押戸ノ石CG解析

in Kumamoto Pref. /Oshito-no-Ishi CG



泰山の古代遺跡探訪記
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コンセプチュアル・シンボル
”創造のピラミッド” Gainendesign-Labo.


Copyright(C) 2004 byHidenori Minoda

広島県の蓑田さんからの情報提供です…

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広島県在住の蓑田さんから、熊本県阿蘇郡南小国町にある押戸ノ石のCG解析を送って頂きました。2004-6-10
    

こんにちは。蓑田@広島です。 昨年投稿しました押戸ノ石の件、思い立って景観グラフィック ソフトを使って、周辺地形を表現してみました。

3枚の画像が ありますが、全て、高さ方向を3倍に強調しています。
阿蘇外 輪山から九重連山にかけて波打つ大地の無数の皺のひとつにす ぎないと思えた押戸ノ石の丘が、高さを強調することによって 、意外と意味ある存在と思えます。

泰山さんも言及されていた 御神体と涌蓋山の関連ですが、これら画像に現れた涌蓋山は御 神体と印象が非常に似ているように思います。

今日のような登山道など全くなかったはるか古代、山々は現代 人の目に映るものよりはるかに高く険しいものだったでしょう。

人々は恐れと畏敬の念をもって山々を眺め信仰の対象にして きたことは言うまでもないと思います。
きっと、古代の人々の 目には、山々がこれらの画像のように見えたに違いないと思っ た次第です。

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蓑田さん、見事なCG作品をありがとうございます。 私もデザインの仕事で景観ソフトを使いますので、ご努力が良く分かります。
特に、この種の地形データソフトは国土地理院のデータから作られる精度の高い ものなので、大変リアリティがありますね。ヘリで上空から飛ばなくても 鳥瞰できるということはピラミッドや巨石探訪にものすごく役立つかと思います。

小国富士と言われる涌蓋山(ワイタサン;名称も気にかかりますが…^o^)の 稜線、特に御神体石から見た右側のラインの曲線が御神体石の右側の曲線に 非常に似通っていたので、前回、「涌蓋山に模して御神体石が加工されているのでは」 と指摘させて頂いたのですが、CGでみると涌蓋山自体が御神体石に見えます。

また、CGから御神体石が載っている小山も小ピラミッドではないかと推察されます。
涌蓋山〜御神体石〜阿蘇五岳がライン上にあることがCGではっきりと分かりました。 押戸を中心にした広域なピラミッド構造体があるのではないかと思われます。

本命の御神体石の周囲数キロ〜数十キロの範囲で、別の巨石群なり遺構、神社などが 配置されているのではないかとCGを見ていて思い浮かびました。

おっしゃるように古代においてはこうした御神体石が道しるべや交差点の役目を 果たしていたかもしれませんね。

そういえば、京都の若狭の方にも霊峰に模した古墳や小島がありました。 極めて興味深い”切り口”かと思います。

…泰山

  





 イメージ01→押戸ノ石の丘から東北方面に涌蓋山を見たところ。延長線上に宇佐神宮がある。

---photo(C)-2004-by-Minoda Hidenori@ Hiroshima





 イメージ02→逆に押戸ノ石の丘から南方の阿蘇谷と阿蘇五岳を望んだイメージ。

---photo(C)-2004-by-Minoda Hidenori@ Hiroshima





 イメージ03→押戸ノ石の丘の高さと形状イメージ。(高さは3倍に強調)
この小山の上に御神体石が載っている。小山自体が小さなピラミッドのようだ。

---photo(C)-2004-by-Minoda Hidenori@ Hiroshima





 イメージ04→上の拡大イメージ。

---photo(C)-2004-by-Minoda Hidenori@ Hiroshima





 イメージ05→実際の写真。遙か向こうの山が涌蓋山で右側の稜線が御神体石の
右側の曲線とそっくりである。CGの涌蓋山は御神体石に瓜二つではないか!

---photo(C)-2004-by-Minoda Hidenori@ Hiroshima


2003年版の『jpn020.html;押戸ノ石;蓑田氏撮影』はコチラからどうぞ


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