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拝ヶ石巨石群探訪記2012;熊本県

in Kumamoto Pref. / Mt. Ogamigaishiyama pyramid

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2012年3月に甥の結婚式が鹿児島であり、その帰路熊本に寄って以前から気になっていた金峰山を拝謁し、聖山としての金峰山に深く関わっていると 考えられる拝ヶ石(オガミガイシ)巨石群を探訪した。

家内の郷里が鹿児島県加世田(現南さつま市)にあって、その近傍の阿多郷に同名の金峰山がある。この山もすこぶるすばらしい聖山であって その山容は麗しい。阿多郷の金峰山は3つのピラミッド型の山が連なり、あまり知られてはいないが巨石の宝庫でもある。
同じ九州の熊本に同名の山があると聞けば、気にならないはずはない。事前調査では熊本の金峰山はその山容が明らかにきれいな三角形を呈しており、地元では聖山として 尊崇されていると聞く。この金峰山のすぐ傍に巨石群が存在する山があるわけなので、ピラミッド山構造体として構成されているのかどうか見てきたしだいである。

熊本の金峰山は聖山なれど、山頂には巨大アンテナ群が林立し、頂上までクルマでいけることもあって、残念ながら悪い意味で近代化されてしまっている。
山頂に神社は残ってはいるが、古代の山頂の状況はもはや見ることはできない。しかし、熊本市街地から遠目に見えてくる金峰山の山容は神々しく、存在感のある 山なのである。

金峰山は阿蘇山系と同じように、実は外輪山と中央の山からなるカルデラであって、その規模は阿蘇には及ばぬものの、外輪山もはっきりと残り、中央噴火山としての 金峰山もきれいに残っているのである。阿蘇の外輪山にもいくつもの巨石遺構があり、中央の阿蘇五岳との関連性を表徴しているが、今回探訪した拝ヶ石巨石群も金峰山山系の 外輪山部にあたる拝ヶ石山の頂上にあり、中央の金峰山に深く関与していると言える。
外輪山を含む金峰山山系の外側には西に島原半島の雲仙普賢岳が聳え、東に阿蘇の中岳が聳えている。そして普賢岳、金峰山、阿蘇中岳は一直線状に並んでいる。 従って、大きな視座で見るならば、金峰山を中心としたピラミッド山構造体の背景にはさらに大きな雲仙、阿蘇という大構造も視野に入れながら金峰山や 拝ヶ石山を探究しなければならないのだと思う。

金峰山は明らかに熊本の中心的な心のよりどころになっていて、拝ヶ石巨石群以外の巨石群(も当然あると推測されるが)や文化的な遺構も金峰山に 深く関わっていることであろうと推察される。
結果として、拝ヶ石巨石群は単独で存在する巨石遺構ではなく、あくまでも拝ヶ石山という拝殿山構造に付帯している巨石群であり、拝ヶ石山全体が小型のピラミッド山 となっていることが認められる。また付帯している巨石群や水源などを総合的に勘案すると、優れて整ったピラミッド山であって、これほどの典型的なピラミッド山が 残存していることに深く感激したのである。

拝殿山としての拝ヶ石山のご神体=本尊はいうまでもなく中央のピラミッド型山容の金峰山そのものである。
後述するが、拝ヶ石山中腹にある通称メンヒル(立石;ただし立石というよりも聖山を指示する方向石あるいは男根石であると言える)は地元の中学校の研究によってその先端が 南南西にある金峰山の頂上に向いていることが分かっているが、そのことによっても金峰山と拝ヶ石山とは一体化された構造体であると考えられるのである。因みに、これまで多くの垂直に立った いわゆる立石(メンヒルと呼ばれる)と斜めに方向性を明らかに示している男根石を見てきたが、立石と男根石とは明確に分けて考えるべきで、後者は明らかに何らかの対象物を 「指し示している」のである。この視点から言えば男根石は『指頂石;頂点を指示する』あるいは『方向石;重要対象物の方向を示す』と称する方がよいかもしれない。

典型的な『方向石』としての男根石(地元では通称立石様と呼ばれている)の事例はコチラをご高覧いただきたい。 なお、拝ヶ石巨石群を見てすぐさま思い起こしたのは岐阜県中津川にある笠置山頂上付近の巨石群であった。コチラ。

