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山岡巨石群1

in Gifu Pref. /Yamaoka's Megalith 1


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この特集は既に幾度かご紹介してきました岐阜県山岡町主催のイワクラサミットの企画の一環として計画された 山岡町の巨石群探訪記その1です。山岡町にはイワクラ文化研究会という組織があり山岡町周辺の巨石群をかなり レベルの高い調査と考察をしながら探訪してきているそうです。その活動の中で発見されたいくつかの貴重な 巨石群を紹介します。地元の人たちでも容易には入れないような山中を鎌を片手に道を作りながら探索してきた という山岡町の巨石群はなかなか見ごたえのあるものです。

山岡町には日本ピラミッド研究;とりわけ東北地方に在る 黒又山ピラミッドの詳細かつ科学的な研究で著名な鈴木旭氏もいくどか訪れており、巨石群の配置や形状等について 研究が進んでいるとのことでした。その結果、黒又ピラミッド理論と呼ばれる巨石の配置法則で説明の出来る巨石群が 確認されており、その配置は星座を模しているとも言われています。

また、地元の研究会では”巨石を造る”という 取り組みも行われていて、そうした発想や実際に”巨石づくり”にいそしむ活動に触れ、また別の感銘を受けた次第です。 ”巨石が生まれる”という切り口は、岡山県の石生(いしぶ)、姫路の生石(おおしこ)などで、聞いたことのあるもの ですが、それを現代において再現しようという発想は、いやいやなかなかのものではありませんか。恐れ入りました。 私なりの所感も含めて山岡町の巨石群をレポートします。皆さんもご一緒に考えてみてください。

1999泰山記

2010 高精細画像に置換え+補足



山岡イワクラ文化研究会発行のパンフレット。TEL=0573-56-2111
岐阜県山岡町にはかくも夥しい巨石群が存在している。 この特集1は「石戸神殿巨石群」を中心とした報告である。



石戸神殿の全容。
全体の幅は20m程度もある。 見事な一対の石門があり、なんと階段の痕跡(残骸)もある。 急峻な勾配を10mほど登ると頂上が平らなお餅状の巨石がある。 宮崎県高千穂の母智丘の石門とうりふたつである。 母智丘にはイワクラサミット後の12月初旬に行ったのだが、 振り返って見ると、両者の石門構造は同一としか言えない。 母智丘では石門の下に”舞台”があり、この石戸神殿では 石門上方に舞台がある。「石門」…それは巨石文化の重要概念 であると今は確信している。



石戸神殿の頂上尖塔部分。



石戸神殿周辺には人工とおぼしき巨石が散在している。 高さ2mほどの平板状の巨石。



石戸神殿左にあった、円柱。 円盤状のものを積み重ねたようにも見えた。 柱の曲面は明らかに人工と思われる。



石戸神殿に付随しているスリット。 石戸神殿における方位計の役目を果たしているようだ。



ある方向性を出していると考えられる巨石。



その全体像。このセットが方位石構造を持っているかもしれない。



石戸神殿最上部の「目玉石」と呼ばれる巨石。 上から見ると瞳とまぶたが形成されている様に見えることから「目玉石」と命名された様だ。 確かに巨石の上部平坦面は瞳状にくりぬかれた様になっている。 「石門」との関係で考えると、「交信用石舞台」だと思っているのだが… 「交信」とは「瞑想状態による」宇宙との交信である。 「石門」はそういう状態をつくるための「結界」形成の役目ではないかと…



その舞台;「目玉石」の上にイワクラサミット参画メンバーが登ったところ。 大きさが分かると思う。



たしか、「半球石」と呼んでいた巨石。 たまねぎ状に「剥けた」巨石の表皮が面白い。 地元の研究会が、「巨石は山で人工的に造られた」と仮説設定する根拠なのだ。 人工か天然かは別にして、たまねぎ状に剥けるということは たまねぎ状に形成された…ことは推測できる。 巨石の生成については研究する価値は大きいだろう。



磐座の森特集でも紹介した、脳みそ状に凝集したような巨石表面が 石戸神殿近くにもある。茶褐色のこの色と凝集したような形態… これは本当に不可解である。今後の大きな探究課題でもある。 こういう部分にこそ、地質学者、岩石学者諸氏の御知恵を拝借したものだ。



「重ね石」と呼ばれる2段重ねのお餅状の巨石。 上段と下段の間に一枚別の物体が挟まっている。 磐座の森の組み石遺構のような、ある種の接着方式かもしれない。



石戸神殿下方に横たわる、この付近最大の巨石。 形態的には「畳石」といわれるような、ピラミッド入り口 付近で見かけられる、平坦な石に似ている。 「船岩」あるいは「石舞台」と命名したくなるような巨石。 長さは10m以上ある。とりあえず「船岩」としておこう。



その「船岩」上に乗る探訪メンバー。大きさが分かると思う。



「船岩」付近の巨石群。



その船岩の先端部分にある円形の窪み。



「船岩」背面の平面構造。 この部分を見ると人工的であるように感じる。 岩屋岩蔭遺跡と同様に、こうした平面は他の巨石 との関係において、何らかの計測機能を持っているのではないだろうか。



「船岩」の縁



かなり巨大なのが分かると思う。



「船岩」下部にある洞窟構造。 昔ここで「丁半博打」をやったと伝えられている。 広さは6畳ほどもあり、中が「暖かい」そうだ。



「船岩」の別の平坦面。



「船岩」下部の天の岩戸構造。



石戸神殿から少し離れた山中に在る「龍神の館」と命名された巨石。 三段重ねで最下部は洞窟状になっており、高さは15m以上はあった。



これが「龍神の館」の全容。 最上部の巨石の上は8畳ほどの平坦な見晴台になっている。



「龍神の館」拡大写真。底部が石積み構造によって支持されているのがわかる。



「龍神の館」底部の支持構造拡大写真。自然のなせる業ではなく、明らかに高度な人工加工の跡と見受けられる。



「龍神の館」側面部の巨石の状況。



「龍神の館」を背後から撮影したところ。だるま状に載せられた最上部の丸石は台石とぴったりとくっついている。



「龍神の館」周辺の巨石。ここにも支持構造がある。



同じく「龍神の館」周辺の巨石。



「龍神の館」の最上部に上って下を見下ろしたところ。 メンバーが小さく見える。 真っ白に輝いていた。



…とそこから真南の方向に目をやると… やっぱりあった…小型ピラミッドが。 ここの展望は非常に良く、また爽快である。 このピラミッドが「タカマチ山」 左手の山が「磐座山」…両方に巨石があるとのこと。

山岡特集2へ続く…


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