇石については1996年版のレポートを見て頂きたい。 前回は気がつかなかったが、烏帽子岩にこのような平滑面が存在していた。また、烏帽子岩の表面に カンナで細かく削ったようなさざ波状の跡が認められ、あらためて人工的な印象を受けた。



写真004 烏帽子岩端面部のタイル状物質

上記の烏帽子岩の平滑な端面部に厚さ30〜40mmの均一なタイル状物質が付着している。 花崗岩が形成する過程で生じる”閂入;かんにゅう”とも考えられるが、平滑面の状態と 均一な異種材を考えると人工的な接着剤の可能性も考えられる。



写真005 太刀割石;立石部分

ここで重要なのは立石部分の後ろの”支え石”の存在である。 2重、3重の石組みで支えられていることから、少なくともこの支え石は 人工的な施しであると考えられる。



写真007 太刀割石後部

太刀割石の真後ろ。11年前にはここに木組みの梯子が掛けられており、上に登れた。



写真008 太刀割石立石部全体



写真009 太刀割石拡大



写真010 太刀割石風景



写真011 竪破山山頂の磐座

小ぶりの石が環状に配され、中央にも石が置いてある。 酒井勝軍が定義した太陽石配列にの一つにかなり近い。重要物件である。



写真012 胎内岩

頂上からやや下がったところにある胎内岩。 ピラミッド山には必須の要件である「天の岩戸構造」がこれだ。
つまり陰の構造を代表するものが「天の岩戸」で、竪破山ではこの 胎内岩がそれに相当すると言える。
実際に、このなかに佇むと「非常に心地よく癒される感じがする」。 同行したテレビクルーも同様のことを言っていた。
ピラミッド山には…「天の岩戸」構造は必須である言い切っても良い。 陰の構造なき三角山は単なるピラミッド型のきれいな山かもしれない。 日本のピラミッド(ピラミッド山)は自然構造を基調に構築された遺跡であると 考えられるので、カタチも大事だが、なによりも構造が重要なのである。
その意味で「胎内岩」は竪破山において太刀割石とは別の意味で最重要なのである。 ちなみに、ここのパワーはすごく、胎内岩前に異形の杉の大木が立っている。



写真013 竪破山展望台からの眺望

展望台から見えるパノラマ。葦嶽山のレポートでも述べたように、ピラミッド山には こうした開けた美しい情景がつきものである。 特に、竪破山の眺望では、写真でもわかるように、南方に美しい山容の神峰山(かみねさん)、高鈴山、 南南西遠方に筑波山が望めることが重要である。



写真014 1996年当時の太刀割石

1996年当時には太刀割石の後ろに木組みの梯子が掛けられており、容易に登ることができた。 写真中央に白いシャツに青のジーンズを着た男性が太刀割石の上に載っている。 私もこのあと登ってみたが、滑りそうではあったがなんとか登れたのを覚えている。



写真015 太刀割石傾斜の経年変化

2007年現在、梯子は外され、私が見る限り、傾斜が増し、瞬間登るのに躊躇したので、 後日、11年前の写真と比べてみた。厳密な比較写真ではないが、参考になると思う。
この11年間で、どうも太刀割石は少しづつずり落ちながら傾斜を増しているようだ。 写真比較では11年前の対水平15度が25度くらいになっている。この10度の差は大きく、 心象的に上に登るのに躊躇するのがわかる数値であろう。
太刀割石の前は小さな広場があるので、そのまま谷底に転落することはなかろうが、 極力現状を維持するような努力が必要であろうと思う。このへんは是非日立市の観光課か 地元有志のご理解とサポートをお願いしたいところである。



写真016 太刀割石の位置

これも参考だが何かの役に立つだろう。 極めて微妙なのだが、その微妙な数十ミリの変化が後世に大きな影響を及ぼすものと考える。



写真016 太刀割石の移動ベクトル

厳密な計測結果ではないが…イメージ的には写真のようなベクトルが太刀割石に発生していると言えるのではなかろうか。 すなわち太刀割石看板を正面に見て、左手前斜め下方に力が働いているようだ。


1996年に探訪した竪破山1はこちら!

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