 2012年春 泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan

金峰山と拝ヶ石巨石群の所在地; 熊本県熊本市河内町野出東門寺地区 



現地案内板;南北が逆の観光マップ

金峰山を中心として、外輪山には左回りで、権現山、河内山、二の岳(熊ノ岳)、三の岳、拝ヶ石山、小萩山、荒尾山、三淵山がある。また周辺の山には 石神山、万日目山、天狗山など気になる小山がある。万日目山の山中には巨石遺構がある。

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



県道101号線沿いにある小さな「拝ヶ石巨石群」の立て札の処を入って行くと100mほどで大きな倉庫のような建物があり、その前の広場に駐車スペースがある。 拝ヶ石山への登山道入り口にこの看板がある。登山道には〆縄が張ってあって、登り始めると空気感が変わっていることに気づく。

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



暫くは200mほどの遊歩道になっていて、散策気分で気軽に登っていける。 暫く行くと道の右側に突然「方位石」なる看板が出てくる。その看板から30mほど脇に入ったところに最初の巨石が現れる。

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



これが「方位石」と名付けられた巨石。突然そこにあるという意味では何らかの意図を感じざるを得ない。 立て看板に書かれているように、この石の表面には明らかに線状痕がいくつもあり、人工を感じさせる。

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



サイズ比較。佇まいが良く、存在感がある巨石である。

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



「方位石」からすぐのところに分岐点があり、左は巨石群への登り、右は硯ヶ水へ行く路だ。とりあえず巨石群に向かう。分岐点からの左の路は 写真のように急な上り坂となり、丁寧に作られた階段を200mほど登ることになる。
数十年前は殆ど樹木が無かったそうで近年植林したそうだ。拝ヶ石山の登坂路で気がつくのは竹林の多さ。時折竹同士がぶつかり合ってコーンという音が 響くが、夜に独りで登ったら、さぞかし”不気味な”ことだろう。

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



登り口から約15分ほど、200mも来るとそろそろ山頂付近である。”参道”の両脇に一対の巨石があり、私見では 「石門;重要地点に入るポイントを示すゲート」になっていると見た。ここから先が聖なる場所になる。

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



ここが拝ヶ石巨石群のメイン舞台ともなっている「石組構造部」で最も特徴のある巨石群が集中している。頂上直前の「拝殿部分」を 形成しているものと考えられる。
もとは「オカミガイシ」と言ったらしいのだが、現状の「拝ヶ石」というのは絶妙な命名であると思った。まさに拝むための石組であると 思われるからだ。

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



この複層的で濃密な石組構造こそが、「拝ヶ石巨石群」といわれるゆえんだ。説明看板に拝ヶ石山の全体構造が上手く描かれている。

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



拝ヶ石巨石群;石組構造部の全体イメージ。屹立した石柱がやはり主役であろう。高さは7〜8mはある。手前に二つの巨大な石が石柱下部の空間に 我々を誘うかのように並ぶ。伝聞では写真右側の寝そべった巨石は何十年か前には立っていたらしい。もしそれが本当だとすると、拝殿部には左右に屹立した 巨大な石が一対で存在していることになり、さらに人工が加わった臭いがしてくる。

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



巨大石柱の隣には不動明王を祀ったやや小ぶりの社がある。その背後に重要な巨石空間がある。勿論この木製の社は後世の ものである。社が存在する前には複層的に積み上げて作られた巨石空間そのものが神籬;ヒモロギの役割を果たしていたに違いない。
京都の宮津にある籠神社の奥宮である真名井神社の本殿裏にある神籬;ヒモロギとしての石積み遺構と同じ様式である。

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



巨大石柱の隣、前述の社の背後にある、複数の巨石で形成される”陰の空間”。巨石の隙間から何とか内部に入ることができる。 この空間に神が降臨する…ということになろうか。う〜む、凄い!

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



中央の巨大石柱本体を山頂側から見たところ。垂直に屹立している。

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



同じく巨大石柱。東西面(感覚的に東西であると感じられた)は平滑面で「鏡面」構造も有している。

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



石組構造を後にしてさらに山頂へと向かう。

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



この辺りが山頂になる。地元の芳野中学校が作成した「頂上石」の看板。

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



中央のやや高い巨石が頂上石でその周りを複数の巨石が囲みサークルを描いている。この頂上石を酒井勝軍のいう「頂上太陽石」に あてはめるならば、なんと典型的な頂上部のピラミッド構造であることか…。 地元では山頂部のこれらの巨石群を総称して「頂上石」とよんでいるようだ。

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



頂上石から東側の斜面を10数m下ったところにある”亀石”と名付けられた巨石。 形状的には亀の頭が胴体に乗っている体をなす。頭は頂上石の方向を向いている。

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



”亀石”の全体写真。頭部は胴体に乗っているが、頭部はそのサイズ感から見て、一旦巨石からカットされ、少し小ぶりに 成形された後に、胴体部に乗せられたという感じである。人的加工は明らかであると思う。因みにピラミッド山構造体に付帯した 巨石群の中では”亀石”、”神石”などは良く見かけることができる。私の在住している神奈川県では伊勢原の大山麓にある日向山の山中に 巨大な”亀石”があるが、形状的な佇まいはこの”亀石”に共通したものを感じることができる。

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



”亀石”のお尻の部分。見事に亀甲形状が現れている。巨石には時折こうした表面に出来た亀甲模様を見ることができる。 阿蘇外輪山の俵山にある巨石や同じく押戸ノ石巨石群にもこうした亀甲模様を見ることができる。これを人工の彫塑痕跡と見るか 天然の形状と見るか…難しいところではある。岩石が地中や海底において表面が急速に冷えた場合にはこうした削り痕跡のような 亀甲模様が表出することもあり得るのではなかろうか。また風化によっても亀甲模様はできるようである。 いずれにしても大切なことは亀甲模様が人工であれ、天然であれ、この”亀石”という 巨石に表現されて設置されていることにあると思う。

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



”亀石”のサイズ比較。 後方から頂上部を向いて撮影。

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



頂上周辺部の東側斜面にある別の巨石。形状は先述の”亀石”にも似ている。サイズは同じくらい。

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



頂上周辺部にある別の巨石で、舞台状になっているもの。こうした形状は栃木県の古峰ヶ原や岐阜県の笠置山でも 見られた。

2012年泰山記:Copyright (C) 2012 by Taizan



同じく頂上周辺部東側斜面にある「カットされた」、あるいは「割れた」巨石。岐阜県の笠置山山麓で見た ピラミッド石を彷彿とさせる。ポイントは二面のカット面で形成された三角形のピークが上向きであるというところ。 岐阜県笠置山のピラミッド石はコチラ

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先述の”亀石”から少し下がったところで、やや北寄りにこの不思議な巨石がある。いままで見てきた中では 「鏡石」と呼ばれる鏡面仕上げ(東方向に)となっていたであろう平滑面を持つ巨石になると思われる。 勿論、東からの朝日を反射する鏡としての巨石になる。高さは比較的大きく3mほどはあるだろう。これも 岐阜県の笠置山頂上付近で見た人間の横顔のような巨石に似ている。岐阜の笠置山巨石群はコチラ

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先述の地元作成の巨石群配置図を見てもらえば分かるが、実際には参道を登る途中、石組を越えて頂上付近に至るところで右に降りるところに この通称メンヒルという巨石がある。

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これはかなり大きい。立石と言う意味で”メンヒル”とされているが、実際には山中によくある『男根石』であると 感じられた。それはこの巨石が明らかに斜めに設置されていて、地元の芳野中学校の研究でも明らかにされているように、この巨石が聖山である 金峰山の山頂を指している。そういう意味では『方向石』あるいは『指頂石』と見た方がよいのではないかと思える。
通称として「男根石」、「立石」、「へび石」などはごっちゃにされている感があるが、いわゆる宮崎県小林の聖石としての男根石と冒頭に紹介した高知県山中の 男根石(正式には”立石様”と呼ばれるが斜めに突き刺してある)とは違うし、垂直に立てられある意味での道標になっているメンヒルとは特徴や機能が異なるものと 感じている。言うまでもなく拝ヶ石山の”メンヒル”の最重要機能は聖山たる金峰山の山頂を指し示しているところである。

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サイズ比較。

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上記の”メンヒル”のすぐ傍にある巨石の石積み。これはよくわからない。ときどき見かけるが役割が いまひとつ理解できないでいる。

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さてメインステージの石組構造群に戻ろう。やはりここは興味深い。
石組構造の一部で、2枚の巨石(多分意図的に割ってあると思われる)が上下の隙間を形成している。2枚の巨石は数十cmの間隙を保ち、 互いに触れてはいない。こうした間隙を形成する石組構造は、茨城県の加波山山中や岐阜県の岩屋岩陰遺跡でも見られるものである。
加波山巨石群はコチラ岩屋岩陰遺跡はコチラ

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石組の南側に横たわる大きめの巨石。

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持論として『樹木は石を尊敬している』という概念を持っているが、これはその証拠の一つ。樹木がその成長力によって 巨石を割ることは…無い!のである。これは双方の流動速度の問題であって、当然樹木の方が流動速度は圧倒的に石よりも 速い。因みに人間の活動は両者よりも格段に速いので、石も樹木も同じように固定物に見えるが、樹木は石に対しては 『液体同様』である。ゆえに樹木は石を抱き込みながら成長するのである。そのことを『樹木は石を尊敬している』と私は 表現しているのである。
樹木の化学的な成分によって鉱物が風化させられることはあると思うが、力づくで樹木が巨石を 割ることはまずないと言えるのである。余談になるが盛岡市役所前の”石割り桜”というのは、桜が石を割ったのではなく、既に 割れた巨石の隙間から桜が育ったのである。そういう意味では盛岡のそれは”桜の母石”と呼ぶのが本質的には正しいとは 思っている。まあ、それはあまりこだわるべき話でもないが…。
この写真の樹木の幹も、巨石を抑えているのではなく、巨石に寄り添って成長しているのである。

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石組構造の”陰の空間”を形成している十数個の巨石群。地元の研究ではその石の積み方に奥深い考え方が秘められている という。中の空間自体はそれほど大きくはないが、入ってみると、少なくとも私には最高に心地よい空間なのであった。
地元の研究者の話では、夏至の真昼に太陽光が石組の上から入射し、それが光の三角形をつくるということだ。そういう微妙な設計が この石組には施されているということである。

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登山路の途中に合った分岐点に戻り、最後に”硯ヶ水”という遺構に立ち寄った。この看板から150m位のほぼ平坦路。

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これが”硯ヶ水”と呼ばれる水源で、今も石清水が流れ出ている。ピラミッド山構造体には清い水の流れと言うものが必須であると 考えているが、拝ヶ石山は小山ではあるがちゃんと「水の浄化機能」が付帯していて、大いに感激した次第である。 この清水も、拝ヶ石山を拝殿山としての小型ピラミッド山と考えうる根拠になると考えている。

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”硯ヶ水”の遺構傍にあった人口を感じさせる石積み構造。

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この山容が拝ヶ石山。北側から南を見る感じ。この山は麗しいと思う。

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拝ヶ石山の本殿に当たる、御神体山の金峰山。形状的には明らかにピラミッド型の秀麗な山容である。近代的なアンテナが立ち並ぶ 山頂を見ると、何か痛々しい感じもする。古代の姿をイメージしながらご覧いただきたい。

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県道101号線から見渡した拝ヶ石山と金峰山の全景。金峰山の遥か西には島原の聖山;雲仙普賢岳1359mがある。 昔、弘法大師は拝ヶ石山で、金峰山、外輪山の三ノ岳、雲仙普賢岳に向かって祈りを捧げたそうである。
今回の探訪で一番の収穫は、やはり拝ヶ石巨石群が拝ヶ石山というピラミッド構造体の一部であり、しかも仮説として提議している ピラミッド山として考えられることである。しかもこぶりながら典型的なピラミッド山であって、同時に極めて状態良く保存されていることであった。 地元の方々のご尽力に感謝しながら、永続的な巨石遺構の保存を祈念する次第である。
また、これまで気になっていた熊本の金峰山が外輪山を有するカルデラの中心であり、これまた麗しい三角形状であったことに 感激したしだいである。
ピラミッド山の特徴と概念構造についてはコチラをご参照下さい。

